休みには中古屋のはしごⅢ

基本音楽鑑賞のつもり。ほかに映画・本・日記的なもの・ペットなど。

ナショジオ 4月号

(雑誌)
イメージ 1
 
20160510(了)
ナショナル ジオグラフィック日本版 2016年4月号
(1)生と死  その境界を科学する
    人が死ぬとはどういうことか。心停止した人の蘇生や仮死状態の
    医療への応用が進む今、死の意味が改めて問い直されている。
(2)インドネシア  亡き家族と暮らす人々
    スラウェシ島に暮らすトラジャ族の人々は、家族を失った悲しみを
    遺体に寄り添って和らげる。彼らにとって、死は必ずしも別れでは
    ない。
(3)アルメリア 虐殺の影
    人類の拡散ルートをたどる徒歩の旅は、1世紀前の虐殺が今なお
    暗い影を落とすトルコとアルメニアに入った。シリーズ「人類の旅
    路を歩く」第5回。
(4)ポートレイトは生命の記録
    写真家ジョエル・サートレイは、世界各国の飼育動物を撮影する
    プロジェクト「フォト・アーク」を進めている。絶滅してしまう前に、
    彼らの姿を未来へ残すためだ。
(5)沈黙の動物たち
    剝製にすれば、絶滅した動物でさえ、生き生きとした姿で後世に
    残すことができる。だがそれが、野生の動物たちを守ることにつ
    ながるだろうか。
(6)春の一日一日
    「1日に1枚しか撮らない」というルールを自らに課した写真家ジ
    ム・ブランデンバーグが、故郷・米国ミネソタ州春分から夏至
    までの93日間を鮮やかに描き出す。
    2016年3月30日発行・発売/日経ナショナル ジオグラフィック社
 
 
どう見ても、本号は「死」ばかりだ。死月号・・・
(1)生と死の境目のなんとも難しいとこらへんのことを、そう肩ひじ張らず
に取材、報告をしている。
脳死してしまった母親に子供(胎児)が宿っている、というなんとも微妙な
状況に立ち向かった医療チームの働きが紹介される。
ドラマティック。
胎児がちゃんと生まれるように、母親の肉体を生かしておこうとするんだ
が、脳が壊死して、その壊れた神経細胞が溶け出して血液に入り、血液
の凝固不全のようなこともおこりはじめる。胎児にとってはとんでもないこ
とで、、、と、何とかちゃんと生まれる状態に胎児が生育するまで、時間と
の闘い、、、とか、、、。
上記は移植用の臓器摘出のための脳死判定につなげたものとして。
1968年にハーバードの医学部の特別委で出された二つの定義はいまだ
使われている話。
 ①心肺機能による伝統的な死の定義
 ②脳の機能から見た新しい基準・・・深い昏睡、自発呼吸の停止、脳幹
  反射の消失
つぎには臨死体験の話。白いトンネルだとか、体外離脱だとかには理由
があるはずで・・・、これは科学らしい。正しいかどうかは不明。
  …心停止後には高周波のガンマ波(瞑想に関連があるとされる脳波)が
  通常の覚醒時よりも強まり、秩序だった現われ方をした。
  …これらが臨死体験の正体ではないかと推測している。死が完全に逆
  転不能となる前の移行期に、「意識をつかさどる脳の活動が高まった状
  態」ではないか・・・
死体寸前の人間を冷凍保存して、病気が解明され治癒ができるようになっ
てから、解凍して治すなんてことを大真面目にやっている金持ちがすでに
たくさんいるそうだが、、、いつになるのかねぇ。
イメージ 3
 
イメージ 2
 
イメージ 4
(だめになる順番)↕
イメージ 5
 
(2)スラウェシ島ってのはセレベス島として知っている「丘」の字の下の横
棒がないような形のインドネシアの島。
ここのトラジャという地区では、生はいきなり死にはならない、きわめてゆ
っくりと死を迎えるので、防腐処理は施すものの、「そこ」までは死んでい
ない。数週間から場合によっては半年近くも、普通で言うなら「死体」とと
もに過ごす。家の中にいるというか、置いてある。そこの人も文明の利器
としては、スマホもパソコンも使っているんだよ!
文責者は人間はいつのころからか、死を忌み嫌うようになった云々の議
論を、養老孟司先生みたいに吹っかけたりするし、すんなりトラジャの習
慣に共感をおぼえたりもする。
正直言って、かなり気色が悪い。彼らには即座の別れではない・・・フム。
で、、、だからどうだというの?
どうもこうもない。なんというべきかわからない。どちらかがおかしいという
話?
(3)次は、虐殺事件・・・、問題ばらばらだが重すぎでしょう。前記と同じで、
写真は無理。
この虐殺事件のことは全く知らなかった。ワタシはこんなもんです。
1915年、トルコ(オスマントルコ)人がアルメニア人を虐殺。100万とも60万
とも言われる。「ジェノサイド」であったかなかったかなんて、もう問題じゃな
いだろうに、文章には、その言葉へのこだわりもある。
憎悪の持ち合いは泥沼化していて、アルメニアの活動家をして、むしろこん
なことを言わしめている・・・
   「すべてをつらい過去に結び付けても、未来がないと思いませんか?
   被害者意識にとらわれていると、ただの物乞いになってしまいます。」
話を韓国や中国に広げるまでもない。ここには、他にもアルメニアとアゼル
バイジャンの継続中の紛争の影が濃いし、例のチェチェンとロシアの件が
あるし、カフカス諸国は、なんだか皆紛争に絡んでいる。ドンパチ中の中東
諸国と片寄せあうように接しているお隣さん。なんなんだ、この辺は!
あんたがたにはわからんやろ!!! はい、スミマセン。
(4)と(5)は動物。
(4)は絶滅寸前の動物たちを多く含む飼育動物の写真を撮り続けるナショ
ジオのカメラマンの話。絶滅してしまう前に撮って未来へ残そう・・・。予備
軍があまりに多すぎる。その多さに呆けたようになってしまう。
(5)は剝製になって、物言わぬ見せモノになってしまった動物たちの話。
剝製の作り方って、リアルで、ワタシにはどうも・・・。
以上は、死を乗り越えたい!という感じで、まとまったか。
(6)は口直しのような一章。「のような」だけで、そうはならなかった。
沢山の素晴らしい写真から、一枚だけ。
琥珀に閉じ込められている小さいサンショウウオ
2000万年以上前だって。あるんやねえ。かの映画みたいなこと、やらへ
んのやろか。(なにかややこしいものを冒涜するとかしないとかの論議
は置いといて・・・って置いとかれへんか。いやいや、冒涜というなら、も
う厭になるほどたくさんやってきてるんだから、これだけ特別なんてこと
言えないだろ?)
イメージ 6
 
(これは写真系の索引)
イメージ 7