| 20210417(了) |
青柳いづみこ;『モノ書きピアニストはお尻が痛い』
| 私の中の「二つ」 |
| ドビュッシーのなかの「二つ」 |
| ピアニスト的作曲家論 |
| 音楽の背景 |
| 大いに飲み、食べ、語る |
| ピアニスト的演奏論 |
| 演奏することと書くこと |
| あとがき |
| 文庫版のためのあとがき |
| 解説 ―― 小池昌代 |
| 2008年/音楽系エッセイ/文春文庫/(単行本「双子座ピアニストは二重人格?」改題 |
| /音楽之友社2004年)/中古 |
| <★★★★☆> |


| この物書きピアニストの本は二冊目。一冊目は『六本指のゴルトベルク 』 |
| で、たいそう面白かった。ピアノ弾きの妹にあげてしまった気がする・・・ |
| 非常に面白かった中村紘子さんのエッセイとは、随分違うもんです。中村 |
| さんのは、あくまで視点が職業ピアニストだなぁと思わせるんだが、この方 |
| の場合は、研究者という面と、人に読んでもらって面白いと思ってもらわな |
| きゃならないという面が加わって、ひねくれかたが独特。 |
| ワタシは、ドビュッシーをどこか避ける気が強くて、タイトルにドビュッシ |
| ーが入っていない「六本指の・・・」をわざわざ読んだくらい。 |
| 本作は、結局、なんだかんだでドビュッシーのウエイトは高かったですね。 |
| この二冊目は、音楽の軽い読み物が急に読みたくなって。(いつもどおり気 |
| まぐれ) ドビュッシーがたくさん出てきちまっただけでなく、軽いつもり |
| が、決して軽くなかった。もっとも、著者自身がもろに出ていて、それゆえ |
| とても楽しませてもらえました。 |
| 「おしりが痛い」に惹かれた。嘘ではありません。 |
| その少々「お下品」な感じが文章にもよくに出ている。よく言えば、気取り |
| がない。おしりが痛い(≒多分、疲れている・・・)から、そんな丁寧な言 |
| 葉遣いや説明なんかすっ飛ばさせてよね、とでも言っている感じ。 |
| 先に読んだ本が鋭い突っ込みや思索が一杯、と言ったら、二冊目は少々 |
| ねじくれた性格や気持ちがあらわれて、早い話が相当皮肉っぽい。歯に衣 |
| を着せぬ辛辣さが基本線。始めはちょっとびっくりしました。 |
| 読了した今なら、こう思う。このエッセイには酒の匂いが相当しているっ |
| て。全部というわけじゃないが、半分以上はそうなんじゃないの? なんか |
| ね、確信めいたものを感じるね。ともあれ子供のころから呑んでいて、本 |
| 格的に吞み始めたのは高校生頃だそうな。 |
| きっとかなりの酒豪だぜ。 |
| ドビュッシー弾きというと、もやっとした輪郭のはっきりしない音を出す人 |
| が多いように思うところ、この方の場合は、線をはっきりさせようと弾くん |
| だそうな。(と自分で書いているが、師安川加寿子からは、音がはっきりし |
| すぎる、もっと綺麗な?音を出しなさいと、せんど言われたらしい。) |
| この方の演奏は一度も聴いたことがない。研究者でもあって、理屈のほうは |
| なかなかやさしくないんだなぁ・・・一度ぐらい聴いてみなきゃならないみ |
| たい。(探してみよう) |
| 『ドビュッシーの中の「二つ」』の中の「もしドビュッシーがジイドだった |
| ら?」なんてそう。 |
| ご自分のドビュッシー等の演奏論と共に、著名な奏者の演奏の分析もあっ |
| て、アルトゥーロ・ベネディッティ・ミケランジェリ(アルゲリッチやアリ |
| シア・デ・ラローチャもそう)のものなど、へぇーと思うと同時にわが意を |
| 得たりと思う分析もありましたね。特にミケランジェリのドビュッシー演奏 |
| 論には快哉!演奏家論というのは、猫にマタタビみたいでね、麻薬っぽい読 |
|
み物です。ワタシにとって、レコ芸(レコード芸術)なんて雑誌はズバリ、 マタタビでした。 |
| ワタシはもともとラヴェル好きで、本のなかではラヴェルは比較的簡単に |
| (≒論理的に)片付けられてしまっており、ドビュッシーのほうは、どうも |
| そういうわけにはいかないらしい。当然両者を印象派という言葉で括るなん |
| てとても無理で、猛烈にタイプが違うことは確か。(って、どうしてもそう |
| いう話になるんよ!) ま、それについちゃあワタシも同感です。そのこと |
| もあって、「音楽の背景」という章の中に「ドビュッシーとラヴェルの話」 |
| ってのがあって、ワタシの決して小さくない関心事なので、興味深かった。 |
| 丸ごと引用したいくらいだが そうもいかない・・・ そうそう、多分ラヴ |
| ェル好きだと文筆業者にはならないんではないかというニュアンスもあった。 |
| 笑いました。そりゃあもう「ナルホド」です。 |
| 人物のただならぬ「濃さ」みたいなことを、解説で小説家小池昌代が書い |
| ています。この「濃さ」、ワタクシメもついそうかもと思っちゃいましたね。 |
| 功成り名を遂げたピアニストが書くなら、まあ普通ですが、弾きながら書く、 |
| 書きながら弾くという感じの人をこの人以外には知らない。しかも書くもの |
| だって「濃い」。 |
| フランス留学(マルセイユ!パリとはまるで違う!)の話が彼女の人となり |
| や感受性をよく表わしていてすごく面白かった。 |
| それは置いておいておくとしても、、、そこいらじゅうに引用したいところ |
| があったので困り果て、選んだのはピアニストの名がぞろぞろ出てくる、短 |
| くて書き手がいかにもピアニストやなぁというところ。(ピアニストの名前 |
| なんか知らない人にはピンとこないとは思いますが・・・) |




| (「ピアニスト的演奏論」という章の中の『作曲家系ピアニストの演奏は、 |
| なぜ面白いのか』から) |
| (これが含まれるの文章の前に、フリードリヒ・グルダというちょっと変 |
| わり者のピアニストに関する短い文章があって、それも知らなかったこ |
| とで、しかも面白かったのですが・・・) |
| こんなところにも、書くと弾くを両立させなきゃならない彼女(二足の草鞋は |
| アカンやろ!などと批評家に叱責的な言われ方をされる)の必然が、当たり前 |
| のように映り込んでいる気がします。 |
| ・・・ |
| で、なんでおしりが痛いのか・・・ワタシのシリの神経痛とはだいぶん違うよ |
| うで、でも結局よくわからなかった。物書きでもあるから、単に坐る時間が多 |
| いという物理的な理由なのかな。症状の記述によれば、なんとも痛そうやった。 |