休みには中古屋のはしごⅢ

基本音楽鑑賞のつもり。ほかに映画・本・日記的なもの・ペットなど。

安野光雅/絵のある人生 ―見る楽しみ、描く喜び―

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20171226(了)
安野光雅絵のある人生 ―見る楽しみ、描く喜び―
 
 1、絵を見る・・・心を動かされる満ち足りた時間
 2、絵を描く・・・ブリューゲルの作品を手がかりに
 3、絵に生きる・・・ゴッホの場合、印象派の時代
 4、絵を素直に・・・ナイーヴ派、アマチュアリズムの誇り
 5、絵がわからない・・・抽象絵画を見る眼
 6、絵を始める人のために・・・テクニックは重要な問題ではない
 7、絵のある人生
   あとがき
 
   2003年/岩波新書/エッセイ/中古
   <★★★☆>
 
 
 
安野さんの絵に関する本、読んでみました。
(ワタシは自慢じゃないが、絵は超ヘタクソです)
あっちこっちに想像が膨らむエッセイとはちょっと違いましたね。
お年だしなあ、お元気だろうか。
 
第一章では、どうして自分が絵を描くようになったか。
第二章ではブリューゲルを真ん中に据えて、絵を分析するとはどういう
ものかをずいぶんたっぷりと喋っている。
両章を通じて、絵画に対する‘使徒信条’のような具合になっている、
要するに安野さんの絵というものに対する考え方がよく表れた内容に
なっている、と思います。
 
結局ブリューゲル展には行かずじまい。ちょっと残念・・・
オフクロが行くなら連れて行くよというようなことにしてあったが、つい
にオフクロが行くふんぎりがつかないままになってしまったから、と言
えなくもない。本当はそこまで切実でもなかった自分のせい。
 
 
白眉はゴッホの第三章かな。
  科学の時代へ/写真機の登場/線の主張/宮廷画家の終焉/
  印象派の光/洋行の時代/ゴッホの生涯/印象派の遺産
ゴッホを語るうえで欠かせない印象派の話も面白いが、ゴッホを意外
に冷めた目で見つめる安野さんの語り口に何か妙にこだわりを感じま
した。
ゴッホの手紙」は読むべし!と書いておられる。気になる。
最近出た原田マハさんのゴッホの本のほうが面白いんじゃないかなぁ
って、意味が違うか・・・
安野さん、ピサロが大のお気に入り。
 
あちこちで、自分の絵について語らざるを得ないという感じで、ついで
ふうに、ぽつりぽつり語られる。‘安野光雅、その秘密に迫る’なんて
いうほどでもなかったものの、意外なことにこういうの読むのは初めて
かもしれない。いや、ついでじゃないな。
ここで書くのもなんだけれど、この本は、画家を目指す人、あるいはひ
ょっとして自分は画家向きかもしれない、なんて考えることがある人に
対して書かれた気がするなぁ。
第6章はモロにそうだけれど、ほかの章もそう考えると当てはまる気が
する。“見る楽しみ、描く喜び”と副題にあるけれど、前よりは後ろにウ
エイトがかかっている感じ。
「描く喜び」のためには、こうしたほうがいいように思いますよという、経
験論的な啓蒙の書。基本はいくらか必要だが、教科書的なものはあま
り信用しないほうがいいヨという言い方だね。そのために自叙伝的なも
のを使っている。漫画も、予想通り、分け隔てしておられない。
 
ちなみに・・・、ゴッホの章の前、ブリューゲルボッシュのことに多く触
れている第2章(ルネサンス)のおしまいのほうに、常識なんでしょうが、
こんなふうに書いておられます。
  ・・・絵は頼まれて(制約のもとで)描くか、頼まれないのに(自
  由に)描くかの二つが考えられる、と言いました。
  英語では、制約のもとに描く場合を、イラストレーション、自由に
  描く場合を、ファインアートと、分けて考えています。昔はイラス
  トレーションという言葉はたぶんなかったでしょう、イラストレーショ
  ン以外の絵は考えにくいのです。つまり、この年表の扱う時代、
  いやもっと後まで美術はイラストレーションの歴史だった、といっ
  てもいいと思います。
案外絵を見る時、そのことを飛ばしてしまっていることが多い。
安野さんの絵には、近ごろの「イラスト」、あるいは「イラストレーション」
という言葉の範疇に当てはまる絵が多いわけですが、上記の使い分け
とはまるっきりそぐわないことになっちゃうんですねえ。