| 20210101(了) |
アストル・ピアソラ/タンゴ・オペリータ;
『ブエノスアイレスのマリア』
| 台本:オラシオ・フェレール |
| 初演:1968年 ブエノスアイレス |
| 編曲:レオニード・デシャトニコフ |


| 第一部(①-⑨ 48:42)/第二部(①-⑧ 45:45) |
| フリア・センコ、ハイロ(歌) |
| オラシオ・フェレール(語り) |
| ギドン・クレーメル(vln.)他 クレメラータ・ムジカ |
| コラール・リリコ・ブエノスアイレズ(コーラス) |
| 録音:1997年(Wels)&1998年(ブエノスアイレス) |
| 1998年/CD2枚組/現代音楽(室内楽と声楽)/WMJ(邦盤)/TELDEC/中古 |
| <★★★★> |

| 12月に繰り返し聴き、あるいは流して、今年最初のメモになりました。 |
| <帯惹句> ・・・は作曲家ピアソラの最高傑作であり、音楽史上もっとも |
| 独創的な音楽・舞台作品の一つです。私はピアソラに「恋して」いました |
| が、それが今、本当の「愛」になったのを感じています。 |
| ――ギドン・クレーメル |
| 最高のアーチストたちと洗練されたアレンジ。ピアソラの天才とクレーメル |
| の霊感がひとつとなった哀愁と陶酔の音楽 |
| これは邦盤なので、解説のみならず、ちゃんと対訳が付いていました。 |
| この対訳がすごかった。日本語らしいんだが、意味がほとんどチンプンカン |
| プン。翻訳機による訳文なんじゃないかと思いつつ読み、今は・・・台本を |
| 書いたフェレールというかたのぶっ飛んだ感性の産物なのにちがいない |
| という考えに落ち着いています。 |
| ただ、それなら、ピアソラさんはそれを理解して曲をこしらえたことになる |
| わけで(まさか台本があとってことはないでしょう)、、、やっぱりワタシ |
| がいかに詩心がないかということなっちまうのか。ヤレヤレ。 |
| 例えばマリアは、ブエノスアイレスにいる可愛い街娼で、夢見がち、恋しが |
| ちで、タンゴと切っても切れない、あるいはタンゴのような女。例えばマリ |
| アは殉教者? 聖母マリアでもあり、マグダラのマリアでもある?みんなの心 |
| にあるブエノスアイレスそのもののこと?そういうものをひっくるめて、韻 |
| を踏ませて並べ立てた幻想? などと懸命にイメージをつかもうとしたんです |
| が、全くダメでした。結論は、、、言葉の羅列、タンゴという入れ物にぶっ |
| こんだブエノスアイレス。そうとしか考えられない。(日本語の訳者名が最 |
| 後に載っていました。ご苦労様なこと!) |
| でも、どうだろう、もうちょっとまとめるとするなら、これって、下賤で傲 |
| 慢な人間のレベルにまで引きずり下ろした降誕祭(クリスマス)、みたいな |
| ものなんじゃないか。マリアがマリアを生む、、、 自分で書いててくどい |
| ワ。この、なんにもイメージの湧かない言葉をずーっと読み続けるのは、な |
| かなか特異な時間でした。 |
| 解説のほうはというと、これが普通の日本語でして、台本のフェレールや、 |
| 企画と演奏のクレーメルは熱に浮かされたような文章を連ねていました。 |
| それはそれでかまわないわけですが、作品解説はほんの僅か。それを一言 |
| で表わすというと、 |
| 「主人公マリアは、タンゴという音楽ジャンルを登場人物に置きかえたも |
| の」 |
| なんだって。ブエノスアイレスじゃないんだね。まあそんなものでいいんで |
| しょう。 |
| そういうことであれば、詩を解さぬワタシ向き。割り切って音として聴けば |
| ヨロシイというお墨付きをいただいたようなものだもの。 |

| リブレットを読む時は、このCDだけでなく、ひとつ前のコロンビアのギタ |
| ー曲を流しながらでも、なかなか合ったのです、不思議なことに。 |
| 音楽のほうは、ぶっ飛んだ詩つきの、ピアソラのエッセンスの塊という音 |
| 楽だと思いました。 |
| 1967‐8年ころの初演時は楽器は11人だったのを、8人に凝縮したらし |
| い。これ聴いていると、これこそがオリジナルと思わせる感じ。フェレー |
| ルやクレーメルの自画自賛もわかるが、デシャトニコフもすばらしい仕事 |
| をしたようです。 |
| 演奏の良し悪しを言う能力はワタシにゃありませんし、幅の広い音楽の集 |
| 合体なのですが、それでも何か言うとすれば、皆、おっそろしく上手い! |
| ノリノリ!鋭くしかも軽妙! |
| (結局始めに掲げた惹句がすべてかもしれません) |
| (こりゃ、オペラじゃない) |