休みには中古屋のはしごⅢ

基本音楽鑑賞のつもり。ほかに映画・本・日記的なもの・ペットなど。

映画『笑う故郷』

20230816(了)

映画『笑う故郷

 監督;ガストン・ドゥプラットマリアノ・コーン//オスカル・マルティネス
 2016年製作/117分/アルゼンチン・スペイン合作/
 原題:El ciudadano ilustre/DVDレンタル
 <★★★△>

英語のタイトルだと『著名な市民』ぐらいの意味のようでした。
スペインに住み、故郷を離れて40年来、地元アルゼンチンのサラスの街に戻
っていない作家が、ノーベル文学賞を受ける。
そこからのストーリーは5つの章に分かれて、順序良く描かれる。
 
1)ノーベル賞の受賞スピーチは、要するにポピュリズム的な小説を書き続け
て評価されたに過ぎず、そんなものは(自分の)小説の劣化や退化だと断じて、
会場を白けさせる。もっとも、もうかなり長いこと書いていない。
受賞により猛烈な引き合いがくるものの、ほとんど蹴っ飛ばす。
 
2)いろんな誘いの中に故郷サラスからのものがあって、何故かそれを受ける。
滞在は1週間強ぐらいか。

40年間戻る気などなかったのに、気まぐれか、何か贖罪のようなものか。あ

るいは、見返してやる感覚か。

同行者なし。アルゼンチンに着いてからの車のエンコが不穏。小さい町ゆえか、

こじんまりした歓迎式典。

 
3)いい意味でも悪い意味でも、小市民の縮図そのものの町や町の人びと。
歓迎式典の続きほか、講演や講習。千客万来、作家の目を白黒させる事柄が矢
継ぎ早に起き続ける。曲解、強請り、たかり、逆恨み、僻み。
 
4)混乱の中でも後を引く感じなのは、絵画のコンペティションに腹を立てた
地元の名士を気取るヤクザまがいの男、元カノと彼女の夫、講習で発言した若

い女の押しかけ、日和見(ポピュリストぶり)の町長など。そしてまた車のエ

ンコ。

 
5)当然、作家はウンザリし、開き直るのだが、、、上記が収斂する先は、(田

舎らしく)非常に危なっかしい・・・ おしまい近くでも車のエンコが出て来

ます。

 
とまあ、ここらでやめなきゃならないのですが、、、
「故郷から40年も逃げ続け、かつ故郷から出ることがなかった」というこの
作家の感慨が、観る者にある一定の感覚や価値観を導くような感じなんだが、
映画の構造としては、田舎というもののいたって狭くて卑近で鬱陶しく嫌味な
感覚をべったり纏った世界が、これでもかと押しかけ、その集大成的な皮肉で

突き放すような形で終わらせる。エンディング自体にさほど深い意味はないみ

たい。

とてもよくわかりましたし、映画としてアリだと思うけれど、面白いかねぇ

・・・ですな。

ジャンルはもちろんコメディなのですが、ウーンと頭をぼりぼり掻かせる。

 

ヘンツェ 交響曲 第1番~第6番

20230812(メモ了)

HENZE SYMPHONIES

№.1-6

 

<CD1>75:18

交響曲 第1番(1947、室内オーケストラへの改訂版/1963)

  ①5:49 ②5:35 ③5:53                 <★★★☆>

交響曲 第5番(大オーケストラのための/1962)

  ④7:58 ⑤6:02 ⑥6:27                 <★★★>

交響曲 第6番(2つの室内オーケストラのための/1969)

  PartⅠ

  ⑦2:19 ⑧2:08 ⑨1:33 ⑩4:22 ⑪2:49
  PartⅡ
  ⑫2:58 ⑬3:06 ⑭1:11 ⑮2:48 ⑯1:33 ⑰3:32
  PartⅢ
  ⑱2:05 ⑲2:13 ⑳2:24                 <★★★>
<CD2>73:16

交響曲 第2番(大オーケストラのための/1949)

  ①8:00 ②4:10 ③8:49                 <★★★>

交響曲 第3番(大オーケストラのための/1949-50)

  ④8:17 アポロの祈り ⑤10:52 Dithyramb ⑥5:13 魔法のダンス <★★★>

交響曲 第4番(大オーケストラのための/1955)

  ⑦1:15 ⑧2:41 ⑨1:47 ⑩5:18 ⑪4:42 ⑫4:12 ⑬3:56

  ⑭2:25 ⑮1:39                       <★★★△>
 
  録音:1番~5番/1965年、ベルリン、 6番/1972年、ロンドン
  2CD/現代音楽/Ⓟ1966&1972 ドイツ・グラモフォン ⓒ2010 Brilliant Classics
  輸入/中古

          HANS WERNER HENZE 1926-2012

長くなりました。どうせ誰も読まんでしょうから一気に載せます。
最後だけでいいかもしれません。
(CD2枚っきりですが、メモし終えるまでけっこうかかってしまいました。)
交響曲は何年も前に「7番」で撃退されてから、かなり久々に聴く。といっ
ても6番以下は初めて聴きます。若いころはもっと「聴きやすい」「華麗な」
ものも書いていたんじゃないか、なんて考えて・・・。前知識はありません。
作曲者自身が指揮をした独グラモフォンへの録音です。
写真の指揮中らしいヘンツェはまだ若々しいですね。
ベルリンのは60年代の録音ながら、含みもクリアさも十分でベルリン・フィ
ルはさすがに非常に安定している。これ、カラヤンのころですよね。もっとも
収録のホールは例のイエス・キリスト教会でのものじゃありません。

 

カラヤンの「春の祭典」の録音はこのCDのちょい前ぐらいだったでしょうか。
大枚はたいて買ったLPを友人たちと聴き、凄まじいオケの威力に圧倒されまく
りでしたっけ。高校の文化祭の時、「レコード鑑賞会」のようなものが音楽室
であって、これをかけてもらった記憶があります。ワタシ自身とは関係ないこ
となのに、「どうだ!!!」てな気分でしたっけ。ハハハ

 

番号順に聴いたわけではありません、メモする時に並べ直しました。
 

第1番;室内オケへの改訂版(1947/1963)

若干野暮ったい感じの楽想だが色彩感があるし熱量もある。室内オケに改訂さ

れたんだろうが意外に規模感もある。
管のアンサンブルにホルストの『惑星』みたいなサウンドもあったりして、、、
心地よい。作風が大きく変わったのが、恨めしいくらい。しかたがない。
第3楽章の不穏が、この後の序章でしょうか。
ピアノと多分チェレスタがちらちら入り、独特のカラーリング。
いずみシンフォニエッタ大阪で演ってくれんかなぁ。

 

  (追)

  いずみシンフォニエッタ大阪の総監督西村朗さんが先週、急逝されたん

  でした。7月のコンサートでは、歩くのが少々不自由な感じは見えてい

  ましたが、癌のほうはもっと進んでいたんですね。ご冥福をお祈りいた

  します。

 

第2番;

でかいオケになったが、鬱で陰気臭い。温度は低い。規模感はあまりない。

この暗さ、自分に埋没してゆくのか、社会的な方向へ進むのか、第一楽章では
まだ判然としない。しかし第2楽章に入るとわかる気がしてくる。社会的なほ
うへだよね。そしてカタストローフ! 第3楽章はその後遺症的な暗いアダー
ジョ。一応盛り上がって終わるが、感情的なものはほとんど感じられない。
 
第3番;

楽章の名から早速影響を受け、①はギリシャ時代の儀式的なものとモダンなも

のとが同居する感覚。サックス、ピアノ、チェレスタなどが気になり始めると、
ギリシャ時代は消えちゃう。しかし②「古代ギリシャの酒神礼賛詩」風に入る
とまた古代がどういうものか響く。古代をネタにとても緊張感のある描写。こ
の曲なんかヘンツェはまだ23歳。老成してるよ。③に入ると、①と同じよう
にサックスなどの音で、古代を離れそうになるが、バーバリスティックな表現
がやはり古代から離れない。ぶ厚くはないけれど、不穏で激しい盛り上がりを
したまま、プツンと終ってしまう。第2番と通底しているような感じはある。
 

第4番;

9つに分かれていて、個々の楽章は短い。主に4分音符の速度表示がタイトル

代わりになっている。
体感温度低く、ウェーベルンを連想したけれど、そこまで修行僧みたいに「生
真面目」というわけじゃない。なに、哲学的思考の音楽化みたいなもんですよ、
などと(偉そうに)言っているみたい。ま、いつもの妄想です。
最後の⑮のみ、「大オーケストラ」を鳴らして、盛り上がります。
ただ、、、ワタシ、サウンドも曲想も暗いが色々あって案外いいですね、これ。
 

第5番;

始めは妙に乱暴な感じがした。聴く人の神経をぶしつけに刺激するというよう

な意味で、優しさ皆無・・・
でも、しばらく間をあけて聴いたら、印象がやや変わった。
体感温度の低い、抑えた調子からだんだん饒舌になって行く。人間関係の諸々
とか、社会的な、あるいは歴史的な事件や関心事が、網の目のように絡まって
いて、それもちょっとホラー風味のあるサスペンス映画のよう。欲張りな作曲
家の欲張りな音楽という気もする。しかもまだかなり不満たらたら・・・
なんてね、完全にワタシの妄想。気に食わないようでいて、妙に刺激されては
いるのです。(こうして、いろんな音楽を次から次へと聴きたくなる)
 

第6番;

三つのパートに分かれている交響組曲ふうで、中のバンド数は合計9つ。

これだけがロンドン響との録音であることなんか別にどうでもいい。 問題は、
なんたって感想がまとまらないことでしたね。短い楽章個々の楽想は5番なん
かよりは練れて洗練されてもいるようなんだが、それでも。
ま、5番で書いたことと大体同じようなものなんだけれど・・・ここでは(正
直に?)別のタイプの感想にしてみますか。
ミステリーやサスペンスの映画のかつての雄であったヒッチコック作品。その
音楽をいくつも担当したバーナード・ハーマン。彼の音楽に倍する複雑なオー

ケストレーションを施したような音楽なんだが、ハーマンとの共通点があると

思ってしまったのです。

だから、その意味ではけっこう興味深いのだけれど、音楽は、心を打つ打たな
いではなく、面白くないのです。タイプとしては好きなはずなのに。わけがわ
からない。(ハーマンの音楽は実は決して苦手ではありません)
たとえばワタシは、ヒッチコックの映画がどちらかというと苦手なんだけれど、

その苦手さの理由と思っていることとどこか似ている。どこが?と言われても

うまく言えないのがまた困りもの。

人をじっくり描く気がほとんどなく、ただ動くキャラとして扱う感じ。少なく
とも複雑な存在じゃなく、感情も妙に通り一遍。その意味するものがヒッチコ
ックの人間性を表わしているかどうかはともかく。ま、そんなことと、たまた
ま共通点を嗅ぎつけた気がしたのです。なのに・・・
なんだかすごい含みのあるサウンドがしているのに、結局味気ない。

感情をいわば無視でもしているかのようなところがある音楽だと感じられるこ

ともあるかも。

例えばショスタコーヴィチだと、どうもこりゃあ「社会もの」らしいぞ、とい

う感じがしても、気に入ったものもいくつもあった。共通するものはあるんだ

けどなぁ。

ともあれ居心地がよくなかった。
 
というようなわけで、勝手なもんだけれど、これも鑑賞記。CD2枚、2時間半
を何度か聴きとおし、毎回少しづつ印象は変化したものの、通じて、聴くのが
あまり楽しくない交響曲群でした。
教養と社会的・歴史的な方向性のある音楽とでも言いましょうか。
あまりに感情が出過ぎたものも鬱陶しいし、これのように出ないのもシンドイ。
美麗なだけなのもすぐ飽きるし、これのようにまるでないのもイヤ。好みに近
すぎるのもちょっと「警戒」してしまうし・・・で、楽しめるものといっても
案外いろんな条件があるもので、エエカゲンなものであるのはよくわかってま
すが、でもね、好きな「クラシック」だけを“ためつすがめつ”して満足を得る
よりは、いろんなものを聴くのが一応好きなのです。もちろん、ワタシなりの
「クラシック」ってやつはあるんですよ。
 
さて、印象が最も「悪くなかった」1番もしまいにゃあ色褪せてしまいました。
そして7番以降への再挑戦(他にもいろんなジャンルのものをリストアップし

ています。ギター曲なんてよかったけどなぁ)は、相当遠のいてしまったみた

い。

映画『東ベルリンから来た女』

20230811(了)

映画『東ベルリンから来た女』

 クリスティアン・ペッツォルト監督・脚本//

    ニーナ・ホス/ロナルト・ツェアフェルト

 2012年製作/105分/G/ドイツ/原題:Barbara/DVDレンタル
 <★★★☆>

ダイアン・クルーガーが出ていると、ずっと勘違いしていました。
東西ドイツが分かれていた頃のお話。
東ベルリンから東ドイツの北のほうの海が近い田舎町に、女医(バルバラ
がやって来る。小児病棟で働き始める。
なんでこんな田舎の病院にやって来たのかはよくわからない。ちゃんとした
医師のようなのだが、どこか疲れてアンニュイに見え、確たる目標意識は乏
しそう。それと官憲(秘密警察?)の目を常に気にしている。
彼女には親しい男がいて、その男は共産主義政権の役人かなにからしい。
逢瀬ごとに、ひそかに西ドイツへ(あるいは西側へ?)行こうという計画を
準備しつつあることがわかってくるが、にも拘らず、彼のほうが西へ行く
(逃げる)ことを躊躇している発言をし始めたりする・・・
そんな中、厄介な患者二人が彼女の仕事上の関心事になり、打ち解けはしな
いながら、誠実な男性医師と共に治療などの対応に深く関わり始める。アン
ニュイさは影を潜め、関心事が医師としてのそれで占められてゆく。
 
東西冷戦の政治的なことだとか国内の相互監視の情報戦なんかの話だろうと
思っていたもんだから、意外な展開・・・
40年強、ドイツは東西別々の国に分かれていたわけですが、これは1960
年代ぐらいでしょうかね。車の型式で、そんなもんじゃないかと。車のこと
は実はよくわからんのですけど。
 
もっとも、彼女の足はもっぱら自転車で、林の中なんてのもあるけれど、多
いのはバルト海からの風の強いなだらかな土地。ありゃ相当長い距離を走っ
ての通勤なり秘密の行動なりだね。
この細身な女優さんの自転車の運転は安定していて、実際に上手かったんじ
ゃないかなぁ。
その自転車の形は、今とそんなに違わないママチャリでしたが、大きく違っ
ていた点がひとつ。ブレーキが右側だけだった。こいつで前輪・後輪ともか

かるようになっていたのか、前輪か後輪だけだったのか。

どうも前輪だけのようにみえる気がする。

最近中学の同窓会の反省及び幹事の交代という会のために、1年ぶりぐらいで
自転車に乗りました。カミサンのバッテリーがついたヤツ。
結構坂がある道でしたが、太ももが猛烈に疲れた。イヌコロとの散歩でいくら
歩いても、自転車の筋肉のためにはほとんど役に立ってないんだと思い知りま
した。いろいろ考え直さないといけません・・・

 

脱線しました。
おしまいに彼女はある決断をします。ちょっと「おあつらえ向き」過ぎた感は
あるものの、納得はしました。

グラッペリ & ペトルチアーニ/フラミンゴ

20230806(了)

グラッペリ & ペトルチアーニ/フラミンゴ

Stephane Grappelli & Michel Petrucciani 〈FLAMINGO〉

  ステファン・グラッペリ(vln) ミシェル・ペトルチアーニ(p)
  ロイ・ヘインズ(ds) ジョージ・ムラーツ(b)
  録音:1995年6月、パリ
  CD/ジャズ/Ⓟ&ⓒ 1996 Disques Dreyfus/Sony Musuc France/輸入/中古
  <★★★★>

グラッペリのヴァイオリンは知っているが、ペトルチアーニ(1962-1999)のア

ルバムは初めてです。学生時代のワタシにはまだ聴けなかった。って、もう半世

紀もたってしまいましたけどね。

骨形成不全という難病で、身長は1mぐらいまでしか伸びず、20歳までという
見立てを、37歳まで生きたが、やっぱり短い。よくもまあピアニストなんかに
なれたもんだ。
これは一応フランスのジャズということになるのかしらん。
 
ペトルチアーニについては、なにかのコメントに、ビル・エヴァンスが好きなら、
十分楽しめるとあった。言わんとすることはわかるけれど、似て非なる音楽だと

思うのですが、どうでしょう。特に、叙情のタイプ。エヴァンスのものは線が細

く、沈潜してしまいがちだし、場合によっては痛々しぐらいになちゃう。
それに対し、ここでのペトルチアーニは、ことこのアルバムについてのみという
制限付きだけれど、叙情的なところでの線は、その他もだけれど、決して細くな
いと思った。トリオやソロじゃないんで、なんとも言えないが、ここじゃあそん

な感じ。体のとんでもない障害からすると、意外なほど翳がなくむしろぐっと

「健康的」。

 
さて、このアルバムですが、華麗でスマートで、ものすごくよくまとまっている。
言わば、無茶苦茶普通の作品。誉め言葉です。
録音時86-7歳だったはずのグラッペリ(1908-1997)のヴァイオリンは、タイ
プとしては古いけれど、音楽は矍鑠とし、ありとあらゆるテクニックを正確に駆
使してムーディだし、それをリズムセクション3人が、のびのび受け、支えて、
しかも皆上手い。
ヘインズはなんたってコルトレーンのレコードでさんざん聴きました。
ムラーツは、東欧系のベーシストですが、ピーターソンのトリオにいた記憶があ
るし、「サド・ジョーンズ/メル・ルイス」のオーケストラにもいたような記憶
があります。「サド・メル」が来日した際聴きにいったことがありますが、その
時のベースはリチャード・デイヴィスだったかなぁ。(東欧出身というと、ミロ
スラフ・ヴィトウスという天才肌のベーシストもいましたねぇ、懐かしい。) 
そうそう、このムラーツさん、アルコが得意なんだそうで、それはこのアルバム
でもちょっとだけど披露してくれている。ジャズ・ベーシストのアルコはあまり

上手い人はいませんが、彼のは実に正確なもので、ヴァイオリンと絶妙に繋がっ

てました。

 
ヴァイオリン・ジャズのお手本のようなアルバムで、グラッペリのヴァイオリン

は古風なインプロヴィゼーションとはいっても、年齢など感じさせない立派なも

の。

ヴァイオリンのジャズを知らない人には、是非お薦めしたい。

 

ナチスの残した奇妙な建築物の話

 Schwerbelastungskörper

新聞の特集記事の傾向が、お盆前に戦争関連のものが濃くなり、そのあと

には関東大震災関連が主になった。毎年のこと。今はでかい特集はない。

というところで、戦争関連の期間に、たまたまのようにあった寄稿を切り

抜いていて、読んでみました。確かに戦争と関係はあるが、この時期にと

いう意図はなかったんじゃないか・・・ わかりませんが。切り口が面白

かった。多和田さんのエッセイは3カ月に一度、ぐらいの頻度でしょうか。

   (大新聞ではあるけれど、もう新聞を取らなくなっている方も多い

   でしょうから、紹介してみました)(新聞、値上がりしました!)

    (大事なイメージの絵はちょっとちょん切れちゃいました・・・)

ベルリンが大都会になったのは、まあ言い方にもよるんだが、比較的最近の
ことらしい。これをヒットラーは世界に冠たる都会にしようと頑張った。色
色頑張ったもののひとつだという。(それまでは)湖沼地帯の小都市だった
・・・ 昔から大都会だと思ってた。そうなんですね。
戦争に関係がある話としてでなくても面白いが、やっぱり戦争とは切り離せ
ない感じ、ってんで写した。
 Schwerbelastungskörper
ドイツ語らしい言葉をつづけた長たらしい語、シュヴェーア ベラストゥングス ケルパー。
重い+圧力+物体・・・
「重圧体」という彼女の訳語には確かに滑稽感があり、自分で笑ってしまっ
ている。
 
時節柄のエッセイなんだろうと思いますが、そうでなくてもなんだか面白い
話です。
傍線は、現在のロシアの一般的な市民について、ウクライナへ侵攻し続けて
いる自国の行為の真相を知ったら、どうなの?と連想した結果、思わず引い
ちゃった。
しがみつくという感覚はとてもよくわかる気がしてリアル。
 
多和田さんの作品は、昔のものをひとつ読んだだけで、あとはこんな新聞へ
の文章を読んでいるだけです。ドイツに住んで、日本語とドイツ語で書かれ
ている。ブレイディみかこさんとは少し違った目線――イギリスとドイツの
違いかもしれないし、もともと多和田さんが物書きだったせいかもしれない
けれど――違った市民目線のある書き手だと思う。
なにか最近のものを読んでみたいですね。例えば去年だったか、当紙に連載
されていたものとか・・・

 

 ドイツというと・・・ 

最近再放送されていたロシアの天然ガスのパイプライン、ノルドストリーム
だかのドキュメンタリーをまた観ていて、歴代ドイツ首相たちなどのよろめ
き具合や先見の明のなさ(これは失礼か)に再びくらくらしてしまったばか
り。特にシュレーダーさんなんて、極悪人に見えちゃった。そういう作りの
映像・・・ ま、外野席で観ている者の傲慢ですけどね。

 

杉浦日向子/『合葬』

20230802(了)

杉浦日向子/『合葬』

 ハ・ジ・マ・リ
 一~七、了、長崎より
 あとがき
  解説 小沢信男
 1987年/漫画/ちくま文庫//1982-83「ガロ」掲載/1983青林堂(章追加)/
 中古
 <★★★△>

 

江戸好きだった杉浦日向子さん(1958-2005)の初期の漫画で、「上野戦争

(前後)の話。
彰義隊が中心にあって、その構成員になるかならないか、などがいたって身
近な市民生活のレベルの中で描かれる。
三人の10代の若者の考えかた、感じかたを集約すると、
 
 バカげた戦だという大局観/主君に殉じる決意/所詮は時流の渦に
 巻かれる境遇
 
こういったもの。
庶民生活の中では、
 
   「……このきせるはちょいと面白いね、アノー上野の戦争の時分にゃ随分
 驚いたね、ェェ!? ウン、雁鍋の二階から黒門へ向かって大砲を放した

 時分には、のそのそしてられなかったァな、ウン、買いたくねぇきせるだ

    な。」

 
これは志ん生の「火焔太鼓」のまくらからの引用で、始めに書いてあるので
す。道具屋での世間話で、多分「大砲」がぶっぱなされるところなんだろう、
関係あるのは。確かに上野戦争のことがひょいと挟まっている。
「その感じ」をずっと念頭に置いて書いたんだと作者は言う。
 
解説には滅びゆく江戸の風俗や情緒がわかりやすく書かれているとある。
それが主眼なんだろうという気はするものの、歴史的人物の顔はともかくと
して、メインのキャラクターとその周りの何人かが妙に似ていて、しょっち
ゅう混乱したこと、セリフや説明の文字が小さくて、えらく困った(本当で

す!)こと、なども併せて印象に残ってしまいました・・・残念。もう小さ

い文字はアカンな。

いや、二十歳前の若者の国に関する信条の、あるいは信条のなさの、痛々し
さは、市民感情ともども、とてもよく描かれていたとは思っていますよ。
 
 維新は実質上維新(コレアラタ)なる事はなく、末期幕府が総力を挙げて改革
 した近代軍備と内閣的政務機関を明治新政府がそのまま引き継いだにすぎ
 ない。

 革命(revolution)ではなく 復位(restoration)

 である。 (最終章の頭)

 
『合葬』の意味は、小沢信男氏が最後に解題している。もっとも、そうされ
るべきものはほかにもたくさんあったように思えました。

小沢信男さんて、なんか読んだことがあるなぁ、もう忘れちゃいましたけど、

確か東京という町の話だった・・・
 
始めは「ガロ」への連載だったんですね。ワタシもむかし「ガロ」を時々読
んだが、手塚の「火の鳥」(始めのほう)のために、「COM」のほうを多く

読んでましたっけ。懐かしい。1982~83の掲載と載っているので、「ガロ」

はそのころはまだ出てたんだネ。

映画『コーカサスの虜』

20230803(了)

映画『コーカサスの虜

 監督・脚本;セルゲイ・ボドロフ/オレグ・メンシコフ/セルゲイ・ボドロフ Jr.
 音楽;レオニード・デシャトニコフ
 1996年製作/95分/ロシア&カザフスタン
 原題:Kavajazski Plennik/Prisoner of the Mountains/DVDレンタル
 <★★★☆>

ロシアとカザフスタンの合作映画。
でも場所はというと、「トルストイの原作を、現在のチェチェン紛争に舞台
を置き換えた本作の撮影は、チェチェンに隣接するタゲスタンの集落で行わ
れた」とあって、チェチェンの紛争がモデルなんやね。
 
よくある捕虜同士の交換のために生きたまま連れ帰られたロシア兵2人。一
人しか要らないが、片方は死にかけてるんで、と殺さないまま二人とも連れ
帰ったのが、死にそうなのも元気になっちゃった。
恨みや紛争や殺戮は、いたってのんびりして見える普段の生活の中に、あた
り前に存在している。捕虜である状態も然り。
死生観も妙に割り切ったものに見える。
 
ロシア領の中にチェチェン人が入るのは、かなり「まなじりを決して」行く
感じはあるが、いっぽうロシア人のほうは、なんとなく平然とチェチェン
内にずかずか入り込んでくる感じか。
でもまあ、上下関係は厳然としてあるが、隣り合わせの感覚ではあって、い
かにも皮肉や諧謔に満ちている。この辺がこの映画の面白さ、と言っては失

礼だろうか。長い諍いのただ今現在、という表現。イスラエルパレスチナ

の関係とは違うとは思うが、でもどこか似てない?

 
顔なんぞ違わない、言葉も通じる
‘人は争うものである’としか言えない世界中の紛争地のひとつというだけ。
こういうもので悩まないと人じゃない、みたいに争いがないとならない人の
本質には、別に暗くなることもない、そんなもんだよ、運が良けりゃ宇宙時
代に生き延びることもあるかもしれないけれど、なかなか難しいよねぇ、き
っと、といった感想で終わる。掘り下げはしてくれない。当然だけど。
 
おしまいは、せっかく人情というものを見せてくれたその瞬間、やっぱり!
という皮肉にちゃんと戻して締めくくってくれている。
日本人には理解しにくいが、乾燥しきっているものの、どこか不思議と叙情
味は感じられる。人間性の一部と言っていいかどうかはわからん。

 

ところで、この紛争の裏では、その後関連的にポリトコフスカヤやリトビネ

ンコが暗殺された、その紛争のことと考えていいのだろうか。それとはまた

別の世界の(紛争の)ことと考えていいことなんだろうか。

何を観たことになるのか、幻想味の強い不思議な映画世界でした。

音楽担当は、クレーメルとの(ピアソラ作品などの)作曲や編曲の共同作業
で非常に有名になったであろうデシャトニコフ。
といってもデシャトニコフさんが印象に残ったわけじゃなく、何曲かあった
中の最初のソース・ミュージックがこれのみ英語の歌で「Go down Moses」。
歌っていたのがどうやらまだジジイでないやや若い声のルイ・アームストロ
ング。キリル文字でわかりにくいが、歌手名はそう思ったからだけど、、、

そう読めた。だからどうなんだ、と言われても困ります。それだけのことな

んで・・・