休みには中古屋のはしごⅢ

基本音楽鑑賞のつもり。ほかに映画・本・日記的なもの・ペットなど。

吉村 昭/小説『漂流』

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20140828(了)
吉村 昭/小説『漂流』
  S55年(1980)/ドキュメンタリー小説/新潮文庫/単行本1976/中古
  <★★★★>
 

(カバー裏から) 江戸、天明年間、シケに遭って黒潮に乗ってしまった男たちは、
不気味な沈黙をたもつ絶海の火山島に漂着した・・・
これは今の鳥島のことで、12年間いかに生き延びて生還したかという壮絶な
サバイバルもの。
何かで推薦されているのを、あっいいな!と思えてすぐ探したんだけど、中古を
買い込んでから放置、そのうちどういうリコメンドだったか忘れてしまった。
多作家。初期では「戦艦武蔵」なんかが有名。
確か父の本棚にも吉村の本が一冊あって、癌を主題にした「冷い夏、熱い夏」
という箱入りの書き下ろし単行本。
読むかもと思っていったんは残したが、この冬、処分してしまったんだった。
一冊だけ読んだことがあって、娘にもらったもの。『羆嵐くまあらし)』という凄ま
じいもの。おもしろかったですねえ。誠実でドライな調子がまたピッタリで、凡百
スプラッター映画など、存在意義すらなくしそうな感じでした。(ひどい比喩!)
ドキュメンタリー・タッチの小説は(この作者だと好きでない戦争ものが多いせい
かな)読んできませんでしたが、、、
思い出した。春名徹「にっぽん音吉漂流記」。もう二十年以上も前に読んだもの
なので中身はほとんど覚えてませんが、大変な漂流とその後の活躍や運命が
描いてあった。面白く読んだことだけは記憶にあります。
その音吉という同じ名が、本小説の中の仲間として出て来たもんで連想した。
子供の時に読んだ「ロビンソン・クルーソー」と「十五少年漂流記」で決定的に
違うことって、やっぱり「クルーソー」ではひとりの時間があって、それがかなり
長いってことかも。「ヒト科」の真実が見え隠れする・・・
また、たまたま新聞で見かけたから書いてみると(ワタシ、エエカゲンですから
ね)、哲学(形而上学)の巨人丸山真男が、
   孤独に耐えてこそ近代人・・・
てなことをおっしゃった(書かれた)そうですが、、、
でも丸山先生もこの本の主役長平の置かれてしまった物理的境遇では、そん
なことは言わなかったに違いない・・・ なーんてね、
つい比べたくなってしまったが、孤独の意味が違う。
   自分で考えず、勢いに流される人間が増えると、ファシズムになりかねな
   い。だから人間はひたすらこどくに考えねばならない。孤独に耐えてこそ
   近代人。そんな近代人同士が討議を重ねる。社会を合理的に営み続け
   る。丸山の夢見た戦後民主主義の理想形・・・
               (朝日8/27、文芸時評中の片山杜秀氏の文章から)
そうですな。こういう文脈の中でしたか。当たり前です。(そうでもないかな・・・、
ウーン、、、冗談です。)
ははは。
それにこの物語は、江戸時代の「天明」とか「寛政」とかいう時代のこと。
‘近代人’じゃないし・・・ なんてこと言うのもお門違い。 わかってます。
まあ何を言いたいかというと、ヒトは完璧に独りぼっちになってしまうと、生き物
としてほぼ終わって、気でも狂うほうが当たり前。 (気が狂うのも多分生物学
的に説明できるんじゃないかなあ。)
いかにして「バカの壁」を打ち破り、いつか「バカの壁」(≒脳化社会)の中に戻
ることを夢見つつ、生き物として生き残り続けようとする! いつまでもつか。
男の、狂わず生き延びたその不屈が提示され、読む「ヒト」をして昂然とした気
持ちにさせるわけです。
色気の乏しいドキュメンタリータッチなのにねえ。
史実のみのそっけない記録しかないところから、想像力をたくましくしてここま
で具体的記述を誠実に積み重ねたわけで、つまり自分での様々な調査も猛
烈にこなした結果の「小説」なんですね。 “漂流もの”というジャンルがあるそ
うで、そこでは上位にランクされてしかるべきものなんじゃないでしょうか。
非常に映像的な印象も持ちました。
とかなんとかの下らない理屈は不要で、はらはらどきどきして読めばいい徹夜
本だと思う。こういうオモシロ本をぞろぞろ書かれた方なんだ。
ああ、面白かった。