休みには中古屋のはしごⅢ

基本音楽鑑賞のつもり。ほかに映画・本・日記的なもの・ペットなど。

原田マハ/『たゆたえども沈まず』

20200808(了)

『たゆたえども沈まず』 原田 マハ

 
  1962年7月29日 オーヴェール=シュル=オワーズ
  1886年1月10日 パリ 10区 オートヴィル通り
  1891年2月3日   パリ  2区 ヴィクトワール通り
 
   2017年/小説/単行本/幻冬舎/中古
   <★★★★>

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あくまで小説だけれど、史実と創作の境目がよくわからないところが、
いろいろあったように思います。気にしないで読めました。
 
パリへ乗り込んだ日本の若い画商とその友人が、浮世絵人気やジャポ
ニスムに乗っかって懸命に地歩を築こうとする中で、運命であるかの
ようにゴッホ兄弟と出会う。
  林 忠正   画商
  加納重吉  忠正に呼ばれてパリに来て画商忠正を手伝う
  フィンセント・ファン・ゴッホ

  テオドルス・ファン・ゴッホ(フィンセントの弟、パリの老舗画

  商に勤務)

この4人四様の、4人同士の付き合いのなかで、画商の仕事を辞めて画
家になった、文章上登場シーンが他の3人よりいささか少ないのに、常
に気にされていて中心にいるフィンセントが、死に至るまで描かれる。
ペアリングとしては、フィンセントの絵を猛烈に、ほとんど畏怖の念さ
え抱き評価しつつも、親しく接することはしない忠正。
もう一つは、「癇癪もちで、自分勝手で、弟が稼いでくる給金を絵の具
と安酒に換えてしまう、どうしようもない」兄フィンセントを誰より大
切に思い、危なっかしい兄をなにくれとなく手助けをする弟テオ(テオド

ルス)と、親友という付き合いにまでなってゆく重吉の関係、ということ

になりますか。

描かれるのは 1886/1/10~1891/2/3 ⇒ 明治18年~23年
まだまだ印象派の画家は、食ってゆくのが大変な時代。
 
ヴァルガス・リョサの『楽園への道』で持ったゴッホゴーギャンの付
き合いのイメージとはいささか違いました。でもこっちも明治の半ば前
後かぁ。『楽園への道』では、二人の関係は、まるでゲイの恋人同士み
たいな、抜き差しならぬ決定的に重たいもの(フィンセントの片想いふ
う)のように感じられたんだけれど、これはむしろリョサのアイデア
いし「強調」なんじゃないか。
でもリョサはそう感じさせておいて、結局のところ、ゴーギャンの悩み
は、ゴッホに対してそんな気はなかった、ゴッホを鬱陶しいとは思った
ものの、もっと違ったやむにやまれぬ理由で「ゴッホのとりあえずの仮
の理想郷(アルル)~偽日本」を離れたんだという感じに読めた。
でも『たゆたえども・・・』では、ゴッホは、結局はゴーギャンと別れ
たあたりで、憧れの日本やパリでの生活からぐっと遠ざからざるを得な
いひどい精神の状況(パニックがおさまらない状態)になったように描
かれているので、袖にされたのと似たようことになったと言えなくもな
い。フィンセントの物狂おしい様子は実際には書かれていないにも拘ら
ず、その感じはなんとなく似ている。
(・・・と、結局、似ていると書いてしまいましたネ)
 
タイトルの言葉の意味は、フィンセント・ファン・ゴッホが住むことを
憧れたパリのことを言っている。その象徴がセーヌ川

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原田マハさん流の解題本『ゴッホのあしあと』も必要かなぁと思ってい
たのです。でも・・・
胸にテオの銃を当てることになった理由は、もう少し涼しくなってから、
考えましょう・・・
暑すぎてアカンわ。