休みには中古屋のはしごⅢ

基本音楽鑑賞のつもり。ほかに映画・本・日記的なもの・ペットなど。

猫語の教科書/ポール・ギャリコ

すぐ隣にいる「野生」が家を出入りする・・・なんて感覚じゃないね

20221116(了)

猫語の教科書/ポール・ギャリコ

                                           /訳者 灰島かり

 編集者のまえがき
 第1章  人間の家をのっとる方法
 第2章  人間ってどういう生き物?
 第3章  猫の持ち物、猫の居場所
 第4章  獣医にかかるとき
 第5章  おいしいものを食べるには
 第6章  食卓でのおすそわけ
 第7章  魅惑の表情をつくる
 第8章  ドアをどうする?
 第9章  クリスマスのおたのしみ
 第10章  旅行におともするコツ
 第11章  母になるということ
 第12章  じょうずな話し方
 第13章  猫にとっての正しいマナー
 第14章  愛について
 第15章  別宅を持ってしまったら
 第16章  これはしちゃダメ
 第17章  じゃまする楽しみ
 第18章  子猫のしつけと子猫の自立
 第19章  終わりに
       写真家のメモ
       わたしにとっての”猫語の教科書”  大島弓子
 
       1998年12月(第一刷) 2010年11月(第一八刷)
       ちくま文庫ⓒ1964 Mathemata A.G./英//中古
       <★★★★>

今は、ある程度の規模があれば、だいたいどんなスーパーにもペットフー
ドのコーナーがあって、専門店は大苦戦でしょうね。ワタシの感覚では、
陳列されている商品の量や種類は、犬用対猫用はかなり拮抗している。
そして、並んでいる餌という商品は、実はどちら用でもかまわない物が多
いんじゃないかと睨んでいるんですが、、、素人考えなんでしょうかね。
 
猫は、すぐ隣にいる「野生」というイメージの生き物ですが、ワタシは飼
ったことがありません。
内容はだいたい想像がついて、それも思ったとおりの内容らしい。
何故か急に読みたくなりました。理由はハルノ宵子さんの本「猫だましい」
以外にも何かあったはずなのに、、、どうやら忘れてしまいました。
古い本ですよね、これ。米国で書かれたのが1964年。今から58年前。日本
で翻訳の単行本が出たころ(1995年?)はでかい、豪華な装丁で出たんじ
ゃないでしょうか。知りませんけど、そんな気がします。
そして、たぶんこれは相当売れた有名な本に違いない。

「編集者のまえがき」だけでも演出がおかしく、大いに「人を食っている」
のですが、この擬人化による「人食い」(≒共存)、犬と全く違う戦略によ
る効果に笑いながらも、類型化されても喜ぶ「ヒト」となって、ひとつひと
つ頷いてしまいました。
 
第2章なんざ爆笑もので、人間をいかに手なずけるか。家をのっとるか。
 簡単とは言え、まず男の転がし方はどうやるか。
 女はなぜ警戒すべきなのか。
 家のボスである子どもをよく見きわめるには。
 独り者とのつき合い方は難しく、どうするか。
 
特に、「男について」と「女について」は笑える。今とは若干違うようなと

ころも、あるっちゃあるけれど、基本はそう変わらないんじゃないですかね

ぇ。

第1章は、第2章の最初の実践編。多分章を入れ替えたらつまらないから、
こうしたんでしょう。
 
猫好きの多くが知っていそうですね、この本。
 (かくして猫は人の世界を牛耳り続けるのだ・・・)
 (牛耳られ続けようではないか・・・)
「編集者のまえがき」と第19章「終わりに」だけが「ヒト」が書いているこ
とになっていて、あとは、経験を経た猫が主に子猫を対象(第18章を除き)
にして、猫の伝統たる「ヒトのたぶらかし方法~しつけ方」を、微に入り細
を穿って述べているというスタイルを採っている。各章のタイトルを見てい
ただくだけでわかると思うので、説明はしません。
でもまあ、ひとことで言うなら、男の目からのヒトの観察を戯画化した、と
でも言えばいいんじゃないですかねぇ。あるいは「飼い主の心構え」という
言い方もできそう。

 

以下はつけたしのようなものです。

こういう見方もあって、犬好きのワタシなんぞ、どこかほっと(?)します。
特に最後のところ。
基本的には人為的に作られた犬という「性格」と、自然のまま人間に寄り添

うことになったらしい猫(の「性格」)とは、違いは厳然としてありますけ

どね。

猫は本当にずっと猫自身の「戦術」のままだったんでしょうか。
 

 

ワタシは猫でもいいなぁと思っていたところ、流れで犬になっちゃった我が

家は、夫婦と犬(柴犬娘)一匹。

多分もう猫を飼うことはないでしょうね。(なんか、人生でやり残したこと!

みたいだ)

 

せんだっても書いた纏向遺跡、、、ちょっと気になります。

カル・ジェイダーズ・ラテン・コンサート

20221120(了)

カル・ジェイダーズ・ラテン・コンサート

CAL TJADER’S LATIN CONCERT

 ① VIVA CEPEDA 3:40(Tjader)
 ② MOOD FOR MILT 3:13(Tjader)
 ③ THE CONTINENTAL 3:40(Magidson-Conrad)
 ④ LUCERO 4:26(Tjader)
 ⑤ TU CREES QUE? 4:47(M.Santamaria)
 ⑥ MI GUAGUANCO 4:43(M.Santamaria)
 ⑦ CUBANO CHANTO 4:04(Bryant)
 ⑧ A YOUNG LOVE 9:24(Tjader) 
 ⑨ THEME 0:54
 
   カル・ジェイダー(vib)
   モンゴ・サンタマリア(conga)
   ヴィンス・ガラルディ(p)
   アル・マッキボン(b)
   ウィリー・ボボ(timbales、ds)
   録音:1958年9月、サンフランシスコ、ブラックホーク/リマスター1991年 Tot.39:22
   CD/Ⓟ&ⓒ 1991 Fantasy/Universal/輸入/中古
   <★★★★>

ちょっと前にアップしたカルロス菅野のコンピレーション盤、「TROPI-
CARNIVAL」で気に入ったカル・ジェイダー。そのアルバムを早速1
枚選んでみました。39分ちょっとといたって短い収録時間。短すぎだよ。
気に入った2曲は下記の
 キューバン・ファンタジー(レイ・ブライアント)/カル・ジェイダー、モンゴ他 6:28
 チスピータ(エディー・カノ)/カル・ジェイダー、モンゴ゙他 1960 3:23
で、これは今回のアルバムには入っていない。
 
うんと軽くてね、悪くはないだけれど、上記の2曲には及ばないかな。
さすがに菅野氏が選んだだけはあって、それでこそコンピレーション盤な
わけだけれど、、、ま、あえて言うなら、ちょっとばかり一本調子ですか
ね。そうでもないか。調子は悪くない。モンゴ・サンタマリアもちゃんと
加わっていて、コンガの調子もいい。
おっ、この知った曲、いいねぇと思った⑦、なんだ、これもレイ・ブライ
アントの曲なのかぁ。
⑧の長く挟んだアフロビートがとてもヨロシイ。
 
これ以上はもう書くことがないや。
もっとも、これ、きっと何度も聴くんじゃないかな。
 

  そうそう、ジャケットというか、輸入盤のライナーの表紙がおもしろく、よく
  もまあこんなにテンガロンハットを被ったヒトらしきものを描いたもんだねぇ
  、、、もうちょっと拡大してみたらどうだろうと、、、

映画/『KIMI サイバー・トラップ』

20221118(了)

映画/『KIMI サイバー・トラップ』

 スティーヴン・ソダーバーグ監督//ゾーイ・クラヴィッツ
 音楽;クリフ・マルティネス
 2021年製作/89分/アメリカ/原題:Kimi/DVDレンタル
 <★★★>

これは(も)あまり人気のない作品のよう。
 
道具立ては今なのかな。 タイトル「KIMI」というのは、通信や部屋の中
の電気を使うほぼあらゆる設備・機器を管理し、家主の声でON/OFFや調性が
できるシステムのこと。(こういうのはもうあるようですけど、ワタシにゃ
縁がないので近未来か、とつい)
 
部屋の主はある企業でIT関連の分析の仕事をしている若い女性。何かトラ
ウマがあるらしく、今は部屋から出られない。といっても外は「コロナ」だ
し、パソコン相手なので「在宅仕事」でいいものの、神経質そのもの。隣の
ビルには彼女のセックスフレンドらしい男がいたり、彼女を覗き見している

男などが見えたりする窓がある。外はそのビルの窓々しか見えない、という

べきなんだろうな。

彼女は母親、歯医者、会社、彼氏、友人など様々なところや人と連絡をこま
めにとるのだが、やけに勝手に切ったり中断したり。
どうも話がよく飲み込めないのと併せて、こっちも少々イライラ。
 
わかってきたのは、仕事として調べるために受け取っている「音」の中に、
どうも女性が暴力を受けているらしい声や音が潜んでいることに気づき、調

べたらそれがはっきりしてくる。さあどうしようということになる。図式と

しては昔からあるタイプののもののようだけれど、道具立てはあたらしい。

 
とうとう彼女も長い引きこもりを破って、外へ(会社へ)出むかなきゃなら
ない。これがいかに危ないことだったのか徐々にはっきりしてくる。
ここからは、彼女のイライラのテンポが、狙われるサスペンス、はらはらの
テンポに移行して行きます。
なんで狙われるのかはおしまいのほうにならないとわからない。(訪れる会
社がいかにも気色の悪い会社に見えた・・・) けれど、彼女の気づきがけ

っこうすごいという表現があちこちで見られるのね。でなきゃ、とっとと終

わっちまうわけだけど。

狙う側からのハードな面は、前にも似た表現を使ったけれど、なんだか古臭

い、時代錯誤に近い感じでした。最後のシーンのためだったのかもしれない

ね。

 
街はシアトルのよう。
 
音楽はソース・ミュージックが多いが、オケ部分もけっこうあって、担当は、
クリフ・マルティネスというかた。結構ベテラン。拘るつもりはありません
が、珍しいほどマッチしないヘンな音楽が多かったですね、ワタシには。

 

ズート・アット・イーズ/ズート・シムズ・クァルテット

20221101(了)

ZOOT AT EASE/ZOOT SIMS QUARTET

 ①朝日のようにさわやかに(Hammerstein/Romberg)
 ②イン・ザ・ミドル・オブ・ア・キス(Coslow)(テイク4)
 ③アラバミー・ホーム(Ringle/Ellington)(テイク9)
 ④ドゥ・ナッシング・ティル・ユー・ヒア・フロム・ミー(Russell/Ellington)
 ⑤ローズマリーズ・ベイビー(Stokes/Keith)(コメダ)
 ⑥カクテルズ・フォー・トゥー(A・Johnson)
 ⑦マイ・ファニー・ヴァレンタイン(R・Rodgers)
 ⑧ビーチ・イン・ザ・A.M..(H・Jones)
 ⑨イン・ザ・ミドル・オブ・ア・キス(Coslow)(テイク1)*
 ⑩イン・ザ・ミドル・オブ・ア・キス(Coslow)(テイク2)*
 ⑪アラバミー・ホーム(Ringle/Ellington)(テイク2)*
 ⑫ビーチ・イン・ザ・A.M.(H・Jones)(テイク3)*
 ⑬アラバミー・ホーム(Ringle/Ellington)(テイク8)*
 

  ハンク・ジョーンズ(p)、ミルト・ヒントン(b)  

  ルイ・ベルソン(ds)①③⑤⑦⑪⑬

  グラディ・テイト(ds)②④⑥⑧⑨⑩⑫

  録音:1973年5月&8月、ニューヨーク
  CD/ジャズ/Ⓟ&ⓒ 2016 GHB Jazz Foundation/Progessive/ソリッド・レコード
  /輸入盤仕様/邦盤/中古
  <★★★☆>

このジャケット写真、なんかいいなぁ。
 
何故かほとんど聴く機会がなかったズート・シムズです。広くいろいろ聴いた
なんてとても言えないモダンジャズ。こういうビッグなアーティストも知らな
いなんてことがままあります。そういった一人。
 
曲自体は、聴いたことがあるものがほとんどで、スタンダードナンバーなんで
しょう。
ただし一曲だけだけは、スタンダードナンバーとは言えないと思うのがありま
して、それは⑤。映画『ローズマリーの赤ちゃん』のテーマ曲
1968年の映画で、地方都市ではありましたが、学生時代にロードショーと
して観たはずです。アイラ・レヴィンの本のほうは中古屋で買って読んだな、
たしか。きっと黙っておけなくて、友人たちとも話題にしたことだろう。
その頃はまだ映画音楽作曲家の知識は乏しく、コメダという作曲家名には興味
を持ちませんでした。今から思えば、監督がポーランド出身の気鋭ロマン・ポ
ランスキーで、作曲者のファーストネームが「クシシュトフ」ってんだから、
ポランスキーが同郷ポーランドの作曲家を使ったのは明らか。
このテーマ曲はその後ラジオで何度も聴いたに違いなく、メロディを覚えてい
ましたね。で、このアルバムで流れてきて、思わずCDケースをひっくり返すこ
とになった。「あれま、やっぱりか・・・」
当時は映画がヒットしたついでに音楽もしばしば取りあげられたんやろう。
 
 
派手ではないけれど、非常に伸びやかな音楽が信条で、なんというか職人芸的
なサックス奏者なのですな。中のライナーが日本語だから、ざっと読んだとこ
ろ、ソプラノよりテナーのほうがいいとおっしゃってる。ワタシはどっちもよ
かったと思う。
今から見ると、どんどん先の音楽へ進んでいった奏者たちの中では、ちょっと
古臭めの上手いサックス奏者だろうが、当時としてはうんと普通の優れたジャ
ズメンだったに違いない。
2回のセッションから集めながら、同じ曲の別テイクをいくつも入れている。
スートの意思ではなく、CD化する時、レコード会社が⑨-⑬を付け加えたんだ
ろう。全く違和感もしつこさも感じなかった。
シムズはサックス仲間と何度もグループを作って、サックスのバトル、なんて
のもよくやったみたい。でもここではワンホーン。アップテンポも少なく、歌
心があってどっしり落ち着いたアルバムに仕上がっていると思います。
 
そしてそして、彼を支えているのが、古さも近い(?)ハンク・ジョーンズ
(p)率いる、いわゆる“ザ・リズムセクション”として名をはせたユニットの片
割れ。ザ・リズムセクションはワタシ、とても好きでした。ワタシの知ってい
るアルバムではドラムスはオシー・ジョンソン、バリー・ガルブレイスのギタ
ー。ということで、ミルト・ヒントンの名も、ちょっとおっとりした感じの
オッサンぽいベースも懐かしい。

  これです。ザ・リズムセクションのLP、EPICレーベル(ソニー)のもの。

  いいでしょ、これ。

  たくさん出た1100円のシリーズ中の一つ。のんびりしたジャズですが、
  けっこう気に入りまして、わずかに残したLPの1枚(モノーラル)です。
  このユニットのリーダーは、当初はこのミルト・ヒントンだったかもしれ

  ないですね、ハンク・ジョーンズじゃなく、ヒントンの名が始めに載って

  いるので。

立川談春/赤めだか

20221108(了)

立川談春/赤めだか

  (1)「これはやめとくか」と談志は云った。
  (2)新聞配達少年と修業のカタチ
  (3)談志の初稽古、師弟の想い
  (4)青天の霹靂、築地魚河岸修業
  (5)己の嫉妬と一門の元旦
  (6)弟子の食欲とハワイの夜
  (7)高田文夫と雪夜の牛丼
  (8)生涯一度の寿限無と五万円の大勝負
  (9)揺らぐ談志と弟子の罪
     ――立川流後輩達に告ぐ
  (10)誰も知らない小さんと談志
     ――小さん、米朝、ふたりの人間国宝
 
     解説  福田和也
 
  2015年/扶桑社/文庫//エッセイ/2008年4月の単行本に加筆修正//中古
  <★★★★△>

 

落語は決して嫌いじゃないのですが、少ししか聞いてこなかった。それに、
実際に寄席に行ったことはありません。
大阪に戻ってから、ようやくちょっとだけCDを借りて聞くようになりました。
ブログにも少しだけ感想を載せたことはあります。このごろは再びさっぱり。
で、実は談志はほとんど知らない。少し聞き齧ってどうも好きじゃなかった。
落語以外の行動や言葉が好きではないのも無関係ではないでしょうね。
ワタシが少しだけ聞いた志ん生圓生、小さん、志ん朝米朝などの「クラ
シック」系。談志は、そんなクラシックそのままではダメ、現代とのつなが
り方をもっと濃くしてゆきたいと考えていろいろ取り組んだ。落語も落語以
外もなにかと批判されたりした談志。
嫌いってわけでもなかったのですがね。
で、なんでこのエッセイかというと、あくまで世評の高い談春を読んでみよ
うということで選びました。中で談志についてももう少し知ってみようとい
う気持ちもありました。

結果、談志(多くはイエモトというルビ)のことが半分近くといってもいいく
らいのウェイトで出てきて、ワタシの「フーン」がとても多かった。
談春(オレとかボクとかいうルビ)は17歳で北海道から出てきて、よりにも
よって、落語協会からはボスが破門された異端の立川流に入門。
前座4人(談々、関西、談春志らく)の一人として、普通で考えりゃあり得
ないような生活を談志を中心にして送って、二ツ目にあがるまでを描いてみせ
るという、数年の自伝的なお話、プラスアルファ。
 
  弟子になったばかりの若者が、時間割を決め、資料を集め、ひとつひとつ
  自分で考え、覚え、それを談志(イエモト)の前で発表する。発表した者に限
  って談志は次の課題を見つけるヒントだけを与える。立川流は一家ではな
  く研究所である。研究所であるから飛びきり強い生命体も生まれるが、そ 
  の陰で驚くほどの犠牲もでる。実力、能力を優先した本当の意味での平等
  と自由はあるが、残酷なまでの結果も必ず出る。それが談志の選んだ教育
  方針である。
 
そうしたことは何度も繰り返し出てくる。
前座は毎日食べないと死ぬという現実と闘うが、談志は弟子の生活の面倒は一
切みないと宣言しているもんだから、親からの援助ゼロの談春(オレ)は困り果
て、特例として新聞配達のアルバイトは認めてもらう。
上のことをこなしつつなんだから、こりゃあすごい生活でね、いろいろあって
ミスもやらかす。そんな時、たまたま談志が言ってくれた言い訳・・・
 
  「申し訳ありません。実は新しい配達員がイラン人でして、朝日に向かっ
  てお祈りを始めちゃうんです。日本語をなんとか覚えて間違いは少なく
  なったんですが、事が神様にかかわるので手前共も注意しづらくて・・・」
 
談志がハワイに行くことになったところ、たまたま一緒に談春がついて行くこ
とになってしまった。乗り込んだ飛行機のアナウンスでバンコク行きとわかっ
て、さあ慌てた談志、口八丁で扉を開けさせ、乗り換えるために乗ったマイク
ロバスのようなものの中で、ホノルル行きの飛行機に乗っているべき松岡とい
うかたと佐々木というかたが行方不明だという連絡が聞こえる。
 
  「松岡さんというのは俺だ。今向かってるから安心しろと云っとけ。バン
  コクもいいが、ビザがないと帰されちまう。それは俺の本意ではない」と
  云ってから談志(イエモト)は付け加えた。
  「お前、佐々木っていうのか。ありきたりだな」
 
これには吹き出す。
その後ホノルルに着いてからわかったことには、あろうことか談志とツイン!
 
  二つあるベッドの上は、談志(イエモト)の荷物で見る間に一杯になった。
  「荷物のバラシは終ったな。あとは俺が処理する。ご苦労、下がっていい」
  「師匠申し上げにくいのですが」
  「なんだ」
  「僕、師匠とツインなんだそうです」
  「何? 俺はお前と寝るのか」
  「すいません」
  するとポーチから、コロンを取り出して、
  「トイレのあとは、これを使え。いいニオイがする」
  と云った。談春(ボク)はコケそうになった。
 
この辺はいたってかわいい。こういう面もあるんだなぁという感じ。このあと、
海岸に出るというんで談志(イエモト)が着て出てきた格好というのが、世にもお
ぞましいもので・・・ ま、これは省略します。この辺は(6)。(8)でひょ

んな感じで「二ツ目」になる経緯が語られ、(9)では更に少し時間がたって

いる。

 
   噺家は皆異口同音に、真打より二ツ目になれた時のほうが嬉しかったと
  云う。談春(オレ)もそうだった。前座という個としての自由も権利も認め
  られない状況、ただひたすら寄席という世界で労働力としてしか必要とさ
  れない現実の中で暮らす毎日。それを打破する手段、行動を起こそうとし
  たところで何に向かって歩めばいいのか、誰に認めてもらえば二ツ目にな
  れるのか、一切の方針基準を示さない「協会」という名の組織が落語家の
  集団なのである・・・
 
  ・・・大丈夫です、耐えてみせます、覚悟しています、何でもしますから
  弟子にしてください・・・  戦わない、逆らわないという覚悟を持って
  入門する。
 
   立川流においては創設当時から二ツ目になる基準が明確にある。
   古典落語の持ち根多を五十席、前座の必修科目である寄席で使う鳴り物
  を一通り打てること、歌舞音曲を理解していること、講談の修羅場を読め
  るための基本的な技術を積み理解すること、であった。
 
立川流の活動ったって、所詮は談志一門という少数派で、談志の価値観にゆだ
ねて統一、連帯を保っているだけ。他の流派も同じ。皆を立川流でやることな
んぞできやしないし、協会をまとめようとするカリスマもいないし出てもこな
い。そんなもんじゃないか、と言っているよう。
この(9)によれば、どうやら談春さんは40歳ぐらいになって書いているよ
うで、弟子もいて、立川流としての自分の立ち位置や教え方を、けっこう高飛
車な感じに述べている。弟子に言っているんだろうけれど、まあそんな世界な
んだなあ、という感想になっちゃいますねぇ。
この頃には、二ツ目の基準はもう少し明確に、かつ厳しくなったそうです。

 

テレビのドキュメンタリーで談志は彼の家ともども見たことがあって、その奇
妙な人となりについちゃぁ、どう言えばいいのがよくわからないという印象の
まま今に至るのですが、このエッセイの中の談志は、ますますわかりにくく、
そして結局よくわからないまま終りました、残念ながら。
 
その点談春さんの様々な頑張りやバカな行為の一部始終は、目いっぱいの自責
や後悔などとともに、ここにはこれでもかと書き連ねてあって、談志(イエモト)
の怒りやそれを通り越したアキレの伴い方がけっこう面白い。師匠のことは当
然うまくぼかしているんでしょう。
池井戸潤原作の銀行ドラマで顔を見おぼえている談春さんのイメージとは大分
違ってました、あたりまえですけど。
最後の(10)では、ずっと時もたって真打の試験を受けるにあたっての経緯を、
『小さん/談志の「因縁的経緯」』と絡ませることにする。いささか演出過剰
とも思えましたが、とてつもないアイデアであることも確か。博打打ちが博打
を打ったとはいえ、談春さんの緊張はよく伝わってくるようでした。

 

最近、新聞で談春さんの独演会の宣伝を何度か見かけました。
今や、チケットを手に入れるのが最も難しい噺家、なんてカバーに書いてあり
ました。新聞広告にあった値段を見てビックリ。こんなにするものなんですね
ぇ・・・

      これは5000円。ホールがでかいからかな。

   上に書いているのでは、15000円でした。

 

新聞の連載の中に、偶然だけれど、ちょうどいい内容のところがありました。
締めになるかどうか、、、これを最後に載っけて、おしまいにします。

 

モーラン/ヴァイオリン協奏曲&チェロ協奏曲 他

イギリス音楽の名盤というべきか、名曲たちというべきか
20221025(了)

モーラン/ヴァイオリン協奏曲&

                             チェロ協奏曲 他

Ernest John MOERAN(1894-1950)/Violin Concert etc.

(1)ヴァイオリン協奏曲 33:18

     Dedicated to Arthur Carreral

   ① ⅠAllegro moderato 13:31 
   ② ⅡRondo.Vivace - Alla valse burlesca 9:41 
   ③ ⅢLento 10:01

(2)寂しい水(Lonely Waters) 9:19

   ④ Dedicated to Ralph Vaughan Williams

(3)ホワイソーンの影 6:30

   ⑤ Dedicated to Anthony Bernard

(4)チェロ協奏曲 28:41

   ⑥ ⅠModerato 11:12 

   ⑦ ⅡAdagio 7:22 
   ⑧ ⅢAllegretto deciso、alla marcia 10:02
 
   ヴァーノン・ハンドリー指揮/アルスター管弦楽団(1)~(3)、
   ノーマン・デル・マー指揮/ボーンマスシンフォニエッタ(4)
   リディア・モルトコヴィチ (ヴァイオリン)
   ラファエル・ウォルフィッシュ (チェロ)
   録音:1987&1989 ベルファスト(1)~(3)、1985 ドーセット(4) Tot.78:03
   CD/協奏曲&管弦楽曲/Ⓟ&ⓒ 2004 Chandos Records/輸入/中古
   <★★★★△>

(1)ヴァイオリン協奏曲;

①夢見るような出だしで、すぐにアレグロ部分に入っていく。チラッと聞こえ

オーボエソロが無茶苦茶いい感じ。無理のないカデンツァも素敵だが、すぐ
に始めの夢見る調子に戻っていき、やや盛り上がる。と、ここまでの曲想をも
う一度くり返すように進んでから、先のものより長いカデンツァ・・・
②第2楽章のヴィヴァーチェは珍しいかもしれない。ああ、確かにワルツが挟
まる。ソロはそこそこ難しそう。なんとストラヴィンスキーの「ペトルーシュ
カ」みたいなところが聞こえてビックリ。最近よく聴いているタンスマンでは、
不思議でもなんでもないのですけどね。
③ちょっと翳りがあるレント。甘ったるいと言えばそうなんだけれども、女性
でなくどうも男性のロマンティシズムかなぁ。
 

こんなに長い感じのホールトーンでも、混濁はあまり感じない

美しさ、柔らかさなどに貢献しこそすれ、ウルササや下品さには繋がらない。
ブラスの咆哮だけは、やや人工的な響き、かもしれない。
初めて聞く曲じゃないはずながら、初めてみたいな気もしました。

<★★★★>

 

(2)寂しい水:

「ロンリー・ウォーター」。モーランでは最も知られた曲かもしれない。幾つ

か別の編成のヴァージョンがあったはずです。胸苦しくなるほどの叙情。
レイフ・ヴォーン=ウィリアムズに捧げられているんだ。そうだっけ・・・
やっぱり英国の田園風景でしょうかねぇ。弦楽合奏部分も美しいが、途中のコ
ールアングレ(ここじゃあ、イングリッシュホルンといったほうがいいんでし
ょう)のソロが非常に美しい。
これだけなら<★★★★☆>
 

(3)ホワイソーンの影:

ほとんど三拍子・・・これ初めてかも。全体としては、バロックを下敷きにし

メヌエットという感じがあるんだけれど、だんだんイギリス音楽に、モーラ
ンの世界になっていく。いいですねえぇ。ディーリアスの『春を告げるカッコ
ウ』と双璧というか、それを思い出させずにおかない曲じゃないですか。ヴァ

イオリンソロが多いので、ヴォーン=ウィリアムズの有名曲『揚げひばり』も

ね。

<★★★★△>
 

(4)チェロ協奏曲;

ヴァイオリン協奏曲の力の入れ方に通じますが、オケの編成が少し小さい感じ。

(3)までとはホールもオケも違うせいか、録音もちょっと違う。残響の長さ

は似ているものの、音色感が違う。ブラスが吠えた時の響き方も。むしろ自然

かも。

しっかりした曲調の第一楽章⑥に引き替え、アダージョの⑦は美しいが、どこ
か一種「お祈り」ふうで、ヴァイオリン協奏曲の①や③とは違う。
最終のアレグレットはよく覚えてまして、このメロディは民謡かなにか知られ

たメロディを行進曲のように上手くアレンジしています。

<★★★☆>

 
一時期、NAXOSレーベルでよく聴いたモーランで、今回かなり久々。
でもどうでしょう、このCHANDOSの録音は、全体としてはやはりちょっと甘
ったるすぎかもしれない。いいとかダメとか言うんじゃないんだけれど・・・
シリアスなところなんぞ、全くない。郷愁というものを音にしたよう。甘美さ
や穏やかさがぎっしり詰まった音楽。バイキングのような男っぽさもしっかり
聴き取れた『交響曲』とはすっかり違う。溢れんばかりの叙情でできている。
今風で下品な言い方だと、だだもれの叙情、とでも言いますか。
特に(1)(2)(3)はそうでした。
 
何かほかの曲を引っ張り出して聴いてみたくなりました。
聴く気になるかもとリストアップしているCDの中には、民謡を編曲したのがあ
ります。モーランがアレンジしているのなら、ってわけです。ま、いつか。

 

  「更新する」のボタンを押したあたりで、日本vs.クロアチア戦、日本側

    に1点が入りました。

映画『クレッシェンド 音楽の架け橋』

(音楽に国境は?)と言ってみるお話

20221029(了)

映画『クレッシェンド 音楽の架け橋』

  ドロール・ザハヴィ監督/ペーター・シモニスチェク/ダニエル・ドンスコイ
  2019年製作/112分/独/原題:Crescendo - #makemusicnotwar
  DVDレンタル
  <★★★△>

世界をまたにかけたNGOだかの女性が、もちろん「平和」を目指してイスラ
エルとパレスチナについて音楽を使ったプロジェクト提案をする。
提案を受けるのはドイツの指揮者。彼は意義は一応わかっても、どれだけ意
味があるか悩んで、後、受ける。
両方から若い演奏家をオーディションで選ぼうとする。オーディションに行
きたいが行かせてもらえそうもないというのは、主にパレスチナ側の若者二
人で紹介される。本当に行きづらいのね。ついでに、採用されてもテルアビ
ブの施設に行くために毎日通らなきゃならない検問所なんて、イスラエル
のもので、始めにチラッとだけ見せるが、実にいやらしく描かれる。

 

オーディションのシーンは、その後の大混乱の前の楽しみみたいな感じで、

ここがもっとも面白かったですね。
当初は100人のオーケストラを目指すも、応募者は少ないし、パレスチナ
側のレベルが低いしで、最終的にはなんとか室内オーケストラ規模にし、両
者半々で揃える。

あとは、どう言えばいいんだろう。当然、オケ内でのどうしようもないぶつ

かり合いの連続。

書いたように混乱だらけ。指揮者/リーダーは常識的かもしれないが色んな試
みをする。主な練習はチロルに移っての合宿。指揮者の試みが少しは実を結
びそうに見える段階に達するも、「敵同士」の男女がいい仲になって・・・
 
このイスラエルパレスチナの関係が、こんなことでどうにかなるわけもな
いと初めから思ってしまうけれど、とにかくやっちゃうという映画。
野球でいう直球(近ごろだとフォーシームという)なんだが、言ってみりゃ
あ、「へなちょこ球」。勿論そんなこと、百も承知の上での試みであり映画
なのであって、ともあれどうなるか見せる。ぶつかり合いや話し合いの中に、
何らかのヒントぐらいは見つけたいじゃないか、でなくても何か感じてもら
おうじゃないか、ということ。
ああ、わざとののしり合わせるなんて試みもあって、皆疲れ果ててしまう。
効果は不明という扱いだったなぁ。観ているこっちもしんどかった。
 
主な曲は、ヴィヴァルディの『四季』から「冬」、ドヴォルザークのSym.9
『新世界から』の「第2楽章」。そして最後はラヴェルの『ボレロ』という
奇妙な選曲。空港の待合で(えらい省略形でビックリ!)奏される。透明な
パーテイションでもってそれぞれの陣営に分かれ、見つめ合いながら。
このシーンに、何を見るか。でもまあ、この映画の意義が集約、収斂されて
いるんでしょう。前向きと言えなくもない。(カミサンは別の日に観て感動
したらしい) でも、ワタシとしては、最後の『ボレロ』のシーンの前に、
指揮者と企画者である女との分かれの挨拶の会話があって、その場に残され
る指揮者の様子が観る人のおおよその気持ちの代弁。「ここはもういいわ、
次に行く!」というような調子で挨拶して去って行く女の、妙に割り切った
言い方がワタシの記憶に強く残ってしまいました。特に女の言葉の中身には
(具体的に書くわけにはいかないのですが)猛烈な嫌味がこもっていたと思

います。女の主張じゃなく、この試みに関して懐疑的だという映画製作者側

の本当の主張や思いがこもったものに違いないと感じられました。

ここで「音楽に国境はない」という大雑把な言葉について、ちょっと考えて
みたのですが、サマにならず、割愛。
別の方向へ脱線します。
 
この映画・・・
ネットによれば、『世界的指揮者(兼ピアニスト)のダニエル・バレンボイ
ムが、米文学者のエドワード・サイードととともに1999年に設立し、イスラ
エルと、対立するアラブ諸国から集まった若者たちで結成された「ウェスト
イースタン・ディバン管弦楽団」をモデルに描いた』とあります。
ワタシ、不勉強でこのオケのこと知りませんでした。
バレンボイムは、アルゼンチン出身のピアニスト兼指揮者で、もはや大御所
も大御所、しかもユダヤ系。
最近、NHKBSプレミアムで、同じアルゼンチン出身アルゲリッチとピア
ノ連弾をやっている映像をしばらく観ていました。モーツァルト
いつの映像かはわかりませんでしたが、最近のもののようでした。
現在バレンボイムは80歳。足腰が弱っていて健康不安説もあるらしいが、
まだベルリン国立歌劇場のボスのポストは続けているよう。ここではアルゲ
リッチに負けないぐらい(?)指はしっかり動いているように見えました。
ハイおしまい。オチは、、、ありません。