休みには中古屋のはしごⅢ

基本音楽鑑賞のつもり。ほかに映画・本・日記的なもの・ペットなど。

死者の言葉乗せた小舟・・・

8/27(木)

近畿地方に雨の予想はなかったのですが、ひょっとしたらと期待は

していました。果たして、さっき(ブランチ時に)陽が照っている

のに雨音が10分ほど間隔をあけて2度して、覗くと雨粒の跡が一

瞬見えました。それだけ・・・ああ、遠雷も・・・

 

夏向きだなあという感覚で読みました。
 文芸時評/作家 小野正嗣 (8/26)

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ワタシは「文学」というものを意識して小説なりを読むことはありません。
遅読なりに、この歳までたくさんの小説を読んできましたが、生物学などの
科学的のどうも確実らしいという知見をどうしてもぐいぐい突っ込ませたく
なるというか、押し付けたくなるというか、その傾向は収まるよりむしろ増
している気がします。まあ、しょうがないとは思っています。
この時評にも死や死者との向き合い方に関するいろいろが、どうですか、言
葉というものでなんともうまいこと掬い取っているじゃないですか。てな感

じ。例えば、子供の死で母親が味わう感情や思いなどは、おそらく相当な割

合で生物学や進化などで説明がついてしまうわけだが、それでも手を変え品
を変えして、人は書き継ぎ続けざるを得ないらしく、時にはこっちも読みた
くなったりする。巧みなものについては「文学だ!」という評価を授かった
りもする・・・

この辺でやめときます・・・

 

「エウゲニー・オネーギン」(METライブビューイングのアンコール上映)

をやめて、地元関西フィルの地味なフランスもののコンサートに行ってみ

ることにしました。気まぐれです。

電話で申し込み済み、、、といっても、振り込まないといけない。
ただし、この先中止になっても、返金はできないんだって。
一旦ぐっと詰まりましたが・・・しょうがなかろうと、オーダー続行。
 サン=サーンス(Pコン)、フォーレ(小管弦楽曲)、グノー(交響曲

 

西之島、噴火が激しくなっていて、少し前の映像で観られた鳥の営巣など
も多分できなくなってしまったんじゃないか。
それよりなにより、噴火の内容が変わってきつつあって、この先の大爆発
によっては、カルデラを残し、溶岩ドームが陥没してしまう可能性が出て
きているらしい。つまり、島ごとほとんど沈んでしまうという。

 

義母(カミサンの母親)の痴呆が急激に進んでしまって、バタバタしてい
ます。
お金に苦労し、またそれなのにお金に関する仕事に就いてしまったことも
あってか、お金への関心や執着が強いことがもろに出ていて、伝聞ばかり
ですが、シンドイですね。それと被害妄想がくっつくわけで、典型的な痴
呆の症状。
カミサンと彼女の弟との話し合いをもっと詰めないといけない。それもで
きるだけ速やかに・・・

多分『孤独』が病気の進行を早めたと思います。

シャルル・ケクラン ; 交響詩『ファブリキウス博士』ほか

20200804(了)

シャルル・ケクラン(1867-1950);
(1)Vers la Voûte étoilée Op.129 (1923-33;rév1939)
   (管弦楽のための夜想曲) ①12:31
(2)交響詩『ファブリキウス博士』Op.202 (1941-44:orch.1946) 51:09
        Symphonic poem after the novel by Charles Dollfus
   Le Manoir     ②5:06
   La Doulur     ③1:57 ④1:54 ⑤2:17

   La Révolte    ⑥0:43 ⑦1:16 ⑧0:47 ⑨0:33 ⑩4:03 

            ⑪2:41

   Le Ciele étoire   ⑫8:58
   La Natre,la vie,I’Espoir ⑬4:18
   “Répose de I’Homme” ⑭4:40
   La Joie      ⑮6:52
   Choral final      ⑯5:04
 
   ハインツ・ホリガー指揮/シュトゥットガルト放送交響楽団
   録音:2003年?/独、バーデンバーデン、SWR/世界初録音/Tot.63:40
   CD/2004年/管弦楽曲/ⓒ&Ⓟhänssler CLASSIC/SWR/輸入/中古
     <★★★★>

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いつもだと曲ごとに印象を書きますが、なかなか書きづらくてね。
で、見つけたのが投稿。これが翻訳ソフトによるものらしい奇妙な日本語。
勝手に意味が通るよう直してみました・・・(2)のことです。
 
「・・・この交響詩は50分を要する大きな作品で、ある人物の状態の変化
を表現している。はじめは悲観論や実存主義的な不安に満ちている。次に
は怒りの表現。これがこの曲の中でも極端に強く激しい。その激しさが過
ぎてからは徐々に落ち着き、考え方もまとまってきて、最終的には悲観論
の檻から抜け出せる・・・
音楽的にははじめからリスナーを引きずり込み、素晴らしいサウンドや雰
囲気に浸らせ、非常に説得力がある。でもどうだろう、白眉は‘怒り’を表わ
す部分ではないだろうか。これまでに作曲されたいかなるものにも似ない
無調のフーガ。輝かしさと同時にほとんど狂気をも感じさせる・・・」
 
とまだまだ続くのですが、この辺でやめときます。
でもなるほどという気もしました。
ワタシのネタは、おしまいのほうで、苦手なオンドマルトノが何度も出て
きて、安手のSFにならず、案外よく合ってたこと。もう一つあります・・・
それはミヨ―にやたら似たところがあること。ビックリでしたね。なんの
ことはない、下の引用中にある通り、ミヨーは彼の生徒さんの中にいて、
猛烈に影響を受けたのね。
 
それも美しいところが似ている。すぐに分かった。でもその美しさはミヨ
ーの比じゃない。いやミヨーは好きなんだけれど、いろいろと楽しい作曲
家であって、新古典に軸足を置いていたようなのに対して、先生であるケ
クランのほうは印象派を突き詰めつつも、新古典はもちろん、無調やセリ
ーなども勉強したから、基本線が違っているみたい。
素人のワタシは、ケクランは美しさにはこだわったという気がする。 それ
も、とても奥行きや深みのある神秘的美しさに拘ったとでもいう感じ。特
オーケストレーションによって際立つ大変な感性と技術があったのでは
ないか。編成の小さい楽曲も実に素敵なものが多いが、それではこの美し
さは発揮できない。まあこれから何を言いだすかわかりませんけどね。
今のところそんなふうです。理屈なんぞ全くわかりません、フランス近代
で言われる五度がどうのこうのというようなことすら知らないです。でも

言えるのは、このケクランのオーケストラルサウンド、今のところ好みで

す。

この際、書いてしまうと、モヤモヤ感だけでできたみたいな(1)も、この
ファブリキウスという人物の一生のさまざまなシーンを、それなりの起伏
をもって描いた(2)も大好き。
 
あるホームページに、やはり説明しづらいのか、柴田南雄さんの解説から
たくさん引用してありましたので、その一部をワタシも使わせてもらうこ
とにします。WIKIよりわかりよい。もっとも、このCD内の曲については
調べた限りでは説明はどこにもなかった。(作品一覧も見つからない)
柴田先生の解説はこんなふう。
 

 "

1867年、アルザスの両親の下にパリに生を享けたケクランは、長じてパリ
音楽院に入り、マスネー、ジェダルジュ、そして後にフォーレに師事した。
一生を地味な制作三昧の生活で過した後、1950年の大晦日にひっそりと世
を去った。
シャルル・ケクランは現代音楽の巨匠たちの中でその作品がもっとも知ら
れていない一人にぞくする。彼の故国のフランスでさえ、彼の音楽理論
書物、すなわちフーガと対位法に関する著作や、和声と管弦楽法に関する
それぞれ3巻と4巻づつの大論文などは有名であるが、作品はそれほど知ら
れていない。しかし彼は生涯を通じて一度も公的な地位につかず、ごくわ
くずかな生徒をプライヴェィトに教えただけで、あとは前述のように制作
に没頭していたのであった。(そのわずかな生徒の中にダリウス・ミヨー
プーランクがいるが、とくにミヨーの音楽は多くの点でケクランの影響
を示している。)誰にきいても、ケクランは愛すべき、尊敬すべき人物で
あったという。
彼は内向的な性格であったにも拘らず、自分の周囲の世界に強い興味を持
ち、若い世代のために情熱的に戦った。彼は死ぬまでISCMの熱心な支持
者であった。彼自身の音楽上の関心は決して偏狭なものではなかった。彼
は20世紀のフランスのすぐれた作曲家のうちでは最初にシェーンベルク
とその一派の作品を詳細に学んでいる。しかもそれはシェーンベルクたち
が国際的にうけ入れられるずっと以前にである。彼は管弦楽法の論文の草
稿を書いている時、シェーンベルクの《期待》OP.17のあるパッセージを
そらで書くことができたということである。
音楽的教養の巾広さと純然たる技術的完成においては、現代フランス作曲
家の中でケクランの右に出るものはいないと言ってもよい。作曲家として
ては彼は自分の思う通りにふるまった。そしてその源が中世であろうと第
二次ヴィーン楽派であろうと、バッハであろうとドビュッシーであろうと、
彼は触れたものすべてに自分の烙印を残さずにはおかない。時折自分の練
習のためや、他の人々に例として書いた無数のフーガ、カノンなどもその
例外ではない。
ケクランの莫大な作品量から見れば、今日未だごく小部分しか出版されて
いない。オーケストラや合唱の大作はすべて手稿のままだし、初演されて
いないものもある。明らかにケクランは自分の作品を宣伝することに殆ん
ど、あるいは全然関心を持たなかった。この特長は、シェーンベルクのす
ぐれた弟子であったギリシャ人のスカルコッタスと同じである。もしも、
彼の作品のより代表的なものが聴けるようになって一般に知られたならば、
ケクランはたしかに、ドビュッシー以後のフランス音楽において傑出した
人物の一人となるであろう。(1967・4 柴田南雄

                 ISCM;国際現代音楽協会

 

ケクランがひっそり亡くなってからたった17年で、こんなことを書かれて
いるなんて、慧眼じゃないでしょうかね。
多作家だったようで、まだまだ紹介されていない曲が今でもたくさんある
んじゃないか。こんなに素敵な曲があるのなら、どんどん紹介されるとい
いな。ずっとそう思っているのです。
ワタシの持っている「ジャングルブック」中心の2枚組CDより、演奏が精
妙でアンサンブルも上質な気がします。初めてケクランを聴いたそのCD、

久々に聴いてみてもいい。

 

 (聴いてみました。ジャングルブックは非常にカラフルで、歌も入るこ
  とから、曲のタイプが大分違っていまして、あまり比較対象はで来そ

  うもなかったですね。あまりに暑かったってこともあって、冷静では

  なかったし・・・)

映画『ジョジョ・ラビット』

 

20200812(了)

映画『ジョジョ・ラビット』

  監督:タイカ・ワイティティ//ローマン・グリフィン・デイヴィス/
  トーマシン・マッケンジー/タイカ・ワイティティ/サム・ロックウェル/
  スカーレット・ヨハンソン/レベル・ウィルソン
  音楽:マイケル・ジアッキーノ
  2019年製作/109分/アメリカ/原題:Jojo Rabbit/DVDレンタル
  <★★★★>

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時節にピッタリの映画鑑賞になりました。

アメリカ映画です。資本は、というだけですが。
 
<映画.com解説から> ・・・第2次世界大戦時のドイツに生きる人びとの
姿を、ユーモアを交えて描き、第44回トロント国際映画祭で最高賞の観客
賞を受賞した人間ドラマ。 第2次世界大戦下のドイツに暮らす10歳のジョ
ジョは、空想上の友だちであるアドルフの助けを借りながら、青少年集団
ヒトラーユーゲント」で、立派な兵士になるために奮闘する毎日を送っ
ていた。しかし、訓練でウサギを殺すことができなかったジョジョは、教
官から「ジョジョ・ラビット」という不名誉なあだ名をつけられ、仲間た
ちからもからかいの対象となってしまう。母親とふたりで暮らすジョジョ
は、ある日家の片隅に隠された小さな部屋に誰かがいることに気づいてし
まう。それは母親がこっそりと匿っていたユダヤ人の少女だった・・・
 
人種差別や戦争の批判めいた具体的なセリフはなんにもなく、メインキャ
ラクターのジョジョともども、ストーリーの進み方はほとんど明るく軽い。
(縛り首にされた人々が見えても・・・ そう、そんなのが見えても)
観た人に、その裏に潜まされているそれらを、笑いと一緒にしっかり苦く

味あわせてくれる、きっと。観ながらも、観終わった後でも。

本来であれば、ジョジョのお母さん(ヨハンソン)や、常に酔っぱらっているよ
うな大尉(ロックウェル)の役割が、グーッとクローズアップされてもいいとこ
ろ、そんなことはしない。
ジョジョや友達やユダヤ人の少女らが、ひたすらかわいい。またその延長
線上にいるかのように、ジョジョの「妄想ヒトラー」が三枚目ふうに身軽
に(当たり前か)「活躍」する。
それでいいのかって程。それでいいのですね。視点もいろいろ・・・
 
なんと、カミサンが「面白がって」いました。
戦争映画はこれしか知らないという子供ないし若者がいたら、それはそれ
は大変で、説明にはえらい時間がかかりそう、他の戦争映画をいろいろ観
てもらうしかないように思いますが、、、
ワタシも面白がってしまいました。
こんな方法があるんや。
10歳の子供の視点を中心にしたものだからって、実は子供用の映画とい
うわけではないのでしょう・・・
今の小学生だと、高学年でも理解するのはきっと難しい・・・
いや、どうなんだろう、わかりませんけど。(伝わればいいな)
ドイツでは上映されたんでしょうかねぇ。
もはや戦争映画を平気で観ちゃう日本人にだって無関係じゃない話なんだ
けれど、これ、うまいと思いました。なんだか戦争映画というジャンルが
「別の段階」に入ったような気がします。
 
手練れのジアッキーノは気張らない、重くならない音楽をつけていました。
取り出して聴きたいものではありませんでしたが、軽みはたぶんもともと
うまいかたです。

ザ・リアル・・・トゥーツ・シールマンズ

20200808(了)
THE REAL...TOOTS THIELEMANS
  The Ultimate Collection 3CD
  <1>①~⑲ <2>①~⑲ <3>①~㉒
  2017年/CD/3枚組/Sony Music/フュージョン/輸入
  <★★★★>

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  ジャン=バティスト・フレデリク・イジドール・"トゥーツ"・シールマンス
  (Jean-Baptiste Frédéric Isidore "Toots" Thielemans, 1922年4月
  29日 - 2016年8月22日)はベルギーの首都ブリュッセル出身のジャズ
  ・ギタリスト及びジャズ・ハーモニカ奏者。シールマンス男爵(baron
  Thielemans)の称号を持つベルギー貴族である。
 
もちろん、きびしい音楽じゃありません、雑に言うならムード音楽。
やや古めのポップス、ジャズ、映画音楽がそれぞれ好きな人なら、この名
はおそらく聞いたことがあるはず。いわば、ハーモニカ奏者の代名詞みた
いな名前。ワタシはジャズと映画音楽です。
ムードとして、あるいは音色として、加えたいと思う時、どんなものにも、
おそらくひょいひょい身軽に参加されたようで、参加した録音は数知れな
いと思う。まあまあ長生きもされたしね。ハーモニカに気づいたら、たい
ていこのかた。どんだけ忙しかったんやろう。
ジャズやフュージョンを中心に、リーダーアルバムもたくさんある。
楽譜に書かれたものだけでなく、インプロヴィゼーションのソロも立派に
とっている。
ワタシが映像で観たことがあるのは、ハーモニカ以外ではベース(エレキ)
を弾いているものしかありませんので、知識としてもその程度です。ベル
ギー人ということすら知りませんでした。ジャンゴ・ラインハルトなんか
に憧れてギタリストになったのね。それが余技であるハーモニカのほうが
人気が出ちゃったんだとか。だから、エレキベースは近かったということ
なんだな。そうそう、口笛も何曲か吹いてます。
 
ここには、1955年から2009年までのソースから60曲が集められていて、
年代別でなくばらばらと収められている。年代別に見ると18種類あるの
で、25~35枚ほどのアルバムからピックアップしたんでしょう。
夥しいレコーディングのことを考えれば、3枚のベストものといっても、
なかなか選びきれるわけもなく、再編なった業界の中でSONY MUSICが
良かれと思うコンピレーションをけっこう安直にやったというだけ。
でも、実に広い色々な形での参加を選んであって、THE REAL...という
タイトル(ベスト?)もあながち間違いじゃないように思います。
 
ワタシとしては、ジャズ系の参加やリーダーがやっぱり素敵ですが、シ
ャキシャキしたコンボジャズよりは柔らかいフュージョン系のほうがや
っぱり合う感じがしましたね。それとブラジル系もいい。
実は歌物がたくさん入っていて、3-4曲に1曲ぐらいの割合。感心しにく
いものもなくはなかった(歌、いらへんで!なんてのも)のですが、トゥ
ーツは意に介さず、自分の仕事をしっかりこなしているという風でした。
歌手はくせ者系が多かった。名がわかるものもわからないものも。
思わず声を上げてしまったのはジョニー・マティス。一曲ありました。大
学生のころ、彼がバカラックものを歌ったアルバムがものすごく気に入り
ましてね。チャチなオープンリールでよく聴きました。(今でもあったら

ちょっと聴いてみたい) 少なくてちょっと寂しい気がしたのは映画音楽

系。

一切なかったのがクラシック系。たぶんこれは単にレコーディングなんぞ
していないんでしょう。クラシック系の作曲家だって、触発された人、い

たんじゃないかなぁ。

 

ジャズ系でダメだったのは、歌がフランス語のもの。シャンソンならハー
モニカは出てくることがあるし、アコーディオンなんかと音が似ていて違
和感はない。なのにジャズになったとたん、アカンのです。もっとも、こ
れはハーモニカのことではありません。あくまで、フランス語で歌われる
ジャズのこと。(2曲ぐらいありました、残念ながら)
 
ジャケット写真が古臭い。1955年あたりのものかもしれない。でも、55
年に出たものの音質については響きが物足りないというぐらいでちゃんと
していて、ジャケットから連想されるような古さの心配は杞憂でした。
 
夏向きかどうかはともかく、さわやかでした。

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1-1 ブルースエットという名曲でいきなり捕まれる。とてもシンプル
1-2 ポール・サイモン、淡くユニゾンふうに高音の声のようなものが聞こえる、ガーファンクル?
1-3 口笛、でも即興がギターとぴったり合っているので、ギターもご本人?
1/4 さもありなんという奥行きのないサウンドは1955年、でもOK、OK
and so on ・・・

 

タンスマン/クラリネット協奏曲・小協奏曲・弦楽のための6楽章

 

20200722(了)
 タンスマン/クラリネット協奏曲・小協奏曲 他
(1)クラリネット協奏曲(1957)
  ①-③ 17:50
(2)オーボエクラリネットと弦楽のための小協奏曲(1952)
  ④-⑨ 20:01
(3)弦楽のための6つの楽章(1962-63)
  ⑩-⑮ 24:28
 
  ジャン=マルク・フェッサール(cl.)、ローラン・デッカー(ob)
  シレジア室内管弦楽団、ミロスラフ・ヤチェク・ブワスチク(指揮)
  録音:2009年6月&8月、ポーランド、カトヴィチェ、カロル・ストリヤ・ホール、62:19
  CD/Ⓟ&ⓒ 2011 Naxos ((1)&(2)世界初録音)
  <★★★☆><★★★★><★★★△>

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〈帯紹介文〉 ポーランド生まれでパリに定住、第2次世界大戦中はアメリ
カで活動し、また終戦後にパリに戻った作曲家タンスマン(1897-1986)。
彼の作風は基本的に新古典主義ですが、晩年になるにつれてポーランド
民族意識が強く全面に押し出されるようになりました。このアルバムに収
録されているのは彼の円熟期の作品で、フランス風の柔らかい楽想と、民
謡風の和声が聞こえてくる独自の世界観を有したものです。クラリネット
協奏曲の流麗な旋律美、そして終楽章に使われるポーランド舞曲は耳を捉
えて離しません。また、極めて精緻に書かれた「弦楽のための6つの楽章」
での有機的に結びついた各々の部分は、この作曲家の飽くなき探求心を物
語るかのようです。
 
フランス人になりたかったポーランド人・・・
というイメージがワタシん中で出来上がりつつあります。
上記はいたって簡単だけれど、わかりやすい解説になっていると思います。
基本、新古典主義・・・
そう言われると引っ張られる。でもまあ、そんな感じですかね。
更にもう一押しするなら、「遅れてきた印象派」というのはどうか・・・
レッテル貼り、やめましょう。
 
(1)のやや新しい雰囲気や終楽章の民族的なものはいい雰囲気でしたが、
(2)のコンチェルトのほうが魅力的でした。ミヨーの「ルネ王の暖炉」
を思わせるエレガンスや可愛さが素敵です。(そこが問題という見方もあ
るでしょうけどね。(3)はやや突っ込みの感じられる弦楽合奏で、6楽
章すべてタイプの違うスタイルを並べているものの、弦楽合奏オンリーで
はちょっと飽きる、かなぁ、、、というところ。
 
しんねりした部分がたいてい交互に出て来るんだけれど、決して陰気には
ならず、たいていは美しいし、あってもちょっとした「新しさ」ぐらい。
魅力は、ウーン、妙なボンボンさ加減か。いささか嫌味だけど「後出しじ
ゃんけん」みたいなものかもしれない。
20世紀だから、近代というよりはほぼ現代で、新しさはセンスや個性が、
まだ聴き慣れないだけ。慣れ親しめば新しさはきっと消えてしまうはずだ、
なーんてね。(エラそうにね。反省してます。)
それでも、ああまた聴いてみたい、と思えるなら、、、いいんだけどな。
曲ごとのメモは何度も試みたのですが、まとまらないので、こんな漠とし
た印象でお茶を濁します、とりあえず。
 
室内楽系と協奏曲系を聴いたわけですが、もう少し編成の大きなものを聴
いてみたい。ピアノやギターのような独奏楽器も人気があるよう。独奏は
めったに選びませんが、忘れないでおきましょう。

原田マハ/『たゆたえども沈まず』

20200808(了)

『たゆたえども沈まず』 原田 マハ

 
  1962年7月29日 オーヴェール=シュル=オワーズ
  1886年1月10日 パリ 10区 オートヴィル通り
  1891年2月3日   パリ  2区 ヴィクトワール通り
 
   2017年/小説/単行本/幻冬舎/中古
   <★★★★>

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あくまで小説だけれど、史実と創作の境目がよくわからないところが、
いろいろあったように思います。気にしないで読めました。
 
パリへ乗り込んだ日本の若い画商とその友人が、浮世絵人気やジャポ
ニスムに乗っかって懸命に地歩を築こうとする中で、運命であるかの
ようにゴッホ兄弟と出会う。
  林 忠正   画商
  加納重吉  忠正に呼ばれてパリに来て画商忠正を手伝う
  フィンセント・ファン・ゴッホ

  テオドルス・ファン・ゴッホ(フィンセントの弟、パリの老舗画

  商に勤務)

この4人四様の、4人同士の付き合いのなかで、画商の仕事を辞めて画
家になった、文章上登場シーンが他の3人よりいささか少ないのに、常
に気にされていて中心にいるフィンセントが、死に至るまで描かれる。
ペアリングとしては、フィンセントの絵を猛烈に、ほとんど畏怖の念さ
え抱き評価しつつも、親しく接することはしない忠正。
もう一つは、「癇癪もちで、自分勝手で、弟が稼いでくる給金を絵の具
と安酒に換えてしまう、どうしようもない」兄フィンセントを誰より大
切に思い、危なっかしい兄をなにくれとなく手助けをする弟テオ(テオド

ルス)と、親友という付き合いにまでなってゆく重吉の関係、ということ

になりますか。

描かれるのは 1886/1/10~1891/2/3 ⇒ 明治18年~23年
まだまだ印象派の画家は、食ってゆくのが大変な時代。
 
ヴァルガス・リョサの『楽園への道』で持ったゴッホゴーギャンの付
き合いのイメージとはいささか違いました。でもこっちも明治の半ば前
後かぁ。『楽園への道』では、二人の関係は、まるでゲイの恋人同士み
たいな、抜き差しならぬ決定的に重たいもの(フィンセントの片想いふ
う)のように感じられたんだけれど、これはむしろリョサのアイデア
いし「強調」なんじゃないか。
でもリョサはそう感じさせておいて、結局のところ、ゴーギャンの悩み
は、ゴッホに対してそんな気はなかった、ゴッホを鬱陶しいとは思った
ものの、もっと違ったやむにやまれぬ理由で「ゴッホのとりあえずの仮
の理想郷(アルル)~偽日本」を離れたんだという感じに読めた。
でも『たゆたえども・・・』では、ゴッホは、結局はゴーギャンと別れ
たあたりで、憧れの日本やパリでの生活からぐっと遠ざからざるを得な
いひどい精神の状況(パニックがおさまらない状態)になったように描
かれているので、袖にされたのと似たようことになったと言えなくもな
い。フィンセントの物狂おしい様子は実際には書かれていないにも拘ら
ず、その感じはなんとなく似ている。
(・・・と、結局、似ていると書いてしまいましたネ)
 
タイトルの言葉の意味は、フィンセント・ファン・ゴッホが住むことを
憧れたパリのことを言っている。その象徴がセーヌ川

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原田マハさん流の解題本『ゴッホのあしあと』も必要かなぁと思ってい
たのです。でも・・・
胸にテオの銃を当てることになった理由は、もう少し涼しくなってから、
考えましょう・・・
暑すぎてアカンわ。

 

時節柄・・・

8/9(日)

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核爆弾を使った戦争が、今後もし起きて、生き残った人類がいたら――
人類全滅の可能性は、まぁ案外少ないだろう――その時は世界は変わ
る。というか、つまり・・・頭だけで生きる段階に戻るまでという意味で、
エライかかることになるだろう・・・
 
現在日本の被爆者の平均年齢は、83歳ぐらいだとか。
言ってみりゃ、オフクロのような生き残りは、うんと少ないってことやね。

(略)

 

ほとんど流行りといってもいい「コロナ後」。
さすがの新書の宣伝・・・世界の偉い人たちらしい。

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字が小さいので、書き写してみると、

 『コロナ後の世界』(文春新書)  

 ・21世紀、中国が抱える“壊滅的な”弱点

       ジャレッド・ダイアモンド  

 ・ロックダウンが日本人の新しい働き方を生む

       リンダ・グラットン  

 ・本当の景気後退は新型コロナ収束後にやってくる

       ポール・クルーグマン

 ・AIの進化でビッグデータの価値は暴落する

       マックス・デグマーク  

 ・「強い指導者」を求めてしまう悲観論の罠

       スティーヴン・ピンカー

 ・GAFAで生き延びるのはアマゾンだ

       スコット・ギャロウェイ

 

いましか売れないチョイ食い的な本。(では失礼か)
でも6人分だから、言いたいことは十分言えてるかもね。
気になる言葉を連ねて・・・本(の宣伝)としては上手い。

ワタシが気になったのは、唯一本を読んだことがあるダイヤモンドさんの

中国、クルーグマンさんの景気、もうひとつ挙げるならビッグデータ

暴落かな。

 

8/10(月/祝)

遅い時間に、NHKのBSで、J・ダイアモンド博士に色々訊くという番組を
たまたまちょっとの間観ていました。シリーズものの一つのよう。
柔和な顔して、わかりやすく、きびしいこと言ってましたね。
それにしても随分自国大統領をけなしてなあ。
ついでにブラジルの大統領については、ボロクソな形容(「最悪」と訳さ
れていた)をしていましたよ。

 

8/11(火)

深夜、ダイヤモンドさんの次のかたがインタヴューされている。
リモート学習なんて、学校の役割を「変える」のならアリだと思うけれど、
「公共の教育」じゃなくなるね。まあこの言い方は微妙かもしれないけど。
教育を考えたら、いまの国のリーダーやら文科省の役人なんて遅れすぎて
いる。
リモート医療もそうだ。
逆に中国はそれが(変わって行くことが・・・)最も近い国かもしれない。
たいして新しくもない発想だけれど、実際には行われたことはないから、
「実験」みたいなもんでしょう。

物騒な実験・・・ でもどうなるか、たぶん誰にもよくわからないんじゃ

ないのかなぁ。

やれやれ暑かった。最高の時の体感は37℃ぐらいでしょうか。

ニュースじゃあ最高気温は35℃と言ってました。

陽がだいぶん傾いてから散歩しましたが、柴犬娘も疲れたようで、

ワタシがクビアカツヤカミキリの確認をするために紐を離してお

いたら、すぐさま「伏せ」の姿勢になってました。

この一週間のクビアカは、

8/5(水)2匹、8/6(木)1匹、8/7(金)4匹、8/8(土)2匹、

8/9(日)0匹、8/10(月)0匹、8/11(火)0匹

どうやらもう見つけることはなさそうな感じです。

最後に、とても珍しかったので、アップ。面白かったというわけ

ではありません。

今日の ‘ののちゃん’です。

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ののちゃんについては、これまで、ワタシの見る限り、新型コロ

ナに関係した内容のものを見た記憶がない。

ところが、今日のはちょっとだけコロナを匂わせていることにな

ると思うから・・・