休みには中古屋のはしごⅢ

基本音楽鑑賞のつもり。ほかに映画・本・日記的なもの・ペットなど。

丸谷才一/『笹まくら』

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20140705(了)
丸谷才一/小説『笹まくら』
  新鋭作家叢書 丸谷才一集  笹まくら 贈り物
  (1)笹まくら
  (2)贈り物 
    『笹まくら』創作ノート
    徴兵忌避者が忌避したもの 山崎正和
    年譜
  昭和47年(1972)4月28日 初版発行/河出書房新社
  <★★★★>
芥川比呂志さんのエッセイを読んだら、亡くなった丸谷才一の編集となっ
ていて、そういえば丸谷作品でほったらかしの本があったと思いだした。
少し読んだがすぐにうっちゃらかしてしまった。大昔。
小説やエッセイなどいろいろと読んだのに、これは読了せずに残っている
のを、ずっと気にしていまして、いい機会だと取りついてみた。
小ぶりな箱入り、2段組み、字が小さくて読みにくい。定価で買ったかどうか
記憶なし。その定価680円。 帯は箱についていたようだが、折りたたんで
本のほうに挟んである。 最終ページに鉛筆で ’72 とある。どうやら定価で
買ったみたいだ。古井由吉も一冊このシリーズで読んだのを覚えている。
8月15日がちょっと先に見える時期ですし、今はなんといっても「集団的自
衛権」と‘憲法の捻じ曲げ解釈’でハチの巣をつついたような有様。
妙にタイミングとしてもマッチしているじゃないかと勝手なこじつけ。
だからというか、徴兵制度までつながっている話なんだという意識は少し
持って読んだ気がするものの、今喧しく取り上げて口角泡飛ばし合ったり
デモったりしているのとは関係大ありだが、とはいっても同じ平面にある問
題だと安直にすっ飛ばして言うわけにも行かない、もう少し根っこの深い
小説だったですね。
戦後20年ほどたって、東京のある大学の職員となって働いている男の話
で、彼が徴兵忌避をやり遂げてしまったわけだが、20年もたってから彼の
身辺ではなぜかキナ臭くなってくる。価値観の揺れ動きというか、でんぐり
返りがリアル。これが多分主題のひとつじゃない?
そういう‘現在’と、約5年間の日本中を転々としていた忌避生活とが、区
切られず、時々さりげなく(≒突然)入れ替わるような形で書かれていく。
始めは奇妙な感じだったですねえ。それに始めのほうは特に翻訳調がき
つく感じられた。
だんだんそのリズムに馴染んでくるにつれ、この男が、どんどんその不条
理と言ってもいいような世俗/風俗の世界にちょっと頑迷な対応をしたり、
四六時中自分の思索や妄想に分け入って迷い続ける性向に、付き合わさ
れる。
忌避中も20年後も、自分に関しても自分の周りに関しても、きわめて分析
的で、感情的になるところはちゃんとそうなっているはずなのに、文章的に
はいたって冷静だし、彼もいろいろ考えるわりにはどこかノンシャラン。
あくまでこの男の思索の過程や空想と、併行して進む世俗との対比が面
白い風俗小説。その中で読者は知らず知らずに、徴兵忌避のわけなどを
理解してやろうとし続けることになる。
忌避者は戦時中ではもちろん国賊だったはず (なのにピーンと張った緊
張感や恐怖感がほとんど感じられないのは書いた通り) なんだが、戦後
20年もたって、ヒーロー扱いでないのは致し方ないとしても、おかしなこと
になってくるのは、どういうことなのか!!!
山崎正和さんはそれを巻末の長文で解題している。
それがですねえ、長くてしかも固い。頭がこんがらがっちゃって。
だいたいのイメージとしては、早い話が日本人て何も変わってないよねえ、
あるいは日本人のスタンダードなるものの持ちようって、曖昧で散文的で
独特だよねえ、などという感じですか。
まぁ浜田庄吉の忌避の動機も結局曖昧で、国との対決姿勢なんぞまるで
見せず、含みばかりを多く感じさせる物語になっているもんだから、山崎先
生、逆に奮い立たれたみたいで、力みかえって・・・
(なーんてね、こんなんじゃ何を言ったことにもなりませんが、どうもねえ、
その辺のことがおおよそ中心にあるんじゃないかと・・・。)
「現在」のほうは、若い妻が何故か万引きやって捕まり、彼女を警察から受
け出して帰る途中で、奇妙で何とも愕然とするような感慨に捉われたところ
で終わる・・・
「忌避中」のほうは、時間がやたら前後するんだが、こちらはうんと遡って
意気揚々と‘逃亡’生活に入るところで終わる・・・
浜田(杉浦)はワタシの親父の世代に近いみたい。
こっちがあまり訊かなかったとはいえ、オヤジは戦地でのことはほとんど
話してくれなかったが、いっぽう国内のことはオフクロは自分の周辺のこ
とを―被爆のことも含めて―いろいろ折に触れて喋ってくれたことになる
なあ。
忌避者はそんなオフクロのいた世界にいたんだろうか。
いやーそれがそうでもない。
オフクロの喋ってくれた世界もそうピリピリした風に聞こえたことはないに
しても、大分ちがう。浜田(杉浦)はラジオや時計の修理に加えて大道芸
人としてもあちこち動きまわり、周囲を観察しつつも、しきりと女を抱いた
りしている。全体としては彼も周りの世界も、どうもノンビリした感じ。
女性からは女性が描けていないなんて批評ももらったかもしれないが、
それも含め、そもそもそういうふうなリアリズムを追いかける小説ではぜ
んぜんないのでした。って、丸谷の小説はみなそういう傾向ですけどね。
(たいてい文科系の薀蓄がかなり際限もなく広がっていくわけで、これが
楽しい。もちろん嫌味だと思う人もいるだろうけど。もっとも、この小説で
は、まだそこまでは行っていない。)
まだこの作品ではいつもの旧仮名遣いじゃないので、その点だけはちょ
っと助かったかも。旧仮名、平気ではありません。
他にリーフレット風にシリーズの月報が付いていて、そこでは大岡昇平
篠田一士というビッグな方々が「丸谷才一」について寄稿している。
積読していたものを42年ぶりに読んだというのがナンです。
ハハ。
またダラダラ長くなってしまった。こうして平穏に?年を取れるといい・・・