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(クセナキスの初期の傑作) |
物理学や数学的原理を作曲に援用して、独自のダイナミックな音空間を |
開拓したヤニス・クセナキスの事実上のデビュー作は、1955年10月のドナ |
ウエッシンゲン音楽祭で初演された「メタスタシス」であった。コルビュジェ |
のモデュロール(黄金尺)によって、61のパートを持つ弦のグリッサンドに |
覆われたスケールの大きい曲面を創り出したこの曲の新しさは、センセー |
ションを提供した。この年、クセナキスは「音列音楽の危機」(Gravesander |
Blatter,№1)という小論文を発表して、当時最前線であった音列主義の |
技法が、平均律の12音を解放しながらも、音列というかたちで古い線的対 |
位法に固執して、無用の複雑さの中で行き詰まっていることを指摘し、ま |
た批判した。「線的対位法はまさにその複雑さの故に自滅した。聞こえる |
ものはというと、実際にはさまざまな音域にある音の量塊に過ぎない」と述 |
べた彼は、これらの統計学的現象を「確率の考え方、とくにこの場合は組 |
み合わせ計算法」を取り入れることによって直接とらえようとした。 |
この論文は、「メタスタシス」後の彼の初期の音楽探求の基本的な観念 |
を伝えている。「メタスタシス」に続く「ピソプラクタ」で、これらのグリッサン |
ドは統計力学的な扱いを受けるところとなった。音楽を、グリッサンドに運 |
動性を与えた大量の音粒子が飛び交う空間としてとらえたこの方法は、以 |
後、確率音楽と呼ばれることになる。 |
確率計算を全面的に用いるのは21楽器のための「アホリプシス」(1957) |
が最初で、さらにここで用いられた確率的手法をもとに作られたプログラム |
によりコンピュータで算出された「ST/10」(1962)が作られるなど、この探 |
求は着実に新しい方法論と結び付いて進展してゆくのだが、大局的に見 |
れば、リゲティやペンデレツキのトーン・クラスターの手法に大きな影響を |
与え、文字通り、音列音楽の危機を体験したあとの60年代の現代音楽の |
歩みを支える布石となったのは「メタスタシス」と「ピソプラクタ」のグリッサ |
ンドの手法であった。 |
このクセナキスのデビュー時の重要作2作と、固定したピアノの周りを金 |
管楽器が歩き回る「空間の音楽」で、響きの豊かな音場が味わえる「エオ |
ンタ」が収められていて、かつてLP発売時、世界的に大きな話題を提供し |
たのがこのアルバムである。(CD解説から) |
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ルーマニア生まれ。ギリシャ系フランス人の現代音楽作曲家。なんでコ |
ルビュジェが出てくるんだと思ったら、なんと、建築家という肩書もある。 |
ワタシの義弟がたまたま‘コルビュジェおたく’で、聖地巡礼よろしくフラン |
スの関係の町、記念の建物、作品としての建物などをいろいろ複数回訪 |
れ、ブログに細かく報告を書きこんでいる。彼にこれを聴かせて印象を訊 |
いてみたら、何か面白いことを話してくれるかもしれない・・・。音楽、結構
お好きなのですが、たぶん‘クラシック’オンリーだったと思う。
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現代音楽の録音の中ではたいそう有名な録音とのこと。 |
さて、60年以上も前の作品だというのに、悲しき素人。‘自分なりに捉え |
た’という感触が持てなかったからこその、チョーだらだらの長いメモを一 |
週間ほどかけて書きつけたが、まとまらず、こっ恥ずかしいので載せるの |
はやめ。 |
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若いころではダメだったこのサウンド、今回は結構楽しんで、その順位 |
が星の数。(2)と(3)は似てるね。ピチカートの多い(3)はかなり素敵。 |
こんな音楽、聴いたことない人には、かなり抵抗あるんでしょうけど、ナ |
ニ、臭覚同様すぐ馴れますって。 |
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メモとは別の何か喩えがないかと考え、思いついたのが好きなカレー。 |
インドやスリランカやタイなどの猛烈に辛いカレーのルーのみを飲む(食 |
べる)感じで、ライスもナンもない、サラダもチャイもない、水もビールもな |
い。なんだかそんなふうですかねえ。 |
ワタシったって、そんなもんなんですけどね。 |
ハハハ、スミマセン。 |