休みには中古屋のはしごⅢ

基本音楽鑑賞のつもり。ほかに映画・本・日記的なもの・ペットなど。

ベルワルド 交響曲 3&4他

フランツ・ベルワルド 交響曲全集 2-2

    Franz Berwald 1796-1868

 

CD2 66:25
(4)交響曲 第3番 ハ長調(風変わりな交響曲
    ①11:03 ②10:20 ③8:01
(5)Play of the Elves(大オーケストラのための音の絵)
    ④8:44
(6)交響曲 第4番 ホ長調(素朴な交響曲
    ⑤9:22 ⑥7:01 ⑦5:44 ⑧6:56
 
    トーマス・ダウスゴー指揮
    デンマーク国立放送交響楽団
    録音:2000~2004年、デンマーク放送コンサートホール、コペンハーゲン
    CD2枚組/2008/Brilliant Classics/(Chandos UK)/輸入/中古
    <★★★★△>

  基本情報
  生誕  1796年7月23日
    スウェーデン ストックホルム
  死没 1868年4月3日(71歳没)
   スウェーデン ストックホルム
  ジャンル クラシック音楽
  ロマン派
  職業 ヴァイオリニスト 作曲家
  担当楽器 ヴァイオリン
 
  気取っているというより、「苦虫をかみつぶす」ってやつだよ。
  「苦虫」がどんな虫だか知らんが。

 

さて、続きです。

(4)「風変わりな交響曲
風変わりどころか、ちょっとオシャレ、あるいは派手になったとでもいうか、メ
ンデルスゾーンには(古典的なまんま)追いついちゃった。
うんと古典的で軽やかながら、ふんわりゆるやかな繋ぎが絶妙に織り込まれてい
る①。モーツァルトではなくシューベルトのような感触のアダージョながら、ハ
ッとする素早いメロディが駆け抜けたり、これはモーツアルトのような粋なスケ
ルツォが間に挟まる②。そして珍しくちょっと外連味のある激しい③のプレスト。
三楽章ながら、とてもよくまとまった交響曲だと思います。
 
(5)「Elfenspiel」
つまり小妖精ないし森人の遊び、ぐらいの意味でしょう。あるいはその「絵」。
大オーケストラのための、となっているが、かわいらしい曲想で、初期ロマン派
のきちっとしたイメージ。捻った感じもない。テンポを上げてきりっと終わる。
やや古くさいかな、(2)ほど魅力的というわけではない。
 
(6)「素朴な交響曲」 naïve
①の細かい音の畳みかけなんてまるでベルリオーズ。自由さが素敵なアレグロ
②はブラームスワーグナーや後期ロマン派に繋がっていきそうなAdagio。
チラッと聞こえる木管、特にオーボエなんざ、ゾクゾクもの。(絶品!)
③若干翳りも感じられなくもないスケルツォ。ここなら 「naïve」でいい。
④ロマン派初期らしいAllegro vivace だけれど、曲想豊かで繋がり具合がとって

もオシャレ。外連もあり、うまいと思う。コーダは気張ってみました!!!って感

じ。

 
(5)の管弦楽曲以外はすべて傑作じゃないですかね。
ワタシの得手な時代ではないんですが、、、この方、もっと知られるべきです。
 
ヴァイオリン奏者だったが、ヴァイオリンのめぼしい曲は書いていないみたい。
音楽者としてほぼほぼ不遇といってもいい。作曲は独学で、きわめて独自の作
風をとったためらしい。作風の問題だろうか。当時の権威が遅れてアホだった
か、認めたくなかったとかいうようなことなんじゃないか。
後世のデンマークの作曲家カール・ニールセン(1865-1931)が当時のスウェー
デンの音楽事情を(つまりベルワルドをちゃんと遇さなかったことを)遅ればせ
ながら糾弾するようなことを書いているそうな。そらぁ、いささか遅すぎたね。
 
この年代の音楽を自分から聴くのはずいぶん久しぶりのことなんで、感覚的にも
新鮮だったか、とても気に入って高得点になりました。
 
交響曲以外の主な作品)
  ピアノ協奏曲ニ長調
  大八重奏曲変ロ長調
  弦楽四重奏曲ト短調
  ピアノ五重奏曲ピアノ三重奏曲
  バスーンとオーケストラのためのコンツェルトシュトゥック
 
この交響曲中心のCD2枚を聴く限りでは、なかなか理解されないほど進んでい

たわけでもあるまいに、信じられない。だから独自性についてはいまいちわか

らないものの、ワタシにはなんというか、時代の感性のはざまを埋めるかのよ

うな存在。「なんだぁ、ちゃんといたんじゃいか!」って感じです。
なに、単純に知らなかっただけなんですけどね、いやー、新鮮でした。
それから、この演奏もたいそう優れものだったのかもしれません。
Brilliant ClassicsはChandosからいい買い物をしたんだよ、きっと。
 
 
そうそう、蛇足ですが、ベルワルドさん、整形外科と理学療法の診療所を開設
して、金まわりが良くなっただけでなく、整形外科用の器具の開発なんかもや
って、その後器具が後世でもよく使われたとか、そっちの方面でも優れていた
そうな。二足の草鞋に近い方だったんだ。失意と極貧のうちに亡くなった、な
んてぇんじゃないんでよかったです、ハイ。