休みには中古屋のはしごⅢ

基本音楽鑑賞のつもり。ほかに映画・本・日記的なもの・ペットなど。

ナショジオ 2016年11月号(その2)

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ナショナル ジオグラフィック日本版 2016年11月号
 
(2)「圏外」へ出かけよう 若者と国立公園
    父親と20代の息子が、米国の国立い公園で「デジタル断
    食」に挑戦。インターネットが使えないキャンプ生活に、2人
    は耐えられるのか。国立公園の未来を担う若者は、大自然
    に何を思う?シリーズ「自然と人間」の第7回。
 
    2016年10月30日発行・発売/日経ナショナル ジオグラフィック社
 
 
(2)圏外ねえ・・・
アメリカはでかいから、圏外もでかいんだろうか。公園もでかいから、まあ
ネット依存症対策にはいいかもね。
この筆者は、自分も20歳代の息子もネット依存症に近いのを知っていて、
禁断症状の出る息子や自分を観察しながら、メインのお題目である国立
公園の次世代の監督のなり手の心配をしている。
そんな組み合わせで、ちょっとかわった記事になった。
  <高齢化が進む来訪者>
   設立100周年を迎えた今年、国立公園局にとっての最大の懸念は、
   次世代に公園をどうやって引き継いでいくかだ。来訪者の年齢や肌
   の色には偏りがある。米国で18歳以下の人口が4分の1を占め、生
   まれた赤ちゃんの半数が白人以外という時代に、国立公園の来訪
   者の大半が中高年の白人だというのだ・・・
無理やりこういうところでキャンプなんぞさせられる子供の反応の中には、
かなり悲しいものが多いなんてこととか、手を変え品を変えして公園に客
を呼び込もうとする努力なんかも、なかなか面白いと言える。実際来園者
は増えている。
でも何が興味深かったかっていうと、来園者の構成。人種や世代。
トランプ現象でやたらクローズアップされている「devided」という言葉が
あるが、ここにもその言葉に見合う内容が見て取れるようであること。
筆者の息子の言葉の一つに、こういうのがある。
   「裕福な白人が安全な自然環境に中で、ホームレスの体験をしよう
   としているみたい」
(グラフがある。見辛いし不完全だが、写真を付けてみよう)
それと・・・「ミレニアル世代」という言い方とその意味を知った。こいつら
に自然の魅力をわかってもらわなくちゃ、というわけだ。
デジタル・ネイティヴ’なんて言い方の世代も。
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それた話かもしれませんが・・・
「圏外」、、、 喚起するものの多い言葉です。持ち出しているのはパソコ
ンの端末なんだから、用途の広さは、まあ言ってみれば無限大。 これの
使い方の事を言い出したら、今までの新しいメディアの比でなく、‘ルール’
は、これまで以上に‘追いつく’わけもない。あるんだかないんだか、‘良
識’なんてものの力も、あてに出来るとは思えない。
辞書のように「検索」や単純な道しるべ的な調べものについちゃあ、進歩
だと思うが、それで一日中過ごしてるなんてことはないよね?
ゲームのしすぎで勉強をする時間が無くなりそうな子供には、家庭でな
んとかするしかないし、LINEなんかでの顔を見ないでのおしゃべりに時間
を費やし過ぎるなんざ誰に停めてもらえるわけでもない、笑止。
麻薬の更生施設や断酒会のようなもの、いわば‘修業場’のようなものを
必要だと考えるのも同様。
でも、、、
自分にもこれという処方箋は分からない。ネット社会の反対は‘自然’で
ある!と、てっとり早く「具体的」に振れてしまう(西欧?)人の尻にくっつい
て、教えてもらう気も必要もはワタシにはない(嘘!おおいに怪しい!!!)が、
都市化してしまった頭の中にはそれでも必要なのかも。とくに子供には。
(言い過ぎました)
 
端的な例、本のコマーシャル(12/26付新聞)の‘キャッチコピー’・・・
 ・「大鮃(オヒョウ)」 藤原新也 [三五館]
  ①時代と向き合う藤原文学の最高傑作、ここに誕生!
  ②落葉の季節の彼方には死への扉が見える。
   「しかし死の扉の前に立つ老いの季節は
   絶望の季節ではありません。
   落葉もまた花と同じように美しいものです」
   老人は別れの時にそう言った。
  ③デジタルな世界を脱走した青年の数奇な漂流と現実回帰。
   その先に対峙する聖なる巨大魚。
  ④あなたの優しさは……・
   強さからくる優しさじゃなく
   弱さからくる優しさだと思います。
 
  ⑤父性を求め
   最北の海に出会う
   老人と青年
   奇跡の一日。
スコットランドの北側の寒々とした島の景色と一つの人影の写真(著者撮影)
があって、上記のような惹句がバラバラ載っかっている。
オヒョウって、お化けみたいにでかい鰈や鮃の類だよな。
どうです?
効果のほどはともかくとして、言いたいのは③で、思索の書でもあるらしい
ここでは、とにかく「脱走」なんだね。脱走! 無理やり‘出た’ケースだ。
その極端な(しんどい)振れ幅のこと。
今後この手の表現がうんざりするほど増え、しかもその幅がどんどん広が
ってしまう、しかも所謂自然は手近にはなくなるだろうな、というようなこと
です。
読みたいと思ったわけではないのです、ただ挙げてみただけ。
 
※※
ガラケーのワタクシメは風邪をひきました。
喉が強烈に痛い。熱も続いている。
昨日夕刻、医者に行って、そのまま、仕事へ。
なんとか終わり、ワタシは昨日で本年の出勤は終了だったので、まあラッキーでした。
本日は晴れて、ごろごろしてます。