休みには中古屋のはしごⅢ

基本音楽鑑賞のつもり。ほかに映画・本・日記的なもの・ペットなど。

リゲティ : オペラ『グラン・マカーブル』

 
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20180323(メモ了)
リゲティ : オペラ『グラン・マカーブル』(1997年版)
  György Ligeti(1923‐2006):Opera Le Grand Macabre
 
〈CD1〉43:07
 クラクションのプレリュード
 第1場
 第2のクラクションのプレリュード
 第2場
〈CD2〉59:10
 第3場 
 呼び鈴のプレリュード
 支離滅裂の妄言
 間奏曲
 第4場
 鏡像カノン
 フィナーレ:パッサカリア
 
  脚本            リゲティ、ミヒャエル・メーシュケ(人形劇作家)
  ヴィーナス、ゲポポ    ジビュレ・エーレルト(ソプラノ)
  アマンダ          ローラ・クレイクム(ソプラノ)
  アマンド          シャルロット・ヘレカント(メゾ・ソプラノ)
  メスカリーナ        ヤルト・ヴァン・ネス(メゾ・ソプラノ)
  ゴーゴー侯         テレク・リー・ラージン(カウンター・テナー)
  大酒呑みのピート      グレアム・クラーク(テノール)
  白大臣           スティーヴン・コール(テノール)
  黒大臣           リチャード・スアート(バリトン)
  ネクロツァール       ウィラード・ホワイト(バス・バリトン)
  アストラダモルス      フローダ・オルセン(バス)
   (そのほか)
  ロンドン・シンフォニエッタ・ヴォイセズ
  フィルハーモニア管弦楽団
  エサ=ペッカ・サロネン指揮
 
  録音:1998年2月、Live in Paris,France,at The Théâtre du Châtelete
  CD/2枚組/現代音楽/歌劇/ⓒ&Ⓟ 1999 SME/中古屋
  <★★★☆>
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‘大いなる死者’の意。
中古屋で見つけ、勇んで仕入れたはいいが撃退され、長らく放置してい
たもの。ソニーだったんだ。テルデックのシリーズと思い込んでました。
作曲者自身がかなり解説しておられる。ありがたいことに邦盤だったもの
ですから、今回は一応真面目に参考にしようと対訳ともども読んだことは
読んだのですが・・・
さすがに通しで聴けるものでもなく、車に入れていまして・・・聴いても
聴いても同じなので、「確かに聴いたぞ!」という証拠、備忘録として気
楽にメモしてみました。そういうものなので、以下長たらしいですが、外

堀でうろうろするようなもので、もちろんなにほどのことも書いてはいま

せん。

CDの1枚目は第1幕、第2幕。音楽は、素っ頓狂なほどいろんな音楽が
使われている。演技もきっとそうなんだろう。たいそう刺激的という言
い方ができる。
でも、CD2枚目の第3幕、第4幕のほうが音楽に流れのようなものを感じ、
より聴きやすかった。自然だ、不自然だというようなものでもないけれ
どね。『2001年;宇宙の旅』に使われたような音楽もちょっと聞こえる。
  前にも書きましたが、1968年の『2001年;宇宙の旅』に使われたリ
  ゲティの曲は出来立てのほやほやに近いものが多かった。以下の4
  曲で、どれも輸入LPで探し当ててよく聴いたものです。
   「アトモスフェール」(1961)、「レクイエム」(1965年)
   「ルクス・エテルナ」(1966)、「アヴァンテュール」(1962)
  ちなみにキューブリック監督はずっと無断借用で通して、告訴でも
  されたんでしょう、使用料を1990年になってからようやく払い始め
  たんでした。亡くなるまでに払い終わったんでしょうか。
 
それにしても、このオペラにおける歌手にはとんでもなく過酷な歌や演
技が求められているに違いなく、声だけ聴いていてもかわいそうなほど。
作曲者自身はもちろん確信犯で、決まったことしかできない歌手にいろ
いろ腹を立てたり、ぶつかったりしたらしい。演技のことは、見えない
のでわからないが、特に高いほうへの音域の逸脱なんかは――まあオペ
ラっぽく歌わなきゃならんというものでもなかったのしょうが、当初は
そもそもオペラそのものやオペラ歌手の伝統や能力を見誤っていた(買

い被っていた)というような言い方をしている――かなり無茶苦茶な感

じ。

ここでの言葉はパリで大成功を収めたというライヴながら、何故か英語。
世界各地で上演してきたので、その国の言葉に直して上演することへ
の蘊蓄には自信満々で、すっかり馴れたみたい。
自身の書いた文章によれば、言葉の直しより、楽器の直しのほうが、熱
が入ったみたいな書きっぷり。プラスマイナス、数限りないマイナーチ
ェンジが施されたらしい。
 
各国での上演が増えて(日本ではまだ)、このオペラを書いたころには、
オペラについてはあまり知らなかったが、今はオペラというものについ
てはずいぶんと理解しているとも書いている。
もうリゲティさんは亡くなってしまっているので、そのあとのことはも
ちろんわからないが、この唯一のオペラが書かれた頃は、“アンチ・オペ
ラ”という現代音楽の一定の趨勢があって、リゲティさんはそれを横目で

観ながら‘アンチ・アンチ・オペラ’というものを書いたということだそう

な。

敵の敵は味方、みたいな言い方で、好き嫌いは別ということかもしれな
いが、ながい間オペラには接してきていると書いていて、けっして嫌っ
ていたわけじゃないといったニュアンスは感じられる。
もっとも、どういうようなところが‘アンチ・アンチ・オペラ’なのかよ
くわからない。ワタシなんぞには、「これってオペラなの?」だからね。
 
こんな言い方を許してもらうなら、このような大仰な音楽に対して、歌
や語り(≒ジングシュピール)はかなり脳天気で滑稽味が多いもの。
この世を終わらせようという役目を持ったある種の死神であるネクロツ
ァールを中心にしたもので、舞台は某世紀の呑気なブリューゲラント侯
国。この御仁(じゃない神? でもそれがよくわからない) はまるでや
る気が感じられないヤツで、ほぼほぼどうしようもない酔っ払い。サン
チョ・パンサ役と思しいメインキャラも酔いどれていたりする。でもキ
ラクター的にはドン・キホーテ、あるいはその変形、夢のないヴァー
ジョン、みたいな感じ。
侯国の中における、‘世界の終末’というものをポーンと投げ込まれたう
えでのドタバタのなかで、人のばかばかしい営みがある種の収斂を見
て・・・、といった感じでしょうか。
人類に終焉が訪れるとはいうものの、今すぐでもなさそうで、侯国に
は新しいリーダーが就き、“死なんていつ来るかわからんが、善良な
人々よ、それまでは死を恐れることなく陽気に生きようではないか、
というような幕切れになっている。
フィナーレの音楽だけは、静謐で妙に美しい。

 

人が罪深いのは当たり前。忘却によって、罪によって、それでいちい
ち滅んでいたんじゃ始まるものも始まらない。ならばなんで人は滅び
なくちゃならんのかが、つまるところどうもよくワカランかった。何
もわかっていないことになるのかもしれませんが、それはそれでよし
ということにします。
で、この方もとうに亡くなってしまいましたが、有名な英国の俳優、
あのピーター・セラーズが演出を担当した公演があって、そのときは
人類が滅びるべき理由を、なんと原発(事故)にしたんだって。この
公演をリゲティさんは相当気に食わなかったらしい。オモロイ話。
 
思い出したことがありましてね・・・
ラヴェルの大好きなオペラ「子供と魔法」を時々ふっと連想すること
がありました。おもに音色。
それだけのことなんですが。
 

確かに一週間強、車の中にありました。ティト・プエンテなんかと一

緒に。

対訳と首っ引きというような鑑賞ではありませんでしたが、なかなか
濃い車中の時間を過ごしました。(ハハハッ)
(やっぱり)ちょっと危ないな・・・

 

ハイ、おわり。