休みには中古屋のはしごⅢ

基本音楽鑑賞のつもり。ほかに映画・本・日記的なもの・ペットなど。

須賀敦子/「ミラノ 霧の風景」

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20190915(*)
須賀敦子/「ミラノ 霧の風景」
 ・遠い霧の匂い
 ・チェデルナのミラノ、私のミラノ
 ・プロシュッティ先生のパスコリ
 ・「ナポリを見て死ね」
 ・セルジョ・モランドの友人たち
 ・ガッティの背中
 ・サクランボと運河とプリアンツァ
 ・マリア・ボット―二の長い旅
 ・きらめく海のトリエステ
 ・鉄道員の家
 ・舞台のうえのヴェネツィア
 ・アントニオの大聖堂
  あとがき
  解説 大庭みな子

  2001年/エッセイ/白水uブックス/新書/(1990単行本)/中古
  (1985/12~1989/6、さる広報誌に連載されたものに加筆修正)

 

このかたのエッセイを手に入れていたのは、ひとえに福岡―動的平衡―伸一
先生のコラムを読んだから。もちろん手に入れてから読むまでには相当時間
がたっています。いつも通り。読む気があるうちにさっさと取りかからなき
ゃいけないということは何十年も前に学習しているつもりですが、ダメです

ねぇ。

 

ヘルニア手術の入院時に持ち込んだのが、まさかのきっかけ。手術の翌日、
恢復に当てている日に開いて少し。その後家に帰ったらカミサンがPCを独
占するものだからまた少し・・・
精神的にわりかし単調、平穏な時間帯でないと読み進むのは難しい読み物
でした。

 

イタリアに行き、イタリア人と結婚し、ミラノに長く住み、夫と死に別れ
る。

文学的と言ってもいい日常を、かなりの時間がたってから、何の衒いもひ
けらかしもなく書き留め始めた、といったふう。
読み始めたら、とっても丁寧な日本語で書かれた、コスモポリタンとでも
いうしかないような、ワタシの持つ「ノーマル」のイメージそのもの。
静かな文章が、呑みやすい薬のように入って来て、イタリアの人名だろう
と地名だろうと、知らなくても特に困ったということはなかった。

 

福岡先生のコラムでした。二つとも付けておきましょう。

(1)

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(2)

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そういったことの上で、ワタシがこの見事なエッセイを好きかというと、実
はよくわかりません。
どの一篇も、長い時間の経過が熟成を生み、あふれ出すようにまとめあげら
れたのではないか。

 

興味が持ちやすかったのは、、、
例えば、やや滑稽味が感じられる「マリア・ボット―二の長い旅」という一
篇なんかは、長ーい時間の経過をふまえて、妙にメンドクサイ人格とその人
生を感じさせられて、面白いという気にはなりました。
あるいは、全体的に詩人の話が多い本で、「鉄道員の家」もそうなんだけれ
ど、後半では、ピエトロ・ジェルミの映画「鉄道員」の話が出てきて、著者
の夫の父親が鉄道員であったこととリンクして、印象的な位置づけをされて
いるのもインパクトがありました。

こんな整った文章って、はたして読んだことあるんだろうかねぇ。
文章は多分好きです。
でも、これも確かに優れた文学である、ということ以外に、“ホレこんなふう
にちゃんと読みましたよ”ということを人に伝える能力はワタシにはないです、
悲しいけど。ひょっとすると、詩が苦手なのに詩のことが多かったからかな。
・・・読書感想文にも、説明にも、ぜんぜんなってませんナ。