休みには中古屋のはしごⅢ

基本音楽鑑賞のつもり。ほかに映画・本・日記的なもの・ペットなど。

シレンシオ ― 沈黙 ―

たまにはミニマル

20220602(了)

シレンシオ ― 沈黙 ―

(1)アルヴォ・ペルト(1935- ):タブラ・ラサ〈1977/1980〉

    (2本のヴァイオリン、弦楽オーケストラとプリペアド・ピアノのための)

    ①Ⅰ.Ludus 10:21 ②Ⅱ.Silentium 18:24
    <★★★☆>

(2)フィリップ・グラス(1937- ):カンパニー

    (弦楽オーケストラのための)〈1983〉

    ③~⑥ MovementⅠ~Ⅳ 8:01

    <★★>

(3)ウラディーミル・マルティノフ(1946- )

   :『カム・イン!』(2本のヴァイオリンと弦楽オーケストラのための)  

    ⑦~⑫ MovementⅠ~Ⅵ 26:51

    <★★☆>

 (4)アルヴォ・ペルト:ダルフ・イッヒ・・・ 〈1995/1999〉

    (ヴァイオリン・ソロ、ベル、弦楽合奏のための) 世界初録音

     ⑬ 4:15

    <★★★>

 

  録音:1998年11月、タリン((4)のみ1999年9月、ベルリン)
  ギドン・クレーメル/クレメラータ・バルティカ
  (ソロ;ヴァイオリン、プリペアド・ピアノ、チェレスタ) Tot.67:52
  CD/現代音楽/WMJ/邦盤//Ⓟ&ⓒ 2000 NONESUCH/中古

(1) タブラ・ラサ 有名曲で、意味は「文字の書いていない板」。
昔のECM盤で知っているんだけれど、今回のほうが意味ありげに感じま
したね。研ぎ澄まされた宗教的情念の表現、なんていうようなわけの分
からん言葉を、つい捻りだしてしまうものが、この演奏にはあるってこ
とじゃないか。ホントは情念なんて言葉はイヤなんですけどね。だいた
いペルトの曲に情念、つまり感情の塊みたいなものなんてある?
ワタシが変っただけだってこともあるけどね。
ペルト、ワタシとの相性は、昔から基本的には、よくはないんだけれど、
このごろは、たいていのものは感覚的に赦せちゃう。感性が甘くなった
か、いろいろ意固地になることもないと考えられるようになったか。
ライナーには解説者が「沈黙」について、引用や自説を述べているけれ
ど、中身は宗教色が強い気はする。
プリペアド・ピアノによる奇妙な打楽器的使用と、ヒリヒリするような
弦楽合奏とソロ・ヴァイオリンとが組み合わさって、まるで氷の中の世
界のよう。こりゃあ、なんというか、生き物の(住める)世界じゃない。
地表じゃね、完全な沈黙なんてないようなものなんだけれど、この音の
世界は、殆ど「あちら側」といういわば妄想の世界。(霊界なんて言葉
が陳腐に聞こえる)
これを好きだなんて言うのもむしろヘンなんだ。

     (この方がペルトさん)

 

(2) 「カンパニー」 ミニマル・ミュージックというと、まっさきに
連想するのがこういう音楽。ここのペルト(ロシア正教)でも、ライリ
ー(インド哲学)でもライヒユダヤ教)でもアダムズでもナイマンで

もない。ましてや、「風の谷のナウシカ」で上手に使ってみせた久石譲

でもない。

グラス!(チベット仏教
グラスしかいなきゃ、ミニマルは嫌いだとはっきり言えるんだがなぁ。
というか、もっともミニマルらしい音楽(ばかり)を書いたのがグラス
なんじゃないか、、、ある種の効果(音)としては有効な場合が色々あ
ることはよくわかる。いくつか、映画音楽も聴きました。サントラを聴
いてこれほど面白くない(例えば無機的、とでもいいましょうかねぇ)

思いをするのも、そうはありません。

これもどうも、弦楽四重奏ヴァージョンで聞いたことあるように思いま

す。基本的に、音色やテンポ(緩-急-緩-急)が少し違うだけで、ひたす
らワルツまがいの「三連符」が続く。
これは映画のサントラとは違って、ベケットの短編の戯曲化に際して、
繋ぎ目にはめ込まれた含みのない「音」だそうで、「こんなもんでも使

い道はあるんだ」などとベケットはおっしゃったそうな。ならばなるほ

ど・・・です。

ああ、やっぱり長ったらしくなっちゃった。
グラス、そんなにたくさん聴いてきたわけではありません。
 
(3) 『カム・イン!』 このロシア系の作曲家の名は知りませんでした。
そしてこの曲、ミニマルなでしょうか。もちろんジャンルなんぞ本当はど
うでもいいことなんだけど、、、
弦楽合奏で、非常に柔和で美しい音楽が6楽章、すこしづつ変化を加えら
れながらダラダラと奏でられる。楽章の間には、何も書かれていませんが、
木魚みたいな音が繋ぎになる。(・・・へぇー・・・ )
セリーや電子音楽にも進んだらしいが、その後は民謡の研究、ロシア正教
の聖歌の研究にも携わり、ペルト同様、ミニマリスムと宗教音楽への傾倒
をしていったかただそうな。
 
(4) ドイツ語の 「Darf ich ・・・」 は英語じゃあ「 May I ・・・」
4分余りの短い弦楽合奏で、「タブラ・ラサ」の非人間的な感じとは違い、
優しい情感や悲鳴のような激しい感情が聞こえたりする。つまりこれは、
宗教っぽいものではないわけだ。「タブラ・ラサ」よりは親しみを覚える。
May I のあとに何が来るんだろう。
フッと(半端に)終わってしまう。
 
きっと評価の高かったアルバムだと思います。録音はいい。
でも、当分聴くことはないでしょう。特に(2)。
四六時中スマホを触っている人には、更に無縁な音楽だという言い方が
できそうです。嘘・・・ゲームには大丈夫でしょう。

 

片山杜秀さんの記事(次は9月でこれじゃ連続執筆じゃないネ)。

これか間遠に連載されるらしい。音楽の趣味は異常に広く、かなり変わった

先生だけれど、FMを聴いているうちにファンになった。

屋根の上のヴァイオリン弾き」から説き起こし、ウクライナクレーメル

のことを書いておられるので、付録的に添付する気になりました。

写真はエエカゲンです、スミマセン。

タイトルの欠けている部分は「水と油・・・」。

 

(人間、交じりまくるしかない。これ結論。)