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(1)〈作品概観> (マラルメの肖像)という副題が示しているように、 |
フランスの象徴主義派の詩人ステファンヌ・マラルメ(1842-1898)に |
捧げられたオマージュである。マラルメは〈ベルギーの友の思い出〉 |
のなかで、霧につつまれたベルギーの石の街ブリュージュの情景を、 |
〈石洞の家が一襞一襞(プリスロンプリ)と霧の衣を脱いでゆく〉と歌っ |
ているが、この作品では、ブーレーズの描くマラルメの姿が、曲の |
展開に伴ってしだいに明らかにされてゆく・・・ (ライナーから) |
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いきなりデカイ音でジャン!!! と始まる。そのあとに続く音が、なんとも魅力 |
的。わくわくというのに近い。魅了される。 |
こういう音に馴染むまでにずいぶんかかり、いいなあと思うまでに更にま |
たずいぶんかかった気がする。20年づつぐらいかな、、、 |
ちょっとかかりすぎたみたい・・・ |
今は車の中が、もっとも大きな音で聴ける。警察は「逮捕する!」って言 |
いそうやし、実際危ないんだろう。 |
でもこういう音で満たすことのできる車の中の音場というのは、今のワタ |
シにはベスト。 |
自分の部屋はなんとかあるものの、ラジカセに毛の生えたような代物しか |
ない。ついでに言えば映画館みたいなどでかい画面のテレビやそれに付 |
随した立派なスピーカーでもって、音楽のみならず、オペラや映画も鑑賞 |
できるというかたがいらっしゃったりして、少しだけうらやましいと思いこそ |
すれ、悔しいとかイラつくというような感覚は、知らない間に持たなくなって |
しまいました。困らないんだなぁって。 |
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さてさて、この曲の偶然性云々、成り立ちやマラルメの詩が歌われている |
ことなどがライナーノーツに書かれています(一応対訳も載っているものの、 |
ワタシには理解不能)し、詩と切っても切れないらしいのですが、詩がてん |
でダメなワタシは、理解云々を言うなら、いったい何を聴いているんだって |
ことになるのでしょう。でも音しか聴いていないんじゃないかって言われて |
も気にはしません。中島みゆきみたいな歌詞を気にしいしい聴いている |
わけじゃない。(ひどい譬えだ!) それでも音だけじゃなく音楽を聴いてい |
るつもりです。だってねぇ、美しいと感じるし楽しいのですから。 少し前に |
「ル・マルトー・サン・メートル」についても、気に入っただの美しく感じるだ |
のと書きました。ジジイとなって、変わらないものは変わらなかったし、や |
っとそんなふうになったんですしね。遅すぎッてこともないでしょう。 |
マラルメと言ったら、ドビュッシーの「牧神の午後への・・・」を連想するだけ |
の、「詩」音痴なんで、当然のこと、歌はワタシの耳にはほとんどヴォーカリ |
ーズ~スキャット状態でした。 |
マンドリンやハープやさまざまの打楽器が得も言われぬ極彩色の混ざり具 |
合で、いや実に幸せでした。コンサートホールでは、たぶんこうはいかない |
のでしょう・・・ |
(くどくなりました。) |
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(2)は英語では‘Book for Strings’だけれど、1948-49に書き始められた |
ときは‘Book for String Quartet’だったそうな。弦楽四重奏に限界を感じ |
たかなにかで放置され、1968年に出来上がったものがこれ。1988年版と |
いうのもあるとのことなので、取り組み続けていたんですな。 |
音が分厚いせいか、少しうるさい感じ。弦楽四重奏版も聴いてみたいもん |
です。 |
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(1)は現代音楽としては有名曲で、傑作なんだそうな。 |
58年も前に作曲されたものをいまだ現代音楽と称していることからも、クラ |
シック音楽の未来(ちょっと言語矛盾)はどうなるのかわかりませんな。ポッ |
プスの“オールディーズ”みたいな都合のいい呼び名でもあればいいのに。 |
何回かの録音があるようですが、これでワタシは十分。録音、良かった。 |