休みには中古屋のはしごⅢ

基本音楽鑑賞のつもり。ほかに映画・本・日記的なもの・ペットなど。

シェーンベルク/期待・月に憑かれたピエロ・山鳩の歌

ブーレーズ・コンダクツ・シェーンベルク  4/11

   Pierre Boulez conducts Schoenberg(1874-1951):

        Chamber Works・Orchestral Works・Vocal Works

20210608(了)

【CD4】 75:47
(10)モノドラマ『期待』op.17 D1〜D8 
     ジャニス・マーティン(Sp)、BBC交響楽団
(11)月に憑かれたピエロ op.21 D9〜D29 
     イヴォンヌ・ミントン(語り)、ダニエル・バレンボイム(P)、ピンカス・ズッカーマン(Vn)、
     リン・ハレル(Vc)、ミシェル・デボスト(Fl)、アンソニー・ペイ(Cl)
(12)山鳩の歌 D30
     ジェシー・ノーマン(Sp)、アンサンブル・アンテルコンタンポラン

 

  全ての指揮;ピエール・ブーレーズ
  録音;1974~1986年
  Ⓟ&ⓒ 2013 Sony Music Entertainment/11枚組/現代音楽

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【CD4】
(10)モノドラマ『期待』(1909)
  <★★★☆>
ソプラノ歌手1人のみが登場するこのオペラは・・・フロイトの複雑な意識
下の世界を描いたものであり、1人の女性の性的意識から生じたグロテスク
で悪夢のような幻想を扱っている。シェーンベルクの作品でしばしば登場
する「月光下の世界」のイメージは、このオペラでも重要な位置を占め・・・
 確証があるわけではないが、フロイト流の音楽による劇の最初の作品とも
言われている・・・etc.(Wikiから)

 

モノドラマ『幸福の手』も妄想の中に分け入るが、こっちはフロイトの世界。

ワタシなど、ついエロティシズムを連想してしまう分かりやすい人間ですが、
歌詞/言葉がわかるわけでなし、色っぽさもエロティシズムなんてものもま

るで感じられず、確かに心の闇や狂気のほうなら、いくらか伝わってきまし

た。

オーケストラのサウンドがすばらしく、(7)と同じような楽しみ方になって
しまいました。
 
(11)月に憑かれたピエロ(1912)
  <★★☆>
正式な表題は 『アルベール・ジローの「月に憑かれたピエロ(ドイツ語訳オットー
・エーリヒ・ハルトレーベン)」から採った全三部各部七篇の詩。シュプレヒシュティ
ンメ(語りの声)、 ピアノ、フルート (ピッコロと持ち替え)、クラリネッ
ト(バスクラリネットと持ち替え)、ヴァイオリン(ヴィオラと持ち替え)、チェロの
ためのメロドラマ』。

・・・ドイツ語版の詩集から選ばれた21篇が、7篇ずつ3部に分けて曲付けが

なされている。

 第1部:「月に酔い」「コロンビーナ」「伊達男」「蒼ざめた洗濯女」
      「ショパンのワルツ」「聖母」「病める月」
 第2部:「夜」「ピエロへの祈り」「盗み」「赤いミサ」「絞首台の歌」
      「打ち首」「十字架」
 第3部:「郷愁」「悪趣味」「パロディ」「月のしみ」「セレナーデ」
      「帰郷」「おお、なつかしい香りよ」

以前のように詩を日本語で一通り読んでみました。やっぱりワタシには歯が

立たない。

作曲者からかなり詳細に指定されたシュプレヒシュティメですが、物語性は
ほとんどなく、ムード主体の詩。語るでもなければ歌うでもない。もともと
苦手な曲なのですが、その感覚は、これまでと変わりませんでしたね。
サウンド自体は決して嫌いではありません。
 
そのシュプレヒシュティンメ(Sprechstimme/話し声⇒語るように歌う)
に関する作曲者自身の説明、貼り付けてみましょうか・・・

 

 シュプレヒシュティンメのパートに記譜されている旋律は(特に指示のあ
るいくつかの例外を除いて)、歌うためのものではない。演奏者は、記譜さ
れている音の高さを考慮に入れた上で、この旋律をシュプレヒ・メロディー
(語る旋律)へと移し変えねばならない。この時、以下の点に留意しなけれ
ばならない。
 I)演奏者はリズムを歌唱の時と同様に、正確に遵守しなければならない。
  つまり演奏者に与えられている自由は、歌唱旋律の場合許されている以
  上のものではない。
 II)演奏者は歌う音と語る音との相違を厳密に区別していなければならな
  い。歌う音には変更の許されない一定の高さが定められている。語る音
  にも高さは与えられているが、この高さは語る時には、より高い音、あ
  るいはいはより低い音に置きかえられて、遵守はされない。演奏者が特
  に避けなければならないのは、《歌うような》語りの調子に陥ってしま
  うことである。これはまったく作曲者の意図ではない。
    ― シェーンベルク、エーベルハルト・フライターク著、宮川尚理訳
          『大作曲家 シェーンベルク音楽之友社・・・より引用
 
比較して聴く意味があったかどうかあやしいけれど・・・とりあえず比較し
たのは、P・ヘレヴェッヘ指揮のハルモニア・ムンディ盤。このシュプレヒ
シュティンメの芝居っ気というか、オーバーな表現はものすごいもので、較
べてみて初めて分かった。これはむしろ、作曲者の意図ではない「《歌うよ
うな》語り」に近いかも。もっとも、だから少しは好きになったかというと、
残念ながらそんなことは起きませんでしたけどね。
 
やっぱりダメだったというのに、長くなりました。
 
(12)山鳩の歌
   <★★☆>
これは「歌」。当たり前ですが、ずばり歌で、歌を楽しめなくちゃ多分あま
り意味のない音楽でしょう。調性もちゃんとある。
歌うはジェシー・ノーマン。ここまで太いソプラノをワタシはほかに知らな
い。このすごい声を意識しないで、オケ伴のみを楽しむのは無理です。
 
 
さてさて、CD5とCD6は苦手なずばり歌物です。
歌詞もわからんし・・・なにか楽しめるものを見つけなきゃあ・・・