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(帯紹介文) 日本では「ギター曲作曲家」として認知されがちなイタリア近 |
代の作曲家カステルヌオーヴォ=テデスコ(1895-1968)ですが、最近彼の |
管弦楽曲や協奏曲が相次いでリリースされることで、その風向きも変わっ |
てきたようです。もともとは優れたピアニストであった彼ですが、1924年に |
最初の管弦楽作品「イタリア協奏曲」を書くことを思いつきました。彼の友 |
人のヴァイオリニスト、マリオ・コルティはこの当時発表されたシマノフスキ |
の「神話」を参考にするようにと提案しましたが、彼が最終的に取り入れた |
のは17世紀から18世紀にかけての作品…ヴィヴァルディを思わせるスタ |
イルでした。もちろんかなりモダンな味付けがされていますが、なかなかス |
テキな作品となっています。ハイフェッツに委嘱された「協奏曲第2番」は良 |
く知られた作品で、題材は旧約聖書やユダヤ教の典礼から取られており、 |
彼自身もユダヤの血を引いていることから、当時蔓延していた 「反ユダヤ |
主義」をはねのけるほどのパワーと輝きを持つ力作となっています。いま |
や飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍する若きヴァイオリニスト、ティアンワ・ヤン |
のパワフルなソロは、厚みのあるオーケストラの音色から一歩抜きん出る |
輝きを放っています。
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(1)シマノフスキなんぞ参考にしなくてよかったね。ワタシ、シマノフスキは |
大好きですけど。でも、ヴィヴァルディも感じない。 |
あでやかでロマンティック。非常にメロディアス。 |
バロックよりは完全にロマン派の音楽で、メンデルスゾーンのようじゃない |
か。もうはじめっからメロディアスなのに、第2楽章になると、ほとんどべた |
べたに甘い。でもやっぱり南のほう、かな。 |
そうそう、第1楽章のヴァイオリンの入り方が予想外。ちょっと変わってい |
ると思う。 |
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(2) 1番をもう少し分厚く規模感を増し、ほの暗く、現代的になっている。 |
と、これでは大雑把か。旧約やユダヤ教の典礼に基づくなんてことはまる |
っきりワカランものの、イタリア的な明るさの上に、中東やアラブのにおい |
が降りかかっているような気がする。ちょっと前にいろいろ書きつけた「シ |
ェエラザード」ふうなヴァイオリンも聞こえる。やはり第2楽章! |
ところで、実は基本的にはアメリカの作曲家だと思っていたところ、アメリ |
カに渡ったのはやっと大戦直前。ユダヤ系だとは知らなかった。 |
ずっとアメリカだと思っていたのは、映画音楽のジェリー・ゴールドスミスの |
先生だったことを知っていたから。で、Wikiを覗けば・・・ |
ヘンリー・マンシーニ、ジェリー・ゴールドスミス、ジョン・ウィリアムズ |
やアンドレ・プレヴィンらの、年下の映画音楽作曲家に対する影響 |
は大きい。自作に対する映画音楽からの影響を否定したが、オ |
ペラがヨーロッパの芸術形態であるように、映画は本質的にアメ |
リカ的な芸術形態なのだと割り切っていた・・・ |
とか、この曲については・・・ |
ユダヤ系の血統への自負や、作曲者自身の言を借りると 「昔日 |
の輝き」を表現した |
とか。 |
第3楽章は、第1第2楽章を回想しつつ、華やかに締めくくる。冒険映画の |
エンドタイトルみたい。と、どうも映画に傾いでしまうワタクシメ・・・ |
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共に、まだアメリカには渡っていない頃の作品とは思えない。もちろん今 |
から見れば(聞けば)古風もいいところだけれど、いわゆる映画音楽っぽ |
い!評論家が時代錯誤だとか俗っぽいとかなんとか言おうと、二曲とも |
とても演奏映えも聴き映えもする曲じゃないだろうか。 |
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映画には多く関係したらしいが名は出さなかったので、作曲者としてはほ |
とんど残っていないみたい。なんだか残念。 |
いい機会だ。この作曲家の管弦楽曲、シェイクスピアの戯曲にインスパイ |
アされたいくつもの「序曲」のCDを2枚持っている。車に持ち込んで聴きな |
おしてみた。あまり精度のあるオーケストラではないけど、珍しい録音で、 |
十数曲中、1曲を除いて初録音。案外いい買い物していたかも。 |
「段段よくなる法華の太鼓」 ・・・昔麻雀をやっているとき、上司が |
この文句をよく言ったなあ。この頃こんなことが多いもんで思い出した。 |
質、量ともに、これらのヴァイオリン協奏曲を凌駕する美しいメロディと曲 |
想の豊かさ!聴くほどに楽しい。これらはさらにさらに映画音楽っぽい。 |
インプレッション系なのか付随音楽系なのか、ま、ちょっと難しいところだ |
けど、映画があったらエンドタイトルなんかにぴったり。 |
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そんなこんなで、うれしい鑑賞になった。 |
ピストンに続いて‛当たり’のヴァイオリン協奏曲。
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