休みには中古屋のはしごⅢ

基本音楽鑑賞のつもり。ほかに映画・本・日記的なもの・ペットなど。

ドホナーニ/ヴァイオリン協奏曲 第1番

20241229(了)

エルネー・ドホナーニ

/ヴァイオリン協奏曲 第1番

 Ernst von Dohnányi(Dohnányi Ernő )(1877-1960)

(1)ヴァイオリン協奏曲第1番 ニ短調 Op. 27  

                                                                              43:21 (1914-15)

    ① Molto moderato, maestoso e rubato        13:50
    ② Andante                  8:45
    ③ Molto vivace                6:04
    ④ Tempo del primo pezzo, rubato        14:42
(2)アメリカ狂詩曲 Op. 47  4:35 (1953)
 
   ウルフ・ヴァリン(vln.)
   アラン・フランシス指揮/フランクフルト放送交響楽団
   録音:1995年11月&12月、独 58:12
   1996/CD/クラシック/協奏曲/cpo/輸入/中古
   <★★★★>

ハンガリー人だから、正しくはドホナニー・エルネーながら、作曲する時は常に
エルンスト・フォン・ドホナーニと名乗ったそうな。有名な指揮者クリストフ・
フォン・ドホナーニさんが息子さんかもと想像していたら、なんとお孫さん。
 
音楽学校じゃバルトーク(1881-1945)と同窓なんて書いてある。バルトーク
り4つほど年上だけどね。ブラームスの流れを汲む、19世紀ロマン主義音楽の伝
統に忠実であり続けた、とも。
まさにその通り。
 
(1)ヴァイオリン協奏曲第1番
2番もあるのですが、こちらが安く手に入ったので・・・
音楽の出来が悪かったら感想文はやめてましたが、始まったら、これがなんとも
魅力的。馥郁たるロマンの香り横溢の(オーバーやけど)、とてもよくまとまっ
てもいそうなヴァイオリン協奏曲。4楽章もあって、ちょっと長いのが玉に瑕な
がら、これ、ブラームスのVコンの代わりにプログラムに入れちゃっても、ワタ
シなら問題ない・・・なんて書いてしまいそう。
第二楽章のアンダンテ、ブラームスと違う盛り上げ方がいい。
第三楽章はドイツものではない踊りなどの雰囲気や、バルトークのお国なんだな
と思わせるニュアンスもちょっぴりあります。ロマン派ではありえない不協和音
もあって、ご愛敬。
カデンツァから始まる最終楽章。いやもう感じがよう「似てます」。
ブラームスを聴くように聴ける気がします。そりゃプログラムを入れ替えてもい
いという発言は、まあ許されないでしょうが、いい曲に出来上がっていると思い
ました、本当です。
全体に甘く聞こえる理由の一つは、ハープが聞こえるからかもしれません。
 
このヴァイオリンの演奏がね、若干細いがよく歌って(楽譜の指示でなきゃ歌い
過ぎかも)美しく、実にロマン派っぽい。オケはブラームスほど厚みは感じない。
表情は濃くなく滑らかで、アンサンブルは十全。

 

  クリスチャン・フェラスのヴァイオリン、カラヤン/ベルリンフィルによる
  ブラームスの協奏曲の録音をちょっとだけ思い出しました。ヴァイオリン
  の細さってことかな。オケの厚みは全く違うしね。

 

(2)アメリカ狂詩曲
アメリカ国歌をもじったみたいなスタートだったんですが、次第に黒人の歌のア
レンジへ進み、途中ではそれがなぜか西部劇のように聞こえたあとは、テンポの
ある(アイルランド由来のものが多いのかな)アメリカ民謡と黒人の歌が入り混
じるようにして盛り上がって行く。
なんだか「公平」な音楽になっている感じ。アメリカ人には案外こういうの、作
りにくかったりして。知りませんがね。で、この方、結局はアメリカに亡命した

んだ。編曲がうまかったそうで、さもありなん。これもなかなかどうして、いい

曲でした。

 
半分はピアニストだったよう。そっちの曲はいまいち聴きたい気は起きないんで
すが、シンフォニーは2番あたり、ちょっとだけ聴いてみたいですね。

映画『クワイエット・プレイス DAY 1』

20250101(了)

映画『クワイエット・プレイス DAY 1』

   マイケル・サルノフスキ監督/ルピタ・ニョンゴ/ジョセフ・クイン
   2024年製作/100分/米/原題:A Quiet Place: Day One/DVDレンタル
   <★★★>

元旦に、孫たちが帰ってしまってから、ゆっくりお茶など飲みながらの鑑賞。
踏ん張った「おせち」もほぼ食べ終わり、明日は老母と妹夫婦。「鍋」の予定。
 
これは続編じゃなく、前日譚風なものだとカミサン言っていたけれど、続編で
しょう? 違うか。違いますね。
始めは、(別の場所では)こんな感じだったんだよ、ぐらいのものみたい。
 
宇宙から隕石やらなんやらが落ちてきて、ほとんど翌日には(そんなイメージ
でした)世界は無茶苦茶になっちゃう。とんでもない奴がやってきていた。
音を立てたりしゃべったりすると、たちまち狂暴邪悪な怪物があっという間に
一匹だったり、わらわらとだったりするが、現れて殺されてしまう。
理屈としてはいろいろ変だが、強引に押し通しちゃう。
水は嫌いなようでね、入ってこないし、水音はカムフラージュに少しは使える
時もある。前のものの一つ、かなり忘れたけど・・・おんなじやね。
 
今回は(前の場所は忘れちゃった)ニューヨークの街中が描かれます。主役
は間の悪いことに、郊外の施設から偶然町に来てしまって遭遇する。
怪物の目的なんざ何もわからなくて、それはいいんだけれど、数や密度がい
まいちわからないのと、音への反応について、ちょっと矛盾があったようなの
はちょっと気になりました。ただただ異常な聴力。
怪物は前にもきっと書いたはずで、目に当たるものはなく手足は4本だけ。
動かし方はかなりクモに似てましたね。口の形状なんかモロそう。
結構楽しく観ました。続編が作れそうな伏線もありました。
 
本作の主役の一人は若いが死病に取りつかれてホスピスにいる黒人女性で、
嫌味な口調。猫以外はすべて敵といった喋りをしがち。実際は辛そうなんだが、
大いに頑張ります。ルピタ・ニョンゴさんだったのね、いくつも観ているはずなの
に気づきませんでした。これじゃカミさんの顔認識ソフトが壊れいるなどと偉そ
うなことは言えない。
 
音楽はドンドンガンガンの効果音的でしたが、最後にはニーナ・シモンの歌で
締めてました。意表を突く選曲。ニーナ・シモン歴は古くてね、懐かしかったで
す。なので、これでも点数ちょっと上がった。

 

ハチャトゥリアン/「ガイーヌ」組曲

20241224(了)

ハチャトゥリアン

「ガイーヌ」組曲 第1番 - 第3番

Aram KHACHATURIAN(1903-1978) Gayane Suites Nos.1-3

組曲 第1番
 ①序曲              1:30
 ②ガイーヌとギコ         2:51
 ③アルメンのソロ           3:44
 ④アイシャとアルメン         3:39
 ⑤ガイーヌのソロ           3:35
組曲 第2番
 ⑥収穫祭             2:33
 ⑦娘たちの踊り          2:31
 ⑧シャラーホ           2:18
 ⑨花嫁選び               3:04
 ⑩子守唄             5:16
 ⑪剣の舞             2:26
組曲 第3番
 ⑫狩り              5:01
 ⑬村人全員の踊り            1:50
 ⑭アイシャのソロ          1:42
 ⑮ガイーヌのアダージョ       4:56
 ⑯ソロ/愛のデュエット       4:49
 ⑰終曲               4:17
 
  アンドレ・アニチャノフ指揮
  サンクトペテルブルグ国立交響楽団
  録音;1993年8月、ロシア、サンクトペテルブルグ放送、スタジオ1 Tot.56:02
  CD/クラシック/管弦楽曲/Ⓟ&ⓒ 1994 Naxos/輸入/中古
  <★★★★>

『ガイーヌ』はパラパラと知っているのですが、こうした組曲3つで多くを聴くの
は初めて。だから全曲だって聴いたことはない。
間違いなく、セミクラ、なんていう軽いイメージがあってちゃんと聴かずに来てし
まった曲。そういうのもたまには聴いてみようなんて気を起こすこともあって、今
回はそれ。と、正直に、もうひとつ⑮のため。もったいぶることもない。安かったし・・・
 
この組曲の中には数少ない知っている曲「バラの乙女たちの踊り」も「アイシャの
目覚めと踊り」も、そして「レズギンカ」すらも収録されていません。曲のあちこ
ちには、それらからと思しいメロディが埋め込まれていたりはしています。
その他マイナス点を先に書いてしまうと、録音。悪いとまでは言えないのですが、
スタジオ録音らしく、ホールトーンが人工的で安っぽく、ダイナミックレンジがな
んだか狭いせいだろう、音量を上げるとウルサイ。シャッキリ感もいまいち。録音
をいいと書いた評はあったが、決して魅力的だとは言えないと思う。
 
でもそれらを帳消しにしてしまうといってもいいところがいくつもありました。
第一に、この演奏には外連味は皆無と言っていいが、熱気だとかパッションだとか
いったものが強く感じられたこと。ハチャトゥリアンアルメニア人なのであって、
この演奏者たちのような白ロシア人じゃない、お国ものというのは正しくないんだ
けれど、でもコーカサスのことなんか知っているんじゃないかなぁ。
第二は、オケが上手い。サンクトペテルブルクってんだから、レニングラード。か
ムラヴィンスキーの手兵レニングラードフィルハーモニー交響楽団がこれにな
ったんじゃないかと思いたいところなんだが、それは違うよう。レニングラード
フィルは今はサンクトペテルブルクフィルハーモニー交響楽団。(このごろその
名を聞かないって、、、当然か)
第三は、⑮アダージョですよ。『2001年・・・』のサントラは、ハチャトゥリ
アン自身が指揮したウィーン・フィルハーモニーの演奏で、映画の影響もあるかも
しれないけれど、深く沈潜してゆくような感じでテンポもゆっくりなのに対して、
ここでのアダージョは、もっと「歌って」暖かく、テンポがもう少し速いのね。も
のすごく違う。でもワタシ、聴いてて思わず涙が出そうになっちゃった、、、 ま、
それもこれも映画のせいと言えば言えますが(ジジイになったせいもあるんでしょ
う)。 ああそれと、映画で使われたのはフル・ヴァージョンでなく、途中までの繰

り返しだったのね。知りませんでした。ホントに上手く使われていた。見事なアイ

デア。

さて、第四は、ちょっと変った音楽だなぁと思えるものが、いくつかあったこと。
例えば⑦とか⑧。民族色を超えたオリジナリティがあると思いました。
 
そんなことで、初めて聴く曲が多かったものの、聴きやすさ抜群。悲し気な曲も含
めて乗りよく楽しむことができました。まぁ、ちょっと飽きが来るのが早いかもし
れないけれど・・・ 車内でかなり大きめの音量で鳴らしておりました。
 
次に「スパルタカス組曲」なんてどう?(昔聴いてつまらなかったやつ・・・)

高瀬隼子/『おいしいごはんが食べられますように』(文芸春秋)

20241216(了)

高瀬隼子/

『おいしいごはんが食べられますように』

  2022年9月/雑誌/文藝春秋/中古
  <★★☆>

東京の都心というわけではないが、そうとう大きな会社の事業所。化学製品の
製造かな。その社屋の中でのある部署の、主に男女模様を中心にした会話。
 
そのうちの男二谷。仕事が好きというのでもない、できる人間には見てもらい
たいレベルで、ゆくゆくは少し出世などできればいいというぐらい。生活にも
拘ったものがない。女とのやり取りも、いちおう考えはするが割り切ったもの
で、かなり大雑把な感じ。思ってもいないことを平気で言い、どこか根っこと
いうものがない。彼の視点が一つ。三人称的に扱われる。
もう一つの視点は女性で、大学時代にチアリーディングを引っ張った押尾とい
う、ドライな女のもの。二谷にも、その他の社員にも結構興味がある。彼女の
場合は一人称的視点。
 
ワタシにゃ社内の人間関係なんて、別に小説で読みたいとは思わないし、はじ
めはいささかげんなりしたが、この二人の視点から物事が交互に見られる構図
に慣れてくると、人間関係のどろどろを描きたいんじゃないと分かってくる。

収斂するというんじゃない。様々な「食」「デザート」あるいは「食事」をネ

タに進んでゆく。

 
二谷:
 「おれは生きるためじゃない食べ物が嫌いだ・・・二谷は思うのだけれど、

 でも毎晩ビールを飲んでつまみは食べているなと思うと、自己矛盾で苦しく

 なる」

 「なるべくちゃんとしていない、体に悪いものだけが、おれを温められる」
自分を大切にするという考え方はしない。「苦しくなる」がふるっている。感
情は動いてそうなのに、実はそれをよくわかっていない感じ。仕事と生は、人
との付き合いと生は、関係ないよう。
 
押尾:
 「わたしたち助け合う能力をなくしていってると思うんですよね。昔、多分
 持っていたものを、手放していっている。その方が生きやすいから。成長と
 して。誰かと食べるごはんより、一人で食べるごはんがおいしいのも、その
 ひとつで。力強く生きていくために、みんなで食べるごはんがおいしいって
 感じる能力は、必要ではない気がして」

わかるようなわからないような。今時のまともそうな理屈。アスリートの「闇」

っぽいものに通じそうでもある。

 
近づきかけて、友達状態で落ち着くこの二人の間に芦川という、やや年かさで
自宅通勤の女性がいて、二人からイケズすらされる。それだけ大きな存在であ
ることがわかる。弱々しくかわいいばかりで能力や体力は乏しいマスコット。
しかし能力というなら、皆から守ろうとしてもらえるというのもまた一種の能
力。もう一つの得意技は問題のお菓子作り。俄然リアルな存在感。彼女の視点

はないので、あったら(毒でもあったらなおのこと)・・・ でも、別の小説

になってしまったかも。

彼女は二谷の部屋に来るようになるが、二谷から愛されているわけでもないし、
同性の押尾からは嫌われてもいて、話の進行上、なにかとネタになる。
微妙に異なる二人が主題かもしれないが、実はこの芦川が狂言回し的。
二谷は転勤が決まるも、このお化け的気色の悪さがある芦川と関係が続き、結
婚することになるかもしれないなどとも考えて終り、押尾ははじかれて退職が
決まり、逃げ出せたかのようにせいせいして終わる。特に二谷のほうは、自閉
症の一歩手前とか、生物学上の疲弊なんて言ってもいい。二人の感性や思考は、

例えば、言い方が古いですが、「現代の実存主義文学」みたいな感触をくれま

したね。

オーバーかな。収斂してゆくものなど、対象はハナから何もないと思う。
 
作者は、書きたいものを書いているんだろうが、そんな感じじゃなく、
  小説を書いている時、わたしは自分が何を書きたいのかわからない。書き
  終えて読み返した時に、小説の方から教えられる・・・
と、「受賞のことば」という短文にある。ホンマカイナ。でも、そうやね、純
文学系なんて(もう死語?)こんな人もけっこう多いんとちゃう?
今回は何を教えられたんだろう。果たしてそれが、上記の「現代の実存主義
学」のようなことなのかどうかはわかりません。
どこか懐かしいものの、正直面白くなかったです。考えこみましたけどね。そ
れが「面白かった」ということなのかな。そうじゃないよな。
何が評価されたんでしょう、言葉の並び方がどこか変な気がすることが多いの
だけれど、でもやっぱり、この不思議に痒いところに届いていそうな文章(今
風に「あるある」というやつ?)、ということなんでしょうか。ま、エンタメ
じゃない。突き放されているふうな「文学」なんでしょう。
 
読後、受賞インタヴューは止めて、芥川賞を選んだ小説家たちの選評をざっと
読みました。色んな評があるもんです。これが文学ってものなんでしょう。そ

して他の4候補作品がぐっと今風で皆暗そうだったこと!(「今風」も「暗そ

う」も無意味か)

 

 

<付録>

点数低いわりに、一寸長くなっちゃいましたけどね、ほかでアップする機会がな

さそうなものを、ついでにくっ付けておきます。

表紙からしばらくのカラーの部分に中野京子さんの絵の解説があった。予想し

てませんでした。(今、中野先生の次の本、探しているところです)

で、これは、17世紀オランダのボルフとかいう画家の『父の訓戒』。

父親が訓を垂れているところなんかじゃない、実は全くシチュエーションが違

っていたというのね。

後年ゲーテなどが持ちあげちゃったので訓戒込みで有名になってしまったんだ

が、なんとまぁ、娼館の中でのことで、男は客、女は「やりてババア」と判明

したんだとさ。男の手にある指輪は、もともと金貨が挟まっていたのが、描き

替えられていたんだって。

こういうところに先生のものは連載されてるんだなぁ。絵の解説は面白い。も

っと読みたくなります。

(ハイ、もちろん小説とは一切関係ありません・・・)

(分厚い雑誌のほんの一部を紹介したことになります)

映画『ボーは恐れている』

20241227(了)

映画『ボーは恐れている』

 監督;アリ・アスターホアキン・フェニックス
 2023年製作/179分/アメリカ/原題:Beau Is Afraid/DVDレンタル
 <★★>

一年の最後に、なんともはや、感想文の書きにくいものを選んだものか。
ヤレヤレです。
 
この50歳前後ぐらいの不運な男の物語の前段部分が、性に目覚めるあたりか
ら直前までは、オッサンから見せ始められるんだから当然と言っていいんだが、
小出しにされる。
たくさんの逸話の表現も映画全体に深く絡みついているので、一応先を知るた
めに観続けるしかない。
頭のいい?勝手な母親と、いまいち頭がいいとは言えない(中には自閉症なん
て言葉もちらっと出てくる)、ひどく臆病な男の、救い難い関係を、描いてい
る。今は死んでしまっているらしい父親のことも、散々ネタになる。
そもそも、ボーの住むみ町の様子がいかにも変。異常者ばかりなので、こりゃ
あ普通の表現と言えるわけはない、ほとんどSF的とわかる。まあ「ダークファ
ンタジー」が近いか。この言葉には違和感もありますがね。
彼の周りで起きることは眉を顰めざるを得ないことばかりが繋がっている。タ
メ息やおどおどを繰り返すボーにだんだん、眉を顰めるのがめんどくさくなっ
て、笑ってしまうようになって来てしまった。現実と非現実の境目が曖昧で、
それらがことごとく「悪夢」といっていいものなもんなんだから、いちいち気

味悪がってちゃあ観続けられんよ・・・。(観ている間に間に合えばいいんだ

ぜ、きっと)

 
長い3時間のうちでいえば、母親がどうやら死んでしまったらしいということ
がわかるのは、いたって初めの方で、決心するまでには時間がかかるが、母の
家は車で5-6時間というところらしく、そこへ行かなくちゃということになる。
ところが、もう、けったいなことが起きること起きること! 母親のこと(≒死
のこと)がストーリーのエンジンになっているんだか、なっていないんだか、
よくわからない。匂わせてくれていたように、お話としては二転三転します。
(こんなの、ネタバレにはならないと思います)
 
最後の、天国か地獄か、みたいな裁判は、これでもかという悪夢の仕上げにな
っている。よくもここまでこしらえたもんです。
終わって脱力。
疲れるってんじゃないけれど、3時間かけて観たいってもんじゃなかったです
ね。この優柔不断ふうな性格自体が、ここまで極端ではないとしても、自分に
通じるところもあるからなおさらなのです。嫌いとも、そうでもないとも言い
にくい。点数低すぎたか・・・。
 
この映画作家にはやられてるんだった。これはエンタメなんですよ、いや―な

気分になってくださればいいんですよ、なんておっしゃってるんでしたっけネ。

なるほどね。

とはいえ、ワタシとしましては、今後選ばないように名を覚えておかないとい

けない(すぐに忘れるのです)。

確かにこれも戯画であって、つまりエンタメだと思うけれど、楽しめません。

 

ハイ・ファイヴ/トルヴェール・クヮルテット with 本多俊之

20241128(了)

HIGH FIVE/トルヴェール・クヮルテット                        with 本多俊之

    ①プロローグ                  0:58
 ②ヒグルディ ピグルディ               3:55
 ③サクソフォン・パラダイス I            2:48
 ④サクソフォン・パラダイス II              3:30
 ⑤サクソフォン・パラダイス III             5:07  
 ⑥ラッシュ・ライフ(ビリー・ストレイホーン)           5:03
 ⑦オレオ(ソニー・ロリンズ)             2:13
 ⑧ハイ・ファイヴ                0:57
 ⑨ミュージック フォー シネマ               9:55
   マルサの女~あげまん~ミンボーの女スーパーの女マルタイの女
     ~マルサの女
 ⑩D-ウォーク                  4:29
 ⑪マイ・ロマンス(リチャード・ロジャース)             3:57
 ⑫スペイン(チック・コリア)              10:32
 ⑬エピローグ                  0:51
 
   プロデュース、作・編曲:本多俊之
   演奏:トルヴェール・クヮルテット + 本多俊之
    本多俊之(S&A・Sax)、須川展也(S&A・Sax)、彦坂眞一郎(A・Sax)
    新井靖志(T・Sax)、田中靖人(Ba・Sax)
   録音:1997年6月・7月、東芝EMI 第3スタジオ
   1997/CD/サックス・アンサンブル(ジャズ系)/東芝EMI/邦盤/中古
   <★★★★>

                           (本多氏は右から2人目)

あけましておめでとうございます。
11月中にメモしていた分、ちょっと古いんですけどね、ありましたので、これ
を今年最初にアップすることにしました。
 
見事なアルバムなんだが、どういうふうに書いたらいいのか、妙なことに、よく
わからない。サクソフォンだけのアルバムって、ワタシは好きですが、一般的で
はないというか、やや特殊なサウンドなのかもしれない。(違いますね)
 
ワタシにとってこのアルバムは、ジャンルを決める必要はさらさらないものの、
まぁジャズ系。すべて本田俊之のしっかり隅から隅まで施されたアレンジによる
ものだからね。でもって、それも、コンボのモダンジャズじゃないと思う。
思うに、ビッグバンドジャズ、あるいはスーパー・サックスのような、大きめの
バンドを想定したものとして聴かせてくれているようなんだな。当然、クインテ
ットなので、音が少ない分、頭の中で補足させられている感じ。
さらに言えば、補っているのは音だけじゃなく、「理屈」をも補っているみたい。
なぜと言われても、そう感じるんだから仕方がない。わからないと書いた所以。
おそらく本多さんはジャンルにこだわっているわけではないでしょう。
 
肌感覚のような楽しみ方でなく、理や知の勝った聴き方を強いる気があるとワタ
シは思います。音色は感覚的なもので、非常に好きなタイプのものなんですがね。
で、その上で(感覚のチョイ外側で)楽しむと言うしかない。
楽しめるのかと言われるかもしれないが、それは大丈夫、楽しめます。
トルヴェールの方向性にも一応合致しているんじゃないかと思います。
 
⑥⑦⑪⑫はジャズ・ジャイアンツの曲で、本多色に染まり切れない、あちらのジ
ャズ色がある(スタンダードであることを意識する、ぐらいが正しいのかな)け
れど、それ以外は本多のオリジナリティがよく出ている。
とりわけ特異なのが、『マルサの女』から始まる⑨。映画音楽だからか、伊丹十
三の意向が加わっているからなのか、これらはもはやジャズ系とは言えないね。
これに映画音楽という以外のジャンル名は付けられない。異彩を放っている。面

白かったですね。『マルサの女』なんてまだ覚えておられる方も多いでしょう。

これに比べれると、例えば、チック・コリアの超有名曲⑫には、始め、「アラン
フェス協奏曲」からちょっといただく(第一楽章の出だしと、第二楽章の有名な
メロディ)なんてことをしていて、フーンと思わせても、阿る感じ(?)があっ

て、かえってやや凡庸にさせているかも。繰り返しになるが、概してオリジナル

のほうが面白い

 

スペイン映画『PIGGY ピギー』

20241219(了)

映画『PIGGY ピギー』

  カルロタ・ペレダ監督/ラウラ・ガラン
  2022年製作/99分/スペイン/原題:Piggy/DVDレンタル
  <★★★☆>

スぺインの田舎でのお話。
 
肉屋の娘サラ(高校生のよう、ということは出てくる男の子も女の子も皆高校生
ってことか、そうは見えんがなぁ)、なにがなんでも第一は食欲で、太り過ぎて
いて劣等感の塊。友達もいない。女の子も男の子も「自然プール」だかに行くの
で、自分も行きたい。で、こっそり行ったら3人の性悪娘たちに見つかり、散々
からかわれ、馬鹿にされ、ついにはひどいいたずらまでされてしまう。服を取ら
れちゃうのね。泡を食い、怒るよりもあたふたしてしまったサラには、プールの
中に死体があったことなんかには気が付かない。こんな裸同然で帰らねばならな
いのだし・・・ なんてのが出だし。皆、スマホは持ってるから、現代やね。
 
サラがこそこそ裸同然で帰りかけたら、あのイケズな女の子たちが中年近いごつ
い男にボコボコにされた後拉致されたのがわかる。サラと男の視線が絡み、疎外
された者同士の気心が通じでもしたか、男は目撃者サラを襲わず、車は女の子た
ちを乗せて走り去り、サラももらった一枚の布切れのような服(すぐに自分のも

のでないとばれるかと思いきや、ずっと後になってからしかわからない)を羽織

って帰る。

 
その後、プールで警備員の死体が見つかり、次に女の子たちの失踪がわかり、町
は騒然、、、
サラは始め、プールへ行っていないし、女の子たちが連れ去られたことも知らな
いと嘘をつくものの、当然そうはいかなくなってくる。男との目くばせがあるも
んねぇ。で、話はややこしくなる・・・
男との気持ちの通じ合いのようなものが、どうなって行くかというのが軸のよう
な感じもなくはないけれど、サラに嘘をつかれたとわかってからの母親や、失踪
娘の親たちや警察の出番が俄然増えてくる。中でもサラの母親の、娘大事とはい
え、狭量な価値判断でもって機関銃のように喋りまくる様子は、大いに眉をひそ
ませてくれる。
 
あの太りようで裸同然のシーンが多く、しかも体中をゆすっておたおたする場面
もふんだんなもんだから、自閉症かなにかなのかなと始めは思ったんだけれど、
実は決してそんなことはない、普通の頭脳や神経の持ち主だし、感受性も普通。
(サラを演じた女優さん、なかなかスゴイ! お母さん役も)
でも話は、絶望的な状況に突入してゆくのです。悪趣味だといやがる方もいらっ
しゃるとは思いますが、後半は結構面白いので、観てみてください。テンポ感は
終始乏しいんだけれどね、なに、ハリウッド映画じゃないんだし、かまやしない。
「リベンジホラー」なんてポスターにも解説にもある。でもどうだろう、そうい
う面もあるけれど、ちょっと違うんじゃないかしらん。

 

 

12/29(日)
今年は、紛争と選挙と災害と、そして変な話、ゴミのポイ捨て(ハハハ)を通じ
て、民主主義のことを考え・・・、それがどんどん遠のいて行くような気分を味
わった気がします。それも、意識すればするほど。

そして来年もきっと味わい続ける。世界中がさらに「混乱」し悪夢を見続けるこ

とになるような気がします。

どうかそうなりませんように。そして、どうぞよいお年をお迎えくださいますよ

う。

今年はここまでです。