休みには中古屋のはしごⅢ

基本音楽鑑賞のつもり。ほかに映画・本・日記的なもの・ペットなど。

新ウィーン楽派 弦楽四重奏曲/ラサール弦楽四重奏団 3/3

~20230916

WIENER SCHULE String Quartets

/LaSalle Quartet

シェーンベルク-ベルク-ヴェーベルン 弦楽四重奏曲

                     3/3

CD4 45:48

(10)抒情組曲(1926)            <★★★△>
  ①2:57 ②5:38 ③3:22 ④5:01 ⑤4:31 ⑥5:36
(11)弦楽四重奏曲(1909-10)       <★★★>
  ⑦9:00 ⑧9:36
 
  ラサール弦楽四重奏団
  録音:1968-1970、ミュンヘンなど
  CD/4枚組/室内楽/Ⓟ1970 ドイツグラモフォン/ⓒBrilliant Classics/
  輸入/中古

     シェーンベルクが弟子のベルクによる『アルテンベルク歌曲集』

     を指揮して場内が大混乱した様子を描いた当時の風刺画(1913年)

     あの『春の祭典』の時より、よっぽどしっちゃかめっちゃかみたい

     

CD

アルバン・ベルク・・・

(10)抒情組曲(1926)

 ベルクが十二音技法を用いて作曲した最初の大曲である(十二音技法を用い

 た最初の作品としては1925年に歌曲『私の両眼を閉じてください』(第2作)
 を作曲しており、この曲の音列を利用している)。ただし、全6楽章のうち
 この技法が用いられたのは第1楽章と第6楽章の全体、第3楽章と第5楽章の一
 部で、他の部分は無調によっている。また、第2・第3・第4楽章は1928年
 に弦楽合奏のための「『抒情組曲』からの3楽章」に編曲された。

 

非常に含みの多い曲のようで、複雑な音列のことのほか、私的な事情や文学作

品に絡むことなど、わかっていることは多いものの、わからないこともいろい
ろあるらしく、研究され続けているとか。ご苦労さんなこと。
そんなことはどうでもいいですね、こっちは。
とにかく、、、ベルクが十二音に取りついたのが三人のうちで一番遅かったが、
十二音を技法のひとつとして広く捉えていた感じ。
あとの(11)とは音楽の力が段違いだ。
十二音であれ無調であれ、ヴェーベルンのような別世界のような感覚はなく、
情感があちこちに滲みだしているようだ。第3や第5楽章など、かなりカッコ
いいしね。(ヴェーベルンの(8)や(9)とは違ったタイプだけれど)
もっとも、このカルテットの「表現」に負うところも多いのかもしれない。
 

(11)弦楽四重奏曲(1909-10)

ベルク24-25歳頃の作。後期ロマン派の雰囲気を引きずっているかのよう

だけれど、無調を試している。ただ試したというにすぎない感じがする。
ヴェーベルンを聴いた時のようにぎょっとすることもない。音楽としての完
成度は意外に高くなく、引きつけるものが乏しいと感じる。暗いロマン派の
ムード一色やね。このCDでは、なぜ(10)のあとに置いたんだろう。
 
 
大雑把で恐縮ものなんですが、イメージを並べると・・・
シェーンベルクは、後期ロマン派といっていい大巨人たちに対し、どう見ても
敵いそうもない。自分はオリジナリティー乏しい、なんか別のことを始めない
と、いい仕事はできない。で取りついたのが、無調や十二音。独特の「立派な」
世界を作り出したことはまちがいない。感じとしては、もがきつつも、ロマン
派や後期ロマン派の「あつくるしさ」は失わなかったように思う。
その感じを上手く引き継いだのがベルクで、流れとしてはシェーンベルクと似
ているものの、焦燥のようなものはなく、例えば十二音に調性を違和感なく
入れ込んだりして、進んだ音楽の感性や完成度をしっかり上げたみたいな。
しかも、後期ロマン派の深みのある「頽廃」(ナチスの言う「頽廃音楽」とは
違う)感も堂々と伴わせている感じ。
そこへ行くとヴェーベルンは、作品数が少ないというか、長大作がないという
か、人間がとかく言いたがる「柄」が大きいという感じがない。そして誤解を
恐れずに言うなら、有名な作品1の「パッサカリア」を聴くだけで自然と発想
してしまう、「なんだァ、このヒトもう始めから宇宙人(≒ぶっ飛んでいる)
じゃないか!」。人間離れというよりは自閉症の方の神経質さって(知らない
もんだから)こんな感じなんじゃないか、なんて想像させる。もっとも、温度
感は当然低いし酸素濃度も同じ。にも拘らず、あとの作曲家(現代音楽の方向
の作曲家)への影響力(≒避けて通れない方向性だったようで)では頭抜けて
いた(亡くなってからだけど)・・・ だから、三者三様なのに「新ウィーン

楽派」とまとめてしまうのは、違和感大ありなんだけれど、でもまぁ便利だし

ね、ハハハ。

 
さて、最後に演奏のこと。
ラサールSQ.の演奏だから意外といろいろな含みを感じることになったかもし
れないですね。ワタシは、アルバン・ベルクSQと違って・・・ラサールSQ.は
もっともっと現代的だろうと思い込んでいました。実は逆。洗練されてはいて
も、結構表現するタイプのクァルテットだったんだ。
ヴェーベルンを聴いているあたりで脱線して、ヴェーベルンの全集をざぁーっ
と車の中で流していた時、弦楽四重奏曲(6)などではかのジュリアードSQ.の
演奏が納められていたのですが、この演奏がおっそろしくきつく冷たく陰影の
ないものでした。正確な演奏でもあったと思います。これに比べたら、ラサー
ルSQ.の演奏は、言ってみりゃあ(古くて)けっこう「歌っている」し表現もい
ろいろやっていたということになるのだなぁ。
ついでに全集の中に(6)の弦楽合奏版があって、これがまたすごいというか、
めちゃくちゃ鋭くカッコよかったですねぇ・・・(指揮はブーレーズ) 
ハイ、脱線。って、こういうことやるのが鑑賞というものなんですけどね。
 
弦楽四重奏団の代名詞のようなアルバン・ベルクSQ.だとどうだったのだろう。

もう忘れてしまっているので、探して再聴してみましょう。ラサールとジュリ

アードの間だったのかな。まあそんなところでしょう。

そもそも室内楽に詳しくなかったからなのですが、ラサールSQ.については間
違いなく、上述のように誤解していました。
脱線しただけでなく、このあいだのヘンツェのように、メモも取りづらく、え
らい時間かかっちまった。