休みには中古屋のはしごⅢ

基本音楽鑑賞のつもり。ほかに映画・本・日記的なもの・ペットなど。

野田知佑/世界の川を旅する

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20141104(了)
野田知佑/世界の川を旅する
Playing Around the World's Rivers
 
極北荒野を漕ぐ●カナダ・ユーコン川
 
   荒野の川を一人で下るのを 寂しいと感じるか、自由だと感じるか。 
   それが問題だ。
   
   この国の川がいいのは 人がほとんどいないことだ。
   ここでは自分が全宇宙で、主人公である。
 
   荒野の 生活では 大切なことが 一つか二つ しかない。
   その日の食糧、その日の 寝る場所だ。
   そこでは 考えることも 一つか二つ しかない。
   単純生活者の 哲学はかくも 簡単だ。
   
   カヌーの旅は 捨てる旅だ。
   その日の 食糧と本と酒さえ あればいい。
   シンプルライフである。
 
渓谷断崖を漕ぐ●ニュージーランド・ランギティキ川
 
   男の遊びには 危険と多くの不確定要素、それとスリルが必要だ。
 
   声を上げて急流に突入する。
   筋肉がきしみ、ぼくは充足する。
 
   ここでは幸、不幸も 快、不快も すべて自分のせいである。
 
   川旅がいいのは 漕がずにビールを飲んでいても どんどん進んで
   いくことだ。
   何もしなくても生産的な気分になれる。
 
   晴れた日の川旅は完全無欠。
   何一つ 足りないものがない。
 
田園雨情を漕ぐ●アイルランド・シャノン川
 
   明日の食糧とか蓄えを くよくよ考え悩むのは 農耕民族的発想だ。
   ぼくはいま遊牧民かつ 狩猟民なのであって、
   目の前に現れたものを 殺して食べればいいのである。
   補給という考えから 解放されると、ぼくはさらに自由になった。
 
   いざ立って私は行こう
   イニスフリーへ行こう
   土をねり
   小枝組んで小さな庵をそこに建てよう
   九つの畝に豆を植えつけ
   蜜蜂の巣箱をもうけ
   ひとり住もう
   蜂さわぐ林の空地に
     ――「イニスフリー湖島」 W.B.イェイツ/鈴木 弘・訳
 
熱帯雨林を漕ぐ●フィジー・ナブア川
 
   五感が生き生きと冴えてきて、小さな音や匂いに敏感に反応する。
   たとえばカヤックの上で居眠りをしていて、
   前方に岩や沈木の障害物があると流れの音が微妙に変わる。
   その音の変化でパッと目が覚め、パドルを手に構えるのだ。
   ぼくはただ自分の感覚を信頼して寝ていけばよかった。
 
   広い広い空だ。
   いつも空のどこかで 雨の降っている 部分があり、
   その近くに 虹がかかっているのが 見える。
 
   サトウキビ畑の監督官が、足の親指に釣り糸を結び付けて
   浜辺で」寝そべっている フィジーの男にいった。
   「遊んでいないで働いたらどうだ。
   一生懸命働いて お金を貯めておけば、
   年をとってから 毎日浜辺で寝そべって 魚を釣って遊んで暮ら
   せるぞ」
   「??!! !! ??」
 
混沌濃密を漕ぐ●タイ・ピン川
 
   夜明け前に起き、コーヒーを入れる。
   熱いコーヒーを すすりながら 陽が昇るのを眺める。
   地上の生き物が いっせいに目覚める。
   鳥が川の魚をさらっていく。
   小鳥が浅瀬で水浴びをする。
   ミンクがやって来て潜り、魚をくわえて岸を走る。
   川の上を霧が流れていく。
 
   爛熟、腐敗した果物の匂い。
   けだるい空気。
   アジア的混沌と安逸。
 
灼熱煉獄を漕ぐ●オーストラリア・キャサリン
 
   猛暑と湿気、沼と泥の川。
   人々はこの地を Land of Never-Never
   人間が決して住めない土地、と呼んだ。
 
   極暑の川を行く時、一日のほとんどを 水の中で過ごす。
 
草原無辺を漕ぐ●モンゴル・エグ川
 
   黄色いカモが来るとき
   広原の緑が芽吹くとき
   まだらの雌ウマが子を産む時
   永遠に損なわれない幸福よ、
   来たれかし
     ホライ、ホライ、ホライ
 
     鳥の招福儀礼の文句。小谷有紀著「モンゴル草原の生活世界」より
 
   モンゴルの草原には トイレがない。
   人々は外で用を足す。
   これを「ウマを見に行く」 または 「塩を取りに行く」という。
   同じことをマッケンジー川の 先住民は 
   「月を見に行く」 「明日の天気を占う」といういい方をする。
 
   川の上にいる時の 自由の感覚、解放感を 陸にいる人に 
   説明するのは難しい。
   この目前にある 自然や時間は すべてぼくだけの ものであった。
 
苛烈荒野を漕ぐ●アラスカ・ジョン川
 
   コユコーン族の古老曰く、ここでは弱いものは みんな死んだ。
   体の強い者、意思の強い者だけが 生き残ったのだ。
   いま生きているのは 強い両親から生まれた 選ばれた者だ。
 
   ここには文明の 便利さや快適さ、肉体的安楽は 皆無だが、
   自由はふんだんにある。
   それは 山の中で のたれ死に、雪の中で 凍え死ぬ自由 でもある。
   手で触れると ヒリヒリするような 自由だ。
 
   荒野の中に マウンテンマン と呼ばれる人たち がいる。
   周囲数十キロに 誰もいない森の中に 一人で住んでいる 
   男たちのことだ。
 
   彼らは 文明の便利さよりも 不便な荒野の自由を 選んだのだ
 
   カヌーの旅はいつもむき出しで、
   風雨の中にさらされているから、
   あらゆるものがヒリヒリと 肌にしみこむ。
 
   冬は氷点下五十度の日が 何週間も続く。
   この過酷な土地では 人間は全力をあげないと 生きていけない。
   それを彼らはフルライフと呼ぶ。
 
白夜荒涼を漕ぐ●アイスランド・バトナ氷河
 
古都百橋を漕ぐ●イタリア・アディジェ川
 
   川旅の妙味は早朝にある。
   一日でもっとも神聖な時間だ。
 
   川旅は男の世界である。
   自分の腕を信頼して、毎日何度か危険を冒し、辛くて、孤独で、
   いつも野の風と光の中で生き、たえず少年のように胸をときめかせ、
   海賊のように自由で――
 
緑陰鳥声を漕ぐ●コスタリカ・サラピキ川
 
   ぼくの理想は持ち物はすべてバックパックの中に入れて、
   風のように自由に好きな所に移動して暮らすことだ。
   それに入りきれないものはこのファルトボートのように
   折りたたみ式にして携帯自由であるべきだ。
   家も机も女もみんな小さく折りたたんで、
   邪魔になったら惜し気もなくポイと捨てなければならない。
 
   都会にいる時に会った 卑小な感覚、感情、思考は
   川の流れに削ぎ落され、風化して、
   いま体の中に残っているのは 生きるために最低限必要な
   基本的なものだけだ。
 
烈風凄絶を漕ぐ●パタゴニア/チリ・セラノ川
 
   ツーリングカヌーの面白さを 100パーセント味わうには
   「単独行」がいい。
   一人で判断を下し、一人で川を下って、一人で生活する。
   群れず、荒野の川を一人で何ヶ月も漂流する。
 
   冒険は始めて三日もすると 冒険ではなくなる。
   それが日常になるのだ。
 
   さて諸君、パドルを握って野に出たまえ。
   暖衣飽食は老人にまかせて、
   辛いがスリルに充ちた 荒野を一人で漕いでゆきたまえ。
   あらゆる面白いこと、そしてたくさんの苦難が
   諸君の上に降りかかることを祈る。
 
   
   まるごとの女よ
   肉の林檎よ
   燃える月よ
   きつい海藻の匂いよ 
   練りあわされた光と泥よ
   ………
   そうだ
   きみという
   大地のひときれを
   わたしは愛する
   ―― パブロ・ネルーダ「100の愛のソネッタ」より/大島博光・訳
 
あとがき
 
   著者:野田 知佑  写真:藤門 弘
 
   2001年6月/エッセイ&写真/世界文化社/中古/ネット 
 
   <★★★★☆>
 
 
この写真集の文章は、野田知佑さんとしても会心のものものではないかと
思うのだけど、どれか選んでというわけにも行かない。で、大きめの写真に
大雑把な文章が改行だらけで載っている。中には本当に詩の引用もある
が、野田氏の文もまるで詩のようなので、(改行をまとめつつ、ってバカだ
ね)引っ張り出してみた。たくさんになった。ままよ、とそのままのっけるこ
とにした。
どうですか。
写真、見たくなりません?
 
わたしは、参りました。どの回も名品揃い。大推薦。
(何故かアイスランドの写真にだけ、詩まがいの文章が載せられていない。
紀行者としてはともかく、カヌーイストとしては啓発されることがなかったの
でしょう。)