この地味な作曲家の交響曲の聴き直しです。 |
NAXOS社の管弦楽全集で聴きすすめてきたグラズノフ。まだ途中ながら、 |
交響曲では、どうも音の抜けの悪さが気になってました。素っ気ない演奏 |
でもあるとはいえ、それはもともとなんで、そんなに気にならなかったので |
す。要するに録音の問題が大きかった。 |
もうちょっとましな音で聴かないと! |
そもそも、グラズノフという作曲家の交響曲は、交響曲ではあっても、ドイ |
ツの古典派ロマン派のものとは系統が一見似ているが、いわゆる‘絶対 |
音楽’という言われ方の音楽では全くないということですね。 |
喩えるとするならば、バレエ音楽の乗りで交響曲のスタイルにまとめ上げ |
た管弦楽曲。ノーテンキといってもいい明るさやロマンティシズムが身上。 |
語弊があるかもしれないけれども、歌謡調で‘ダンサブル’・・・ |
翳りはあってもメランコリーレベルで、決して陰鬱にはならない。 |
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チャイコフスキーやリムスキー=コルサコフなどからいっぱいいただいてロ |
マン派の最後をちょっと遅れて飾り、弟子格のショスタコーヴィチやプロコ |
フィエフのような進んだ手法や西欧・アメリカのセンス、社会的な主張なん |
かには手を染めなかった。その代り、名声や地位はしっかり得た。新しい |
ものにどんなふうに拘ったのか、どんなふうに拘らなかったのかはWIKIな |
どに詳しくのっていた。 |
ともあれ波乱の時期、欧米を回り、ワグナーやリヒャルト・シュトラウス、 |
ストラヴィンスキなどいろいろ聴き研究だけはしていたようで、自分の時代 |
遅れは十分に承知していたんじゃないか。 |
戻るけれど、本当は交響曲でなくてもよかったけれど、この形のものを作 |
らなければならないから書いたというだけなんじゃないか、と思った次第。 |
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そのほか、音楽と直接関係ないけれど印象に残った事柄としては、‘ア |
ル中’っぽかったこととか、記憶力が非常によかったこととか、1928年に |
ソ連を「脱出」してからは二度と帰国しなかったとか、パリで亡くなった時 |
には驚かれたが、その驚きというのが、あのロマン派の時代遅れの大 |
物がまだ生きていたとは、というものだったこととか・・・ |
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スヴェトラーノフさんの録音、2種類あるみたいで、新しい方を選択。 |
オケも録音も、NAXOSよりはすこし良かった。少し! |
いい意味で常識的。流れがあり、まずまず安定感もある。時々強奏され |
るトランペットのテヌート(ロシア独特)や安っぽく感じてしまう音色が鼻に |
つくときはあるが、まあこれはこの方の‘特色’というべきなんやろう。 |
この“他人のフンドシを実にうまく使った”作曲者同様‘職人さん’だと思 |
う。 |
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とりあえずざっと聴いて、頭にします。 |
個々のCDはできるだけ短い記述にしたい。(そうなりますように・・・とい |
う希望。掴まえられなきゃ無理) ★☆は単に好み。 |
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キーワード: |
祝祭的/ノーテンキなカラフルさ/陰影が乏しい/標題音楽に冴えが |
出る/ネタの自分流の料理がうまい/それでもオリジナリティ不足/ |
メリハリ不足/しょっちゅうバレエ音楽に聞こえてしまう |