休みには中古屋のはしごⅢ

基本音楽鑑賞のつもり。ほかに映画・本・日記的なもの・ペットなど。

青柳いづみこ/六本指のゴルトベルク

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20140905(了)
青柳いづみこ/六本指のゴルトベルク
(Ⅰ)
  1.打鍵のエクスタシー
  2.白と黒の迷路
  3.完璧な演奏
  4.数字マニア
  5.イメージトレーニン
  6.マジック・リアリズム
  7.コンサートの魔
  8.強迫性障害
  9.耳の不思議
 10.音楽の力
(Ⅱ)
 11.ジャズとスーパー大回転
 12.二対七十五
 13.インプロヴィゼーション
 14.バッハのアナグラム
 15.かすかな違和感
 16.ヴァイオリンの魔
 17.やっぱりやめられない
 18.現代音楽はお嫌い?
 19.カストラート事情(前編)
 20.カストラート事情(後編)
(Ⅲ)
 21.音楽のもたらすもの
 22.つれなき美女
 23.音楽家は悪人?
 24.天安門事件とフランス大革命
 25.告別のバッハ
 26.コインの表と裏
 27.長い長い物語
 28.音楽の快楽
 29.あの瞬間が……
 30.シャープとフラット
    あとがき
    解説       中条省平
    書名・CD索引
   2012年8月/エッセイ/中公文庫/単行本2009年岩波書店
   <★★★★△>

[1 打鍵のエクスタシー] の出だしは、
  超優秀な精神医学者にして精神病者であり、悪の天才、食人鬼でもあるハンニ
 バル・レクター博士は、完璧な多指症で左手の指が六本あった。トマス・ハリス
 描く『羊たちの沈黙』(菊池光訳、新潮文庫)によれば、重複していたのは中指で、
 まったく同じ形のものが二本ついているらしい。・・・
とはじまる。
この読書好きのピアニストさんは、嵩じて物書きにもなりましたとさ、と紹介すれば
いいんだ。確か小説もものしていらっしゃる。
彼女の本読むのはは2冊目。(一冊目は、「ピアニストが見たピアニスト」、めちゃ
面白かったもんで、一応ピアニストである妹に薦めまくった。)
上のように書きはじめられては、寝つきがいいワタシもすぐに眠れるわけがない。
ハリスの『ハンニバル』にも触れつつ、レクター博士が弾く「ゴルトベルク変奏曲
が映画ではグールドのものが用いられていて、二つの録音のどっちを使ったんだ
ろう云々、音楽、映画、小説のレクター博士を中心に解釈したり茶々を入れたりし
てみせる。
ぽろっと本音も出ていたようでした。つまり、筆者は大バッハの音楽が好きかどう
かはともかく、弾くほうは‘とても苦手’なんだって。
主に音楽にかかわりのある読書を通じて、想像を膨らませつつも、たいていがピア
ニストの現実やその‘業界’の薀蓄にいきつくことが多いのは、ピアニストならでは。
ポーラ・ゴズリング『負け犬のブルース』(ハヤカワミステリ文庫)がピアニストの話で、ミ
ステリー系ハードボイルド。なんとクラシックからジャズへ“ころんだ”なんてことが
前半の主題みたいになっているという。いやー、読みたくなってしまう。ゴズリング、
一作(「逃げるアヒル」)だけ読んだような記憶があります。
変人だらけのピアニストを見る目は厳しくも、優しいというか、自分のことのように、
‘赦してやってよ’というようなニュアンスが漂う気がしないでもない。
(12)はラヴェルの話で、話のもとになっている本も面白そうだが、ワタシ、高校生
時代からラヴェルの音楽がやたら好きで、伝記的なものも若いころ2-3冊読みま
したが、この篇に紹介されている内容には知らないこともあって、思わず、へえー
・・・。早々と気が狂ったようになってしまったのは、なんとアルツハイマーのせい
だったらしい。(だけど・・・どうしてアルツハイマーだとわかったのかな?)
方向性の定まらないネタをさりげなく話し始めてしばらくしたら、やおら紹介したい
本を取り上げて論じていくのが、だいたいのパターン。その一冊のために、さらに
2冊3冊とプラスしていき、話に広がりや厚みをもたせる。違った見方で切り込ん
でいくこともある。読書量に裏打ちされているとはいえ刺激的。一篇一篇が密度
の濃い読み物として仕上がっている。
たとえばファンが世界中にいる村上春樹についても、音楽の記述が多いからね、
取り上げられている。(27. 長い長い物語)
村上の「海辺のカフカ」とシューベルトの「ピアノ・ソナタ ニ長調D850」が、
ロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」やベートーヴェン論とともに小気味よく料理
されるのを読むことになる。前篇から続いている作曲家論だけでなく、ここで
は筆者の村上春樹論(に近いもの)が“ナルホド”でした。
また村上の偏愛する上記シューベルトのピアノ・ソナタに関する表現「冗長さ」
「まとまりのなさ」「はた迷惑さ」「ものごとのありかたに挑んで破れるための音
楽」などもナルホド。
海辺のカフカ」の一部の音楽に関する解釈であるにもかかわらず、この一篇
はこの小説全体の解釈や切り口として、すごくわかった気にさせる優れた評論
になっている気がしました。(ワタシ、この小説にはナンギしました。好きだとは
とても言えません。)
基本は、、、音楽家というものは、奇妙な教育を受けたことによって、へんな人
種になってしまったということを、広く知らしめたい!みたいな本。傑作。
カバーの絵は19世紀のもの、リストの諷刺画、オモロイですね。
ドビュッシー 想念のエクトプラズム』という力作、読んでみたくなりました。
(以下、蛇足)
とまあ、具体的によう書かんので、よく引用をしてしまう子供のようなワタクシメ、
物書きじゃないけれど、このかたのエッセイなどワタシの理想だわ。(ブログなん
かと一緒にするな!)
どう転んでも真似できないのは、無類の勉強家であることとか、文章力があると
かはあるんだけれども、なんといってもご自身がそれでお金を取っている現役の
ピアニスト(ドビュッシー弾きおよび研究者としてつとに有名)であるということ。
このピアニストの視点の感覚が読者としての最大の楽しみと言ってもいいんじゃ
ないか。
巻末の中条省平氏(文学系の先生で、ミステリーにも詳しい)の解説がバッチリ
決まっている。こういうのはいつも思うが読むもんじゃないんだろう。でもあんま
りトンチンカンな読み方をしていても癪なんで・・・ よくあるんです、これが。