休みには中古屋のはしごⅢ

基本音楽鑑賞のつもり。ほかに映画・本・日記的なもの・ペットなど。

ゴルトベルク変奏曲

20231229(メモ了)

ゴルトベルク変奏曲』つながりの話

 

あやまるのもナンですが、汚くて読みづらい新聞の切り抜きの写真です。
この二つの記事で、今年はおしまい。11月のメモを出し終えましたので、これ
らは12月に入ってからのもの。
バッハの『ゴルトベルク変奏曲』でもって繋がっている部分がある。
といっても、この二つの記事は相当違った扱いを受けていて、でも、クラシック
音楽系の扱われ方としては、どちらも(らしくて)面白いと思います。

 

片山杜秀さんの記事)

    

いつも通り、オタクっぽい、衒学趣味っぽい感じがよく出てまして、特徴のある
語りですね。
ワタシには少々難しくて意味がちゃんと取れているとは思わないものの、この語
りが思いのほか楽しい。いつものことです。
ここではワタシには難敵の「変奏曲」に関する蘊蓄。
一応『ゴルトベルク変奏曲』は知ってはいます。確かに「均衡」の世界。(かの
グレン・グールドの弾くそれは、AIには、コピーはできても、自らこんなふう
にというのはけっこう難しいだろうな。「均衡」とは違うと思うけど・・・) 
そして、話題にしているチリの曲やジェフスキーの変奏曲(一体どんな曲なんだ
ろう!)や演奏は「ゴルトベルク」とは対極の性質を宿すんだって。なになに、

「対極の性質」? (対極っていうと、関係がないという関係みたいなことか?

じゃあ、ここに載せるのは恥ずかしながら強引だったか・・・)

 

  こんなに「表現」されたバッハは、作曲者自身ももし聴くことができれば、
  ビックリ仰天だったんじゃないかと空想する。まぁ、もうそんな話は何十年
  も前にされつくしているに違いない。こっちはもうそんなものを読まなくな
  ってしまったので、わからない。でも、例えばこと「ゴルトベルク」につい
  ては、グールドの演奏を経なければ、何も始まらない、これこそがスタンダ
  ード、みたいなことになってしまって長いんじゃないか、なんていう気もす
  る。違うかな。どうなんでしょう。

 

吉田純子編集委員の記事)

まず、小津の映画の音楽を担当した斎藤高順という作曲家のことを解説する。
その後、「ゴルトベルク」を弾いたスイスのピアニストに取材したところ、小津
の映画『東京物語』の音楽は、「ゴルトベルク」に通じて、抽象性と瞑想性を感

じると言ったというのね。

東京物語』の音楽なんて、全く知らないに近いが、この話には驚いた。

 

しかし、抽象性にはなるほどと思わぬでもないですが、瞑想性なんてことになる
と、うーん、そんなもんですかねぇ、眠くなるってほうが近くない?
変奏曲⇒迷路、迷宮あたりは納得できるが、瞑想性となると微妙に違う。ちょっ
した違和感・・・
吉田編集委員は芸術系担当だろうが、音楽関係の記事をよく書いていらっしゃる。

ワタシは実はわりとピンとこないことが多い。ワタシの感受性や知識の限界なん

でしょう。

(音楽ついての妄想的感想です。なんとか繋がったでしょうか・・・)
でもまぁ、音楽なんてそんなもんです。
そんなこと言ったらオシマイじゃないかって?
いやいや、オシマイなんてことはないが・・・
ワタシにも苦手な音楽は多いし、嫌いな音楽も案外いっぱいあるんですよね。
 
今年はオシマイです。
来年もよろしく・・・