休みには中古屋のはしごⅢ

基本音楽鑑賞のつもり。ほかに映画・本・日記的なもの・ペットなど。

米原万里/「他諺の空似 ― ことわざ人類学」

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20160601(水)
米原万里/「他諺の空似 ― ことわざ人類学」
 
Ⅰ 二〇〇三
   「医者の不養生」
   「寄らば大樹の陰」
   「馬鹿と鋏は使いよう」
   「蛇の道は蛇」
   「早いが勝ち」
   「少年易老学難成」
   「悪女の深情け」
   「大山鳴動して鼠一匹
   「朱に交われば赤くなる」
   「天は自ら助くる者を助く」
Ⅱ 二〇〇四
   「鶏口となるも牛後となるなかれ」
   「甘い言葉には裏がある」
   「能ある鷹は爪を隠す」
   「蟹は甲に似せて穴を掘る」
   「内弁慶」
   「自業自得」
   「頭隠して尻隠さず」
   「覆水盆に返らず」
   「目糞鼻糞を笑う」
Ⅲ 二〇〇五―二〇〇六
   「嘘つきは泥棒のはじまり」
   「火事場泥棒」
   「一事が万事」
   「後の祭り」
   「割れ鍋に綴じ蓋」
   「禍福は糾える縄のごとし」
   「飼い犬に手を噛まれる」
   「隣の花は赤い」
   「安物買いの銭失い」  
   「終わりよければ全てよし」
解説 養老孟司
 
   2009年5月/エッセイ/光文社文庫//中古屋
   <★★★★>
 
【たげんのそらに】:  
「目糞鼻糞を笑う」という諺は、ロシアでは「屑(クズ)が埃(ホコリ)を笑う」、  
アフリカでは「猿の尻笑い」・・・・・と世界中に似たような諺は多い。舌  
鋒鋭どかった名エッセイストの遺作が待望の文庫化。歴史も地理的気  
候条件も、文化も全く異なるところで、同じ文句が同じ意味に使われて  
いる。世界の国々での諺の使い方を紹介しながら政治を諷刺。まさに  
米原ワールド炸裂!(カバー裏の紹介文)  
   
諺を紹介しながら政治を諷刺、とあるけれども、ほとんど逆かもね。  
だいたい、始めに長い短いはあるんだが、「まくら」を置いている。まあ  
メインの諺の例に当たる。艶笑譚というか、エロっぽいものが多く、また  
これが悉くおかしくも嫌味な小話。  
小話がメインの諺につながり、世界中の類例に話が進むが、ついでに  
とは言えない、時の宰相(ここでは多くが小泉首相やブッシュ前大統領)  
がケチョンケチョンにやり込められる。その舌鋒のきつさ、鋭さに、つい  
快哉を叫ぶも、はて、今の宰相に対してはどういうような反応をするだ  
ろうと、今は亡き米原さんに訊いてみたい気がすっごくする。  
諺をダシにして、言いたいことをぶち込んだエッセイ。  
   
言い方は違えど、世界中に類諺がいかに多いか。  
当然ながら、‘人間というものは・・・’というわけだ。  
   
たまたま、積読しているものと同じ文庫本が(中公文庫)から出直して  
いるじゃないかと気づき、読む気になった。  
どこかお義理的に手に取ったところもなくはないが、嬉しいことに楽し  
い読書になった。  
   
あとがきの養老孟司さんが、名作「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」な  
どを引き合いに出しながらも、惜しいな惜しいなと書かれているのを読  
むと、それがタイプの全く異なる養老さんにしてからがというところもあ  
るのかもしれないけれども、こっちも、あらためて悔しくなってしまった。  
癌で壮絶に逝かれた米原さん最後の本とのこと。  
これが名作扱いになるとは思わないけれど、これもワタシとしてはしば  
らくはちゃんと残しておこうと、思う。
 
    (下の作家紹介に挙げられている作品は、全作傑作ですよ!!!)
 
   
   
  [米原万里];  
   作家。 1950年、東京生まれ。小3のとき両親とともに渡欧、59年から
   64年まで在プラハソビエト学校に学ぶ。帰国後、東京外国語大学
   シア語科卒業、東京大学大学院露語露文学修士課程修了。ロシア
   語講師のかたわら、翻訳・通訳の仕事を手がけるようになり、80年に
   設立したロシア語通訳協会の初代事務局長に。95年から97年、03
   年から06年会長に就任。来日するほとんどのロシア要人の通訳を務
   める。92年に同時通訳で報道の速報性に貢献したとして、日本女性
   放送者懇談会SJ賞を受賞。著書『不実な美女か貞淑な醜女か』(徳
   間書店・新潮文庫)で読売文学賞を受賞、『魔女の1ダース 正義と常
   識に冷や水を浴びせる13章』(読売新聞社新潮文庫)で講談社エッ  
   セイ賞受賞、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』 (角川書店)で大宅壮  
   一ノンフィクション賞受賞。『オリガ・モリソヴナの反語法』(集英社)で  
   Bunkamuraドゥマゴ賞受賞。2006年5月25日、がんのため鎌倉の自  
   宅にて死去。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されてい  
   たもの/「BOOK」著作者紹介情報より)  
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