休みには中古屋のはしごⅢ

基本音楽鑑賞のつもり。ほかに映画・本・日記的なもの・ペットなど。

ヘンツェ/ヴァイオリン協奏曲第2番ほか

イメージ 1
 
20151217(了)
ヘンツェ
    Hans Werner Henze(1926-2012)
(1)イル・ヴィタリーノ・ラッドッピアート(1977) 33:17
    独奏ヴァイオリンと室内オーケストラのための「ヴィターリの
    シャコンヌを元にしたシャコンヌ
    ①27:58 ②5:19
(2)ヴァイオリン協奏曲 第2番(1971) 34:58
    独奏ヴァイオリンとテープ、バス・バリトンと33の楽器のための
    ③プレゼンテーション 2:36
    ④定理 6:55
    ⑤ファンタジアⅠ 10:56
    ⑥ディヴェルティメント 3:02
    ⑦ファンタジアⅡ 3:33
    ⑧結び 7:56
    ピーター・シェパード・スケアヴェズ(①-⑧ヴァイオリン、①②指揮)/
    オマール・エブラヒム(③-⑧語り/バスバリトン)/ロングボウ①②/
    パルナッスス・アンサンブル・ロンドン③-⑧/
    ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ(③-⑧指揮)
    録音:①②;2013年7月15日、ロンドン、トゥーティング、全霊教会
        ③-⑧;1991年1月14日、ロンドン、バービカン・センター Tot.68:15
    2015年/CD/現代音楽/Ⓟ&ⓒ2015 Naxos 8.573289/輸入/ネット
    <★★★★>
 
(帯紹介文) ヘンツェ(1926-2012)の2つのヴァイオリン作品を収録。最初の作
品のタイトルは「倍増したヴィターリ」という意味で、あの有名な「ヴィターリの
シャコンヌ」をさらに変奏曲に仕立てたというもの。原曲がどんどん凌辱され、
どろどろに形を変えていく様子がたまりません。カデンツァの部分の奇妙な世
界観もたまりません。ヴァイオリン協奏曲第2番は、劇場やコンサートで演奏
されることを目標に作られた音楽で、ヴァイオリン、テープに録音された詩人
エンツェンスベルガーの「ゲーデル頌」をスピーカーから流しながら、管弦楽
とヴァイオリンが様々な風情の音楽を奏していきます。ヴァイオリニストのパ
フォーマンスも含めて入念な準備が必要とされるこの演奏は、ヘンツェとスケ
アヴェズによるコラヴォレーションの最後のもので(その少し後に彼らの共同
作業は終了しています)スケアヴェズ自身もこの演奏を聴いたことがなかった
のだそうです。、BBCによると、この記録のマスターは失われていたため、今
回のCDには大英図書館にあったコピーを修復したものが収録されています。
曲はもう通常のヴァイオリン協奏曲の概念など軽く飛び越えた「パフォーマン
ス」であり、上質な素材をふんだんに使用したヘンツェらしい混沌の世界を楽
しむことができます。
同性愛者だったことはよく知られているようで、ブリテンそう。20世紀のビッ
グネーム二人がたまたまそうというだけのこと・・・。
(1)ヴィターリのシャコンヌについては、なんだかものすごい紹介文。
凌辱される、どろどろに形を変えていく・・・ つまり‘変容’してゆく。変奏な
んてすました言葉では足りない。確かに・・・
キチガイじみた技術を要求したり、奇妙な音程が増えてきたり、奇怪なム
ードに染まってきたり。
変容なんて言葉を出したついでに、まあこれは行き過ぎだとは思うけれど、
日本画でもあったでしょう、若い女の死体が膨れ、腐乱し、しまいに骨だけ
に成り果ててゆく過程を克明に描いた昔の絵、あんなのまで連想してしま
った。好き嫌いを問われりゃ、どちらとも言いにくい。珍しいグロテスクさを
味わえる。
ロングボウというのは室内楽団の名。
やや音がどぎつい。
(2)こちらの方が録音は古いが音質が自然。
始めはつんざくブラスとピアノ。ちょっと遅れてヴァイオリン。
曲調、音色のバラエティの豊かさはあきれるばかり。現代音楽は厭だとい
うかたくなな方にはどうかわからないが、これほど手を変え品を変えてエン
タテインメントに徹した曲も珍しいんじゃないか。
 もちろんヘンツェだけとってみても、まだほとんど知らないので、ワタシの 
 記憶している限りということです。ワタシとしては、ヘンツェ、まだまだ楽し
 めそうでうれしい。
珍しい音としてはマンドリン。時に中世の世俗曲なんてフレーズも。
‘テープ’がどんな音なのか始めは分からなかったが、電子音ではなく、バ
ス・バリトンのことなのね。始めは音程があるようなないような語り、あとで
歌らしくなる。言葉はなぜか「英語」で、歌詞(詩らしい)は分からない。特に
抵抗感なく不自然さも感じなかった。音として聴いてしまった。
協奏曲という概念なんぞ飛び越えているという紹介文の言い方がわかりや
すい。ここで使っている‘混沌’と言う言葉も、まさにそのとおり。
目くるめく音(楽)体験に酔いしれ、二日酔いしそう。
かなり規模の大きな1番3番はまだ協奏曲然としていて、相当な規模感や
奥行き感を伴う。そうした点では違って、小規模で原色的。それでも楽しま
せてやろうという方向性や、方法はけっこう似ているかも。
規模感が少なからこそなんだろう、突っ込み鋭く、非常にインパクトのある曲
でした。クラシック音楽にちゃんと繋がっていると思わせる、ある種安心感も
感じた。まあ中道といわれていたわけだからね。
そして、音楽(哲学的だったりもするけれど)決して暗くない。それが大事。
  *気になって、1番と3番を聴きなおすことまでやってしまった。
   第3番はオーケストラが大きく奥行きがあるせいか、あるいはT・マンの
   名や「ファウスト博士」に関係しているという思い込みのせいか、哲学
   的/思索的な表現であるかのように感じてしまう。ええかげんなもんで
   す。1番のほうはさらにちゃんと協奏曲。
   20世紀のヴァイオリン協奏曲というと筆頭はワタシにはバルトークの2
   番とかベルクのものですが、今回のCDでは聴いていてちょくちょくバル
   トークを聞きつけましたね。似た音があったからというぐらいなんですけ
   どね。音楽の内容的には似たところはほとんどないと思う。