前回の本屋大賞の第一位になったとかの超人気小説。 |
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北海道の田舎の高校生が、偶然体育館だかに置いてあるピアノの調律に立 |
ち会うことになる。そこでもって啓示を打たれたようになって、ピアノの調律師 |
になっちゃう。調律をしてくれた調律師の所属する会社に入るんだね。 |
とてもやさしく、気づかいも行き届いた、とてもニュートラルというか、わだかま |
りが乏しいまま育ったとでもいうか、今多いタイプだろうか。物言いは比較的 |
ストレートでコミュニケーションも取れる。美男子ならかなりモテそう。 |
この奇妙で不可解な世界での彼の成長譚のとっかかり。 |
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かわいい男の子、かわいらしい双子の女の子、癖のあるオッサン調律師が |
何人か・・・映画化されて、今けっこう観られているんじゃないかな。 |
映画はとりあえずパス。 |
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絶対音感がそう簡単に身につくものかという気がするが、サポートする機器 |
があって、チューナーと言っていた。音叉のようなもの以外にあるみたいやっ |
たね。今どき当たり前か。 |
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人にはひとりひとり生きる場所があるように、ピアノにも一台ずつふさ |
わしい場所があるのだと思う・・・ |
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と、ホールにあるピアノのことを考える延長で、 |
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・・・ 音楽は競うものじゃない。だとしたら、調律師はもっとだ。調律 |
師の仕事は競うものから遠く離れた場所にあるはずだ。目指すとこ |
ろがあるとしたら、一つの場所ではなく、一つの状態なのではないか。 |
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と考え始める。半ばぐらい。 |
かなり前に、ショパン・コンクールの調律師のドキュメンタリーをテレビで見た |
ことがある。欧州では後発と言っていい河合ピアノの調律師の奮闘記。まあ、 |
ある状態を目指すと言っても、(‘状態の売込み’の)凄まじい競争世界だっ |
たけれど・・・、この主人公の思いは、それはそれでいいんだろうな。 |
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あとは少し引用してみますかね。 |
双子の女の子(のピアノ)の対応の中での言葉・・・ |
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「ピアノを弾き始めたらひとりです」 |
・・・ |
「だから、その一人を全力で私たちが支えるんです」 |
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まあこれが、人前でピアノを弾く(ピアノで生きる)ピアニストのピアノを調律 |
する時の調律師の基本的スタンス。 |
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家庭のピアノを調律して嬉しい言葉・・・ |
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「あなたのおかげで、うちのピアノがすごくいいピアノに思えたの」 |
とか、 |
「うちのピアノを、大事そうに、愛おしそうに扱ってもらえてうれしかっ |
たのよ」 |
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とかだね。 |
基本的にこの小説は、こうした優しいまなざしで、調律師の世界を描いてい |
る。あまりキツく表現しない。せいぜい、 |
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一弦ずつ、音を合わせていく。合わせても、合わせても、気持ちの |
中で何かがずれる。音の波をつかまえられない。チューナーで測る |
と合っているはずの数値が、揺れて聞こえる。 調律師に求められ |
るのは、音を合わせる以上のことなのに、まずはそこで足踏みをし |
ている |
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という感じであったり、更に進んでいっても、 |
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「そのピアノで弾くとね、ピアニストが思っていることが全部音色に |
出るんだ。逆に言えば、ピアニストの中にない音は弾けない。ピ |
アニストの技量がはっきり出るってこと」 |
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ぐらいの厳しさで、才能や技術的ないろいろや‘業界’のいろいろには敢え |
てだろう、あまり深くは踏み込んでいない。彼の成長も先が長そう。 |
その代わりと言っちゃあナンだけれどでも、ピアノというものがタイトル通り |
の、素材を超えた、たいそう奥深い“羊と鋼の森”であることは、わかりや |
すく伝わってきたように思う。生っぽい取材内容が多いかもしれないもの
の、文章も平易でよかった。
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唐突ですが、三浦しをんの『神去なあなあ日常』という小説で、さらりと描 |
かれた林業を思い出した。この小説も確か話題になって、映画化もされた。 |
これに影響を受けて、少しは林業に(大変であるはずの林業に)チャレンジ |
する若者が現れたんだろうか。 |
でもって、翻って、この小説で(映画でもいい)、調律師に俄然興味を抱き |
始めた若者なんて、いるんだろうか。そういう追いかけなら知って「フーン」 |
と言ってみたい。 |
『神去なあなあ日常』には続編があるようで、何がどう描かれているかは |
知らないんだけれど、これにも続編が必要かも。 |
ところで・・・ |
女性の調律師もいるんだろうが、現実にもテレビなんかでも、これまで見た |
ことはない。これも紹介されているなら見てみたいネ。 |