休みには中古屋のはしごⅢ

基本音楽鑑賞のつもり。ほかに映画・本・日記的なもの・ペットなど。

映画『ウェンディとルーシー』

20230829(了)

映画『ウェンディとルーシー』

 監督;ケリー・ライカート//ミッシェル・ウィリアムズ/ウィル・パットン
 2008年製作/80分/アメリカ/原題:Wendy and Lucy/DVDレンタル
 <★★★>

インディアナ州から延々アラスカ州まで、車で犬を連れて旅をしている若い
女性。アラスカで働いてお金を儲ける。その理由を知りたいが、ほぼ分から
ない。思いつめているらしいことは感じられる。もっとも、やっていること
は遠くの「身近な人」にはある程度公認のよう。親ではなさそう。
車はホンダ・アコード。犬はせいぜい3-4歳の若い雌で、セリフではレトリー
バーと何かの混血じゃないかとか言ってましたね。たしかにそんな顔つきの
犬種でした。この犬、ここまでデカイと相当大喰らいだろうな。ワタシはさ
ほど詳しくありませんが。
ひとしきりじゃれ合っている映像のあとは、オレゴンの小さな町でトラブル
になり、彼らはこの町に足止めされることになる。
 
ウェンディの車が故障してしまうが、持っている金も少ない。修理工場がし
まっているからと入った小さいスーパーで万引き。見つけられて警察に行く。
警察に長い時間いた間に、店の前に繋いでおいた犬がいなくなってしまう。
犬探しと車の修理がストーリーの中心になる。エンコした車の近くにいた施
設警備のオッサンがひたすら親切(彼の持つ携帯は古い型、2008年製作時は
こんなものだったんでしたっけ)なんだが、他には気持ちの通う人はほぼい
ない。犬の保護をしている施設を教えてもらう。役に立ってくれはするのだ
が・・・でもまぁ、困った・・・
ルーシー以外に友がいるわけがない、車を修理に出してからは、寝るために

出す金はない、などなど。ウェンディのなかなか報われない苦労や不安が描

かれる。

 
ウェンディの苦労や相棒犬ルーシーとの結びつきが主眼なのか、ウェンディ
のような存在そのものが主眼なのか、「ランボー」のように田舎町の人々を
含めた状況が主眼なのか、はたまたこうしたものをひっくるめたアメリカの
ある種の縮図を観るような面(?)が主眼なのか・・・ 
別にそんなこといいんじゃないかと思わぬでもないけれど、そんなふうにで
も考えないと、突っ込みのない、現実的ながらとこか感情移入しにくいアッ
ラカンとした描写の意味が引っかかってしまう。上手く言えませんが。
だから結局欠けているピースは、始めに戻って「なんで彼女は犬連れでアラ
スカに行かなきゃならないのか」、じゃないのかしらん。(違うかもなぁ)
 
音楽は最低限のもので、それ以外には、ウェンディの鼻歌らしきものが多く
のところで低く流れていました。彼女が喋っている時にも流れていることが
あったから、彼女が歌ってるわけではなく(多分)、これも映画自体の通奏
低音というか、BGMだったのかもしれません。このことにも、ワタシは何か

意味付与をしたくなってしまいました。結局「意味」渇望性、貧乏性の一種

なのですな。

こういう、アメリカを描くシリーズものなんやね。
そういうことだとして、でもいったい「どういう」アメリカ?
日本語のポスターには「漂流のアメリカ」と書かれている。