(帯紹介文) 絶好調のグラズノフ管弦楽曲全集はまだまだ快進撃を続けます。こ |
の巻はタイトル的にも、そして実は一聴しただけではやや似通った感じに響く曲が |
並んでいますが、どの曲も無理なく伸びやかに歌われるオーケストラが大船に乗 |
ったかのような安心感を与えてくれ、聴けば聴くほどそれぞれの味わい深さに引 |
き込まれてしまいます。特に有名なコラール「神は我がやぐら」が引用され、対位 |
法的な仕掛けが面白い「フィンランド幻想曲」や「荘厳な行列」、あるいは「婚礼の |
行列」のように、行進曲風の楽想を持つ曲は、思わず口ずさみたくなるような楽し |
さに満ちています。 |
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ホントはね、交響曲の真ん中へんのところを聴いてみたかったんだけれど、その |
へんはなくて、管弦楽全集と銘打った後のほうだけが中古屋には並んでいた。 |
贅沢は言うまい、と1枚聴いてみることに。 |
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前々から気にしていただけのことは、ありましたねえ! 意外にも新鮮! |
それとも単に知らなかっただけで、すぐに聴き飽きる? |
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フランスならドビュッシーとラヴェルの間といった時代。 |
音楽は後期ロマン派でなくロマン派そのものに近いが、やはりどこか新しく、プラ |
スαがある。それはオーケストレーションがとにかくうまいということからくるのか |
なぁ。いや、、、実際にフランス音楽の影響だってあるんじゃない? ロシア臭さは |
チャイコフスキーあたりの感じがしっかりあるものの、そんなにきつくなく、洗練が |
進んでいる。 |
師リムスキー・コルサコフや弟子ショスタコーヴィチ、ストラヴィンスキーなどとの関 |
係もWIKIを見るとたくさん書いてある。概して新しいものは嫌がったらしいが、勉強 |
はしたみたいで、その辺がプラスαになって出ているんじゃないかねぇ。 |
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どの曲も素晴らしいが、①②④は特にいい感じ。帯紹介文の「・・・無理なく伸び |
やかに歌われるオーケストラが大船に乗ったかのような安心感を与えてくれ、聴け |
ば聴くほどそれぞれの味わい深さに引き込まれ」るというのがよくわかる。確かに |
20世紀の音楽としては古くさいけどねぇ。やすやすとは飽きないんじゃないか。 |
内声部のことなどはよくわからないが、なかなかに深く柔らかい。 |
このCDよりまだまだ優れた演奏もありうるというか、もっと良くきこえていい曲なん |
じゃないか。 |
いずれもフィンランドのネタなんじゃないかと思うが、シベリウスとはすっかり違った、 |
でもわりと涼やかな音楽。もっと有名であってもいい。 |
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遅いロマン派の音楽に反応しすぎかもしれないけど、なかなかいけてました。 |
ブックオフにまだあったあと数枚が気になる。 |
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(WIKIから)・・・ |
ペテルブルク音楽院の院長を1906年から1917年にかけて務め、ペトログラ |
ード音楽院およびロシア革命後のレニングラード音楽院への改組を担った。 |
1930年まで院長職を任されてはいたが、1928年にソ連を脱出してからとい |
うもの、二度と帰国しなかった。任期中の門弟で最も有名な一人がショスタ |
コーヴィチである。 |
グラズノフは、ロシア楽壇における民族主義(ペテルブルク楽派)と国際主 |
義(モスクワ楽派)を巧みに融和させた点において重要である。グラズノフ |
はバラキレフの国民楽派の直系であり、ボロディンの叙事詩的な壮大さに |
靡きながらも、その他多くの影響を吸収した。例えば、リムスキー=コルサ |
コフの巧みな管弦楽法や、チャイコフスキーの抒情性、タネーエフの対位法 |
の手腕などである。しかし、時として形式主義が霊感を翳めそうになったり |
折衷主義が独創性の痕跡を作品中からすっかり拭い去りそうになったりす |
るという弱点も見られる。プロコフィエフやショスタコーヴィチのような新進作 |
曲家は、実のところグラズノフの作品は時代遅れだと看做していたが、そ |
れでもグラズノフが、変化と波瀾の時期において、依然として際立った名声 |
と不動の影響力をもった芸術家であるということは認めていた。・・・ |