休みには中古屋のはしごⅢ

基本音楽鑑賞のつもり。ほかに映画・本・日記的なもの・ペットなど。

『虫捕る子だけが生き残る』

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20190112(了)
『虫捕る子だけが生き残る』
――「脳化社会」の子どもたちに未来はあるのか
                      養老孟司池田清彦奥本大三郎
 第一章 虫も殺さぬ子が人を殺す 
             ――虫の世界から見た教育論
 第二章 虫が生きにくい社会にしたのは誰か
             ――虫の世界から見た環境論
 第三章 虫が栄える国を、子どもたちに残そう
             ――虫と共生する未来へ
      2008年12月/小学館新書/中古
      <★★★★>

お気楽、お手軽な対話本ですが、中身はばっちりです。
このちいさい本、もう出てからちょうど10年たつんだ。知らんかった。
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はじめの章で、子供の教育にいかに有益かと、三人とも口を極めて述べ
立てる。それがタイトルになっていて、まあ言わんとすることはわかりま
す。
決して、名を成した爺さん学者たちの繰り言でないことも理解はします。
もっともワタシだってちったぁ昆虫少年だったけど、自分の成長にどんだ
け役にたったかわからんなぁ。
ヨーロッパやアメリカ合衆国の、要するに外国の人々の昆虫観が面白い
ね。これまでも読んだことはあるけど、やっぱりなぁという感じではありま
す。ならばファーブルはむしろ特殊だったということ?
第二章では、先日ツノゼミの本で読んだのと同じことが述べられる。
ワタシには、こちらがなかなかに深刻な感じ、ゾワゾワした感じを覚えまし
た。爺さん学者たちも心配そうだった。
 “現在、地球上の生物の種数が急速に減少しつつある。
  ツノゼミも例外ではない・・・”
前掲書にもそうありました。
これは、えらそうに言うわけじゃありません、ワタシもワタシの観ているご
く狭い範囲内でのことにすぎませんが、どうも変だぞとこのごろ気にかか
っていることです。
クマゼミの進攻なんかは例外(温暖化その他いくつか理由はあるが、な
んといっても植木として土付きの状態で九州から関東などに運ばれたの
が根本らしい、ホンマか?)で、‘普通の虫’が減った、間違いなく。
  土の変化のこと
  車、つまり交通事故
  誘蛾灯~青白い光
他にもいろいろありそう。
短い第三章は結局、教育論より環境問題が中心になった。
おぉそうそう、特殊な例だろうけど、北海道でクマゼミが鳴いた(見つかっ
た)んだって。ギョーテン。
お三方の気ままな虫談議に、ちょっと方向性をつけてみましたというふうで、
深刻な問題はずいぶんたくさんありましたが、とにかくワタシのような中途
半端な昆虫好きにはたまらない面白さ。全編紹介したい!
でもちゃんとした昆虫好きや、昆虫なんかに興味なんぞない人には、果た
して受けたんでしょうかねぇ。
池田先生は、セミの鳴き真似が絶品だと、奥本先生が言うと、養老先生は、
そんなもんじゃない、セミそのもの以上にうまい、絶対音感そのものだとお
っしゃる。
池田先生は、補中網の振り方、さばき方もめちゃくちゃうまいらしい。見てみ
たい!(あの嫌味たっぷりのエッセイからは想像出来ん)
本筋とは関係が少ないが、その‘絶対音感’の部分を・・・ 犬ころと関係が
ある書き方になってまして、ちょいと抜き書き。 途中で(略)がありますが、
ここに池田先生のセミの鳴き真似のことが挟まっているのです。

 養老  実は、哺乳類はことごとく絶対音感の持ち主なんです。耳にカタツ
 ムリ管というものがあってね。中が細長い板になっていて、振動数によっ
 て共振する場所が異なるんです。だから、音の高さは必ずわかっている
 はずなんですよ。もちろんにんげんのカタツムリ管だって同じ構造です。
 でも、昔から、教育しないと絶対音感は身に付かないって信じられてるで
 しょ。小さいときから特別に訓練された人だけが絶対音感を持てると思い
 込んでいるんですよ。
 池田 たしかに、カラスの鳴き声に合わせてピアノが弾けるのは特別な
 人だけだといわれている。
 養老 でも、僕は全く逆だと思います。われわれ人間は、言葉を覚えてい
 く過程で、絶対音感を失ったほうが得なんですよ。たとえば、「キヨヒコ!」
 と呼ぶお母さんの声とお父さんの声は、高さがまったく違う。でも、高さの
 違う音でも、同じ言葉だと認識しなくちゃいけない。そうすると、絶対音感
 を持っているほうが不利なんです。
 奥本 絶対音感で捉えると、別の音、別の言葉に聞こえるかもしれない。
 池田 犬も、そうなのかなあ。
 養老 たぶんね。「シロ」という犬がいたとします。お父さんもお母さんも、
 「シロ!」って呼んでいる。兄弟姉妹も近所の人も、みんなが「シロ!」と
 呼ぶ。むろん音の高さが違うわけだから、犬はおそらく、それらを別々の
 名前として記憶しているんだと思う。人間のように言葉を持たない犬は、
 お父さんの呼ぶ「シロ」や、お母さんの呼ぶ「シロ」など、自分には複数の
 名前があるって思っている。
 池田 なるほど。初対面の人が「シロ」って呼んでみたら、どうなるか。
 奥本 ワンワン吠えて、咬みつくだけ(笑)。
 養老 自分が呼ばれているとは思わない。
 奥本 しかし、そんなことをいちいち区別して覚えていたら、ほとほと疲れ
 ますよね。社会的不適応になっちゃう。
 養老 社会生活には適応できないよね。その意味では音痴の人のほう
 が進んでいるんだよ。『津軽海峡冬景色』でも何でもいいけれど、ひどく
 音程が外れていても平気で歌っている人って、いるじゃない? あれは、
 どんなに音が外れていても、少なくとも歌っている本人の脳は、同じ歌
 として認識している(笑)。
 奥本 聞かされているほうは、メロディじゃなくて歌詞でやっと識別でき
 る(笑)。
 池田 同一性において、処理する能力が高いわけだ。社会的適応力が
 優れているとも言える。
 <略>
 奥本 まあ、この三人は、歌が上手いかどうかはともかくとして、自分が
 音痴であることには耐えられないわけです。虫好きで、概念嫌いで、感
 覚から直に入ってくることが大好きだから。
 池田 そうすると全員、社会的不適応ということになっちゃう。
 養老 もちろんです(笑)。

うちの娘は咬みつきはしないけどな・・・(奥本先生は咬まれた経験のトラウ
マ持ちでっか?)
ワタシとカミサンの呼び方は、いわば別の言葉に聞こえているものの、意味
としては同じなんだと認識しているわけかぁ。幾つかの命令もそういうこと。
人の場合乳児の段階では、音に限らず母乳も区別できているが、後天的に
わからなくなる、それがとりもなおさず社会的に成熟するということ(概念化)
に繋がっている。そのタイミングの差いろいろ、教育との絡みいろいろ・・・
奥本先生、帯の写真では杖をついている。すくなくともこの時には、得意の網
は振り回せなかったんだね。養老先生は、ゾウムシなどをその上にはたき落
とす大きな布切れ。池田先生が右わきに挟んでいるのは、なんだろう。
冬場の昆虫話として最適の楽しい本でした。

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