1/31(木)


| 磯崎憲一郎さんの‘文芸時評’(昨日1/30の新聞) | ||
| この‘本物論’は鬱陶しいのですが、でも改まって説明するというなら、分 | ||
| かりやすいほうでしょう。文学や言語の本質の一面(≒片面)を的確に言 | ||
| ってくれている気がします。“本来”というような唯一無二のような言葉は | ||
| ワタシは当然気に食わないのですが、読解力のないワタシが言うことでも | ||
| ない。 | ||
| (傍線を引いてますが、ここまで引いては、意味ありませんな・・・) | ||
| このあと、こういう論理で説明できそうだというつもりなんでしょう、リービ | ||
| 英雄と黒田夏子の作品を取り上げている。でも上記の理屈の部分と繋げ | ||
| ての説明という感じではないまま、しんどそうな小説のメンドクサイ説明を | ||
| 試みられている。当然、小説を読む気にはならない。 | ||
| 言語化できないものを表現しようという矛盾、なんていうのを見ると、繰り | ||
| 返し繰り返し聴かれたことで地位を得たいわゆる“クラシック”音楽と違っ | ||
| て、時々聴く現代音楽、輪郭の掴みづらい“音楽風の音”~ちょっと卑下 | ||
| してしまってますかね~と似ている気が(ふっと)します。 | ||
| ちょうどこの記事の下に『後藤正文の朝からロック』といういつものコラム | ||
| があって、‘音楽でないような音楽’のことが出てくる。上記文学論とも妙 | ||
| に都合よく呼応しているみたいでした。 | ||
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(現代音楽は余計だったかな・・・)
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