休みには中古屋のはしごⅢ

基本音楽鑑賞のつもり。ほかに映画・本・日記的なもの・ペットなど。

「動的平衡    生命はなぜそこに宿るか」/ 福岡伸一

20230717(了)

『新版 動的平衡

   生命はなぜそこに宿るか』/ 福岡伸一

  「青い薔薇」――はしがきにかえて
   プロローグ 生命現象とは何か
第1章 脳にかけられた「バイアス」
       ――人はなぜ「錯誤」するか
第2章 汝とは「汝の食べた物」である
       ――「消化」とは情報の解体
第3章 ダイエットの科学
       ――分子生物学が示す「太らない食べ方」
第4章 その食品を食べますか?
       ――部分しか見ない者たちの危険
第5章 生命は時計仕掛けか?
       ――ES細胞の不思議
第6章 ヒトと病原体の戦い
       ――イタチごっこは終わらない
第7章 ミトコンドリア・ミステリー
       ――母系だけで継承されるエネルギー産出の源
第8章 生命は分子の「淀み」
       ――シェーンハイマーは何を示唆したか
第9章 動的平衡を可視化する
       ――「ベルグソンの弧」モデルの提起
  あとがき
 

  2017年/新書/科学エッセイ/小学館/(初2009年 木楽舎)/中古

  <★★★★>

帯は 「生命とは何か」 地球最大の難問を解く です。
当たり前の話ですが、生物学の行き着く先。
 
ワタシにとって小むつかしいところはあちこちあったものの、面白かったです。
文学的(文学系ぐらいの意味か)だ、なんていう評もありましたっけ。それも
またよし。ワタシは哲学にも近いと思うんですけどね。
 
一度読みかけて途中で長らく放置してしまった本。当初の単行本は始末して、
新版になったものを読んでみることにしました。(加筆と新章追加されている
そうな)読んでおられる方が大勢おられようが、この「動的平衡」をひとまず

まとめた単元を、書き写してみました。鬱陶しいでしょうから、読み飛ばして

ください。

って、そうしてしまわれると、読むとこ、ないんですけどね。
ワタシとしては、この基本概念を、どうも頭の中に定着させるのが難しそう――
あるいはたちまち忘れそう、あるいはとっさには説明できそうもない――なの
で、自分で文字にしてみておこうというぐらいの感覚です。
 
 

動的平衡」とは何か

 生体を構成している分子は、すべて高速で分解され、食物として摂取した分

子と置き換えられている。身体のあらゆる組織や細胞の中身はこうして常に作
り変えられ、更新され続けているのである。
 だから、私たちの身体は分子的な実体としては、数か月前の自分とはまった
く別物になっている。分子は環境からやってきて、いっとき、淀みとして私た
ちを作り出し、次の瞬間にはまた環境へと解き放たれていく。
 つまり、環境は常に私たちの体の中を通り抜けている。いや、「通り抜ける」
という表現も正確ではない。なぜなら、そこには分子が「通り過ぎる」べき容
れ物があったわけではなく、ここで容れ物と呼んでいる私たちの身体自体も通
り過ぎつつある」分子が、一時的に形作っているにすぎないからである。
 つまり、そこにあるのは、流れそのものでしかない。その流れの中で、私た
ちの身体は変わりつつ、 かろうじて一定の状態を保っている。 その流れ自体が
「生きている」ということなのである。シェーンハイマーは、この生命の特異
的なありようをダイナミック・ステイト(動的な状態)と呼んだ。私はこの概

念をさらに拡張し、生命の均衡の重要性をより強調するため「動的平衡」と訳

したい。英語で記せば  dynamic equilibrium(equi=等しい、librium=天秤)

となる。

 ここで私たちは、改めて「生命とは何か?」という問いに答えることができ
る。「生命とは動的平衡にあるシステムである」という回答である。
 そしてここにはもう一つの重要な啓示がある。それは可変的でサスティナブ
ルを特徴とする生命というシステムは、その物質的構造基盤、つまり構成分子
そのものに依存しているのではなく、その流れがもたらす「効果」であるとい
うことだ。生命現象とは構造ではなく「効果」なのである。
 サスティナブルであることを考えるとき、これは多くのことを示唆してくれ
る。サスティナブルなものは常に動いている。その動きは「流れ」、もしくは
環境との大循環の輪の中にある。サスティナブルは流れながらも、環境とのあ
いだに一定の平衡状態を保っている。
 一輪車に乗ってバランスを保つときのように、むしろ小刻みに動いているか
らこそ、平衡を維持できるのだ。サスティナブルは、動きながら常に分解と再
生を繰り返し、自分を作り替えている。それゆえに環境の変化に適応でき、ま
た自分の傷を癒すことができる。
 このように考えると、サスティナブルであることとは、何かを物質的・制度
的に保存したり、死守したりすることではないのがおのずと知れる。
 サスティナブルなものは、一見、不変のように見えて、実は常に動きながら
平衡を保ち、かつわずかながら変化し続けている。その軌跡と運動のあり方を、
ずっと後になって「進化」と呼べることに、私たちは気づくのだ。
 
 
今流行りの「サステイナブル」という言葉がここだけで何回も出て来ます。こ
の本が出たころは流行ってなかっただろうね、勿論。今は日本国民の大半が辞

書を引かなくても意味を知っている・・・

それでもって、これじゃあ一見いかにもはかなそうな「効果」「流れ」として

の「生命」なんだけれど、語弊を恐れずに言えば「ちゃんと」サスティナブル。

激烈な、小難しくも力こぶの入った(少々メンドクサイ)第9章こそが、白眉
なのかもしれません。交響曲の最後の楽章の「コーダ」の感じです。
ワタシとしては前半のまだ気軽な (と言ってはまたまた語弊がありますが)読
み物の部分のほうが楽しかったかもしれません。

図でいうと、ワタシなど「合成と分解」の、合成のほうのスピードがボチボチ
落ちてきてしまいつつあって、残りの輪っかが急速に短くなりつつある。
そういやぁ、百歳になろうとしているオフクロなんて、ここにあるような説明
で行けば、いかほども輪っかなんか残っていない、変な図になっているはず。

それでも、ワタシのほうが先に使い果たすなんてことも、なくはないんだ。

しっかりボケているオフクロも、自分より子供が先に死ぬのはひどく嫌なよう

で、それはワタシも似たり寄ったり。でも、「動的平衡」の状態の「生命」に

とっちゃあ、ささいなことにちがいありません。

 

おしまい。

 

(追)

さて、台風(7号)一過の、すぐそこのケヤキ並木400-500mの道は、枯れ枝
や落ち葉などがすごくて、非常に歩きにくかった。普段なら邪魔な枝などは脇
へどけたり、砂や落ち葉で塞がってしまっている雨水桝をきれいにしたりする
(ここは実は自分の町内じゃないんですけどね、いつも犬コロと散歩で通りま
すから)のですが、今回は一人でどうこうできる状態じゃなかった。
ところが、どういうもんだか昨日、役所(の指示を受けた業者)がこれを片付
けちゃった。おとといは惨状だったからね、驚いたねぇ・・・こんなに早く。 
どなたか発言権のある方がこの辺に住んでいらっしゃって、市に清掃の「依頼」
をなさったんでしょうか。

よく見えるようになった地面の写真を一枚。まだ穴がくっきり。
地中で6~8年ほど過ごし地上では1~3週間生きるセミ

これらはたいていクマゼミの穴やね。死骸はパラパラ。多くは清掃で片付けられ

ちゃって、ここには一匹ぐらいしか写り込んでいない。そして肝心なこと、もう

新しいセミ殻はありません。つまり、少なくとも清掃のあとは、クマゼミは新た

に孵化というか、変態はしていないってことだね。今生きている個体が寿命を迎

えたらおしまい。

朝はまだそれなりにうるさく鳴いてはいますが、午後にはほとんどアブラゼミ

かり。(基本的にはクマ公は鳴くのは朝だけだったもんですが、近ごろは増えて

大味になったか、昼を過ぎても、夕方までも鳴くようになっちゃってる。)

遠くでツクツクボウシの鳴き声が聞こえている。日差しはまだめちゃくちゃきつ
い。それでも季節の変わり目が近づいた感覚はあります。