休みには中古屋のはしごⅢ

基本音楽鑑賞のつもり。ほかに映画・本・日記的なもの・ペットなど。

音楽鑑賞も少し

10/5(日)
 
オフクロ、教会は、脚がおぼつかないのでパスとなる。
脚がふらつくのでは、、、どうなんだろう、今後も怪しいのかな。本人としては
入院明けだからだと理由づけした。
カミサン、冬に自転車に乗る覚悟ができていない、イヤだというのだが、そう
いうわけにはいかない。で、手袋の話へ逸らすと、、、
オフクロがいい皮手袋があるはずと言い出し、朝食後探し始めたが、結局思
ったものは出てこず、使いさしをいくつか。 
その後、高級箸を幾組かとか、さまざまな「在庫」を見始めたり整理し始めた
り、、、自分の世界に入り込んでいる・・・
 
死ぬ前に持ち物すべてを整理し終わっている、なんてことは、、、自分は無
理だろうな。オフクロに文句なんぞ言えるわけがない。
 
台風18号が近づいている。
今夕方ぐらいから明日の午前中にかけて。
御嶽に降る雨が土砂崩れを起こさせるかもしれないと伝えるニュースが間遠
すぎて少々腹立たしい。(歳だなあ) TVよ、台風ぐらい、もっとマメに伝えろ!
ところで、御嶽山の噴火、どっと来る4時間前に噴煙じゃなく水蒸気が出始め
ていたんだとさ。それが危険な兆候なのかどうかまでは撮った人にはわから
なかった。その後の爆発で気が付いて写真を提供。これも、例えば浅間山
どとの対応の「違い」「差」の表れなんだろうな。いまさらだけど。
 
朝日の昨日の‘オピニオン’、切り抜いておく。
「揺らぐ国民国家」と題されたもので、国民を統合する国家の枠組みが揺れて
いる。民族主義という単純な括り方ではなく、なんで国家という器がこんな風に
不安定になってきているのか、総括してみようというオピニオン、二つ。
 ①佐藤優(作家); 貪欲な資本主義への抵抗の芽
 ②早尾貴紀(東京経済大准教授); 主権と民族、切り離すべきだ
特に佐藤氏の宗教や民族よりむしろその根っこだという言語を中心に据えたま
とめかたに共感。
その記事の下のコラムもついでに。
 カナダ・ウォータールー大学教授、デビッド・ウェルチさん;
 ‘私の視点’ 「日本軍国主義の復活:根拠ない恐れに終止符を」
のコラムもよくわかった。というか、ワタシの感覚に近かった。
(どちらも、中身は省略、、、読み返さないと、、、ホントはちゃんと理解してない)
 
自分の退院祝いだってさ。もっとほかの人間にやってほしいのだろうが、オレ
たちしかいないのだから、しょうがない。●●円をオレに持たせた。ツリは要ら
んとさ。
今日は・・・普通の鍋にする。スキヤキはパス。
(そんなもんでええんかい。外食でもよかったなあ。)
そのための買い物。
メガネの紐を買う・・・カミサン出してあげるだって。これだけ? まあいいか。
(以前の職場では、危険なのでメガネの紐は禁止だった。最近行きはじめた
仕事場で訊けばOKとのこと。すっかり忘れていた‘紐’、やっぱりあったほう
が何かと便利そうだと、買ってみることに。)
▲▲円ちょっと残る。カミサンのヘアカラーも買わされたが、、、使い過ぎては
いない、なんたってお祝いなんだから。
しかし、オレ的には使いすぎ!?
 
今朝またクマゼミの鳴き声を聞いた。
まさかと思うよな?
でも、ほんと。
 
夜、NHK Eテレ
  モーツァルト交響曲 第39番
  チャイコフスキー交響曲 第4番
    ヘルベルト・ブロムシュテット指揮、NHK交響楽団
  ワタシ、精神的に落ち着いていたんでしょうが、見事な演奏に快哉
  特にモーツァルト、バランスよくスマートで最高に古典的ながら、実はパッショ
  ニットでもあって(これは受け売り)、それが音楽のしかるべき推進力になって
  いる。N響の乗りもよく、アンサンブルもさすが。
  もともとこの曲がモーツアルトの中でも特に好きな曲の一つなんだけれど、先
  日亡くなったクリストファー・ホグウッド/エンシェント室内管のもの(LPの試聴
  盤)が大好きで、カセットにダビングまでしてよく聴いた。それをつい思い出し
  たりもした。
  歌いながらの指示も細かく、意図や考えを実に明快に伝えて取り組んでいて、
  耳たこのチャイコフスキーもなんだか妙に新しく聴けた。
  たとえば、チャイコフスキーは基本的に古典的な作曲家であるということ。そ
  れからこの3曲とも、決して暗い調性でもないのに、上から下へ、上から下へ
  という下降の旋律にするのでなんだか暗さや哀愁に聞こえてしまう、その辺
  がまた人気の秘密でもあるんじゃないか、云々なんて、どうです?
  ブロムシュテットさん(87歳、なんと若々しい!!!)は本当にプロらしい指揮者の
  一人なんだという評価を何かで読んだことがあるけれど、紹介されていたN響
  のメンバーのコメントも、それを図らずも証明したような格好になっていた。
  テレビでこの後の演奏会も紹介されるはずで、「40番と5番」「41番と6番」の
  組み合わせも何とか聴いてみようかと思う。
  これらのプログラムは若いときならきっとバカにして顧みなかったろうな。
  (40番と41番は、ワタシ長年、少なからず苦手なんです。)
 

  このあと、なんとホグウッド/N響によるストラヴィンスキー「プルチネルラ」の
  録画が追悼として放送された。(NHKホール)
  ホグウッドの「歌声」が聞こえていた。