休みには中古屋のはしごⅢ

基本音楽鑑賞のつもり。ほかに映画・本・日記的なもの・ペットなど。

小説『ラヴェル』

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20160220(了)
ジャン・エシュノーズ/小説『ラヴェル
  関口涼子
  2007年10月/単行本/小説/ⓒ2006/みすず書房/中古
  <★★★★>
(帯紹介) ひげを剃り髪を撫で付けた「ボレロ」の作曲家モーリス・ラヴェ
ル。アメリカ訪問に始まる晩年の十年を目の前に浮かび上がらせる、ま
るで音楽みたいな小説。
ラヴェルの風呂上りから話は始まる。まだ朝早い。冬らしい。
外ではエレーヌ・ジュルダン=モランジュが車で待っている。彼女はラヴェ
ルを汽車に乗せるつもり。古くさいが伊達男らしく、身支度に少々手間取
る・・・、不眠症で機嫌がよくない、、、
   モランジュ女史って、ラヴェルの伝記(回想録)を書いたかたじゃなか
   ったっけ。 読んだことがある。
     そもそもこの小説、ラヴェル好きだからでしょうが、出たころを覚えて
   いましてね、一応目に留まったが、放置。小さそうな本なのに 2200
   円!こりゃダメと、‘読みたいリスト’にも加えず。(もう‘読むリスト’に
   変える年齢だろ!)
   で、9年もたっているというのに中古屋で目について、一も二もなく・・・
まるで観ているような気になる描写。
ワタシより背が低かったんや。
   この小説を読み始める直前、小沢征爾/サイトウ・キネン管のCDが
   オペラ録音部門でグラミー賞を獲ったとマスコミで騒いだばかり。
   それがラヴェルの歌劇「こどもと魔法」。大好き。
   中学で「ダフニスとクロエ」にいかれ、高校からはラヴェルのファンを
   始めて、ほとんど今に至っているのですが、「こどもと魔法」はかなり
   遅れて好きになった曲でした。(アンセルメのLPは残してある。)
   3年前の松本での(がん治療から復帰してのちすぐの)ライブの録音
   らしい。聴いてみたいな。
   もっともワタシにしては珍しいことに、この歌劇は生を観たことがあり
   ます。といってもあくまで子供用で、小規模な日本語上演。名古屋市
   の南の町でのこと。7-8年前。それでもワクワクものでしたっけ・・・
   この本にはこの歌劇のことは出てこない。
全部で9章あって114ページの中篇と言っていい長さ。7章まではまあラヴ
ェルにとっては普通の状態での生活が描かれている。
最初のモランジュ女史に送られていくのは、アメリカ行き。一般的に有名
なのはガーシュインと会うことだけれど、実にあちこちに行き、いろんな人
に会っている。作者の創作というわけではなさそう。ガーシュインとの邂
逅はあっさり通り過ぎているが、かけた言葉はうっすら知っていた。
アメリカ行きはなんと半分を超える5章まで割いている。なんかねえ、不
眠症が気になるが、、、まだこの辺では元気そう。
最後の10年なのだから、だんだん‘おかしく’なってくるのだろうと思った
ら、そうでもない。
通奏低音ふうには、気取り。不眠症。孤独好き。話しべた。もちろん独
身。
この頃にはもうビッグネームで、いろんなジャンルの有名人とも引けを
取らない会い方をしていたみたい。かなりちやほやもされているのも事
実だろう。いや、ドキュメンタリーじゃないんだから創作部分はけっこう
あるんだろうと思うけれど、伝記なども思い出して、たしかそんなふうだ、
ったなあと。
パウルヴィトゲンシュタイン(哲学者じゃないほう)とのやり取りは、なん
どか登場する。あの双子のようなピアノ協奏曲は、けっこう難産だったの
ね。でもそれよりもラヴェルを困らせたという興味深い逸話は、ヴィトゲン
シュタインが名曲「左手のためのピアノ協奏曲」を散々ヴィルトゥオーゾ
っぽくいじり倒して弾き続けたこと。これは本当なんだろうなあ、知らなか
った。この曲を弾く権利みたいなものを彼は持っていたようで、彼が‘退
場’してから、ようやくジャック・フェブリエによって満足いく演奏をしてもら
えるようになった、ああやれやれ、という感じ。ただ本人はその時には、
それが自分の作品かどうかよくわかっていなかったふしがあるのだけれ
ど。(最終章)
8章冒頭での交通事故の後、ラヴェルの完全にボケが進行した状態(痴
呆)が描かれて行く。いきなり!とも、事故後おかしくなったふうにも読める
が、そんなことはないんじゃないか。この小説には書かれていないが、
  現在ならおそらく一種の前頭側頭認知症と診断されただろう・・・意味
  失語症にかかり、象徴やシンボル、抽象概念、あるいはカテゴリーに
  対処できなくなった
などと分析されているし、ごく最近のイギリスの学者の知見では、上記と
同じく「ボレロ」を引き合いに出して、「アルツハイマー型」のものだったよ
うだとしている。これはワタシもメモっていた。そんなに急激ではなくいろ
いろ症状は表れてはいたんだろう。
単一のフレーズが何度も繰り返され、音と楽器編成は大きくなっていくが、
展開は一方向のみで全くないわけだけれど、ご本人だって、
「形式もなければ、展開もないし、転調もない」
などと語っていたそうで、いたって冷静に論理的に見ているんだから、そ
の分析と認知症とはなんとなく噛み合わない気もする。こと「ボレロ」につ
いては、面白い思いつきをちゃんと音に出来ただけの話で、ボケとは直
截的には関係ないのではないか。
ボレロ」は奇跡的な名作だとは思うのですが、ワタクシメ、ラヴェルの曲
はほとんど聴いたんだけど、実はこの「ボレロ」が、まあ言ってみれば一
番苦手・・・
ということで、8章は通奏低音が「ボレロ」で、認知症風の症状がありとあ
らゆるところについて回り、一進一退で表れる状況が綴られる。
そして最終章は店じまい。
ここまでほとんど現在形で表現されてきたのが、おしまいの数行だけ過
去形になる。
 
この作家、有名な方だそうな。全く知りませんでした。
なにが表現意欲をそそったのかはわかりませんが、ラヴェルを見ている
ようでしたね。
フランス語とバイリンガルだという詩人の訳文も良かったんでしょう。
おしまいに、出てきた曲や人名などを挙げてみようと思ってましたが、読
後はその気が失せ、紹介文のように載っているカバーの文章(小説内の
文章)を載せてみる気になりました。
   「ラヴェルの身長は競馬騎手くらい、つまりフォークナーくらい低かっ
   た。1914年、やせっぽちのくせに軍隊に志願したいと思い、まさに
   体重が少ないということこそが空軍に徴募されるに理想的だと、徴
   兵官を説得しようとした。この入隊は拒否され、それ以外のあらゆ
   る兵役も免除されたが、それでもしつこく頼むので、冗談のようだが
   超重量級の部隊に運転手として編入されたのだった。そんなわけ
   で、ある日、シャンゼリゼ通りをものすごく大きな軍用トラックが行き、
   その運転席にはだぶだぶの青い防寒外套を羽織った小さな姿が、
   大きすぎるハンドルにようやっとつかまっているのを見ることができ
   たことだろう。」
 
ラヴェルの身長は 161センチ、と載っている。
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この指揮をする後姿の絵、携帯の待ち受け画面にしようかな。