休みには中古屋のはしごⅢ

基本音楽鑑賞のつもり。ほかに映画・本・日記的なもの・ペットなど。

対談 「虫眼とアニ眼」

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20140821(了)
 
養老孟司 対談 宮崎駿/「虫眼とアニ眼」
 ○養老さんと話して、ぼくが思ったこと        宮崎駿(カラー)
 ○「もののけ姫」の向こうにみえるもの
    対談1 1997
    対談2 1998
 ○「千と千尋の神隠し」を巡って
    対談3 2001
 ○見えない時代を生き抜く ― 宮崎アニメ私論  養老孟司
  2002年/対談/徳間書店(単行本)/中古
  <★★★★>
養老先生については、一ヶ月近く前に朝日新聞で『身体巡礼―ドイツ・オーストリア・
チェコ篇』(新潮社)という本が紹介され、面白そうだと思ったのと、PHPの「バカの
壁」の続編みたいなのがまたぞろ売れているらしいというので、、、
宮崎監督については、‘映画もう撮らん’発言とジブリの解散の話でですかね。
そんなことで頭にあったんでしょう、安い中古に見つけて気まぐれ購入。
お二人はべつに知人でも友人でもなく、あくまで徳間の企画。3回ほどの対談
プラス付録、みたいな小さい本。

養老さんの喋られる内容は、初紹介みたいな内容でもまあ想定内です。一方
宮崎さんの喋りは、思いのほか苛烈な人嫌いを主張してまして、それであんな
アニメ作るのかい!と思わせる。アニメの作り始めは、始めそんなにまとまっ
ているもんじゃなくて、だんだんと形を整えていくんだが、いろんな気に食わな
いものに縛られ縛られしていくうちに、なんとかこんなもんであろうという着地
点を見つける。その経緯に腹を立て、影響を受けたものに怒り・・・自分じゃ全
然満足しない。
特に、諦めるしかない部分が発生したときや、納得できるところとできないとこ
ろとの境目の発生にはイラつきまわる。怒るヒト!
もっとも、人嫌いにしてはなんとも盛大な‘お喋り’。

強烈な個性の出し合いで、ぶつかり合いではなくすれ違いがちだった感じでは
ありますが、どちらの主張も凄味がありましたよ。
以上。
以下は宮崎さんでなく養老さんの‘らしい’話の一部、暇にまかせて・・・
養老  自然のディテールが日本のなかでどれくらい繊細なものかというのは、
たとえばマイマイカブリの生息分布図を作るだけでも明白なんです。亜種ごと
にキレイに色分けできる。で、あるとき中村圭子さんがそのマイマイカブリの分
布図ともう一枚別の地図を持ってきて、比べてみろという。すると二枚はそっくり
なわけ。実はもう一枚の地図というのは、縄文式土器の型式による分布図なん
だけれど、それを見てわかるのは、万年単位で続いた縄文時代は、虫の分かれ
方と文化の分かれ方まで一致させちゃうんじゃないか。要するにそのくらい自然
のディテールに依存して縄文の人は生きていた、ということなんです。
  さらにカミキリムシの一種にコブヤハズカミキリって飛べないやつがいるんだ
けれど、これがやはりフォッサマグナできれいに種類が分かれている。せいぜい
近いところで200メートルくらいしか離れていないけれど、混ざらない。ところが、
ほんの狭い範囲で雑種が採れるんです。今度は、なんでそこだけ雑種がいるの
かってことが問題になる。で、それを研究している人によると、そこでかつて土砂
崩れが起きたんだと言うんですね。現代のわれわれは、そんなディテールを完
全にすっ飛ばして生きているでしょう。ぼくが乱暴だって言うのは、こういうことな
んです。でも、その細かさこそが生き物なわけ。ヨーロッパ、アメリカ型の都市は
それを徹底的に無視をする。それは飛行機から見たら一目瞭然なわけ。つまり、
ああいう文明は空から見るとルールが見えるんです。
  たとえばバンコクなんかも空から見ると実によくわかる。碁盤縞に運河が走っ
ていて、その両岸に等間隔で樹木が植えられている。人口が密集する碁盤の中
心部に近づくと、運河の水が濁ってくる。あそこに住む連中が、どういう頭で暮ら
しているのかが手に取るようにわかるんですね、この人たちだったら西洋人と話
がつくだろうと。ある意味では土地のいじり方が同じなんです。空から見るとなん
て考えずに連中は都市を作るわけだけれど、そこにはっきりしたルールが見える。
ところが田舎を飛ぶとまた面白くて、タイの田園はなんにもルールがわからない。
まさにランダムという感じで土地が切り開かれていることがわかる。
  それで成田に帰ってくると、これがなんとも言えないんですね。都市でも田舎
でもない。つまり碁盤目みたいなルールでもないし、タイの田舎とも違う。でも、こ
れはこれであるルールに従っているんだろうな、というのがなんとなくわかる。け
れど、そのルールを言ってみろ言われても言えない。それが日本という気がす
る。ぼくはあの風景を見ると、なんで日本が暮らしにくいのかが見えるような気が
するんですね。つまり暗黙のルールが幾重にもかかっていて、しかもそれは無意
識なんです。それを何百年も続けてきたわけだから、外国人が日本にきて「わか
らない」というのも当たり前だと思う。
―― その無意識のルールというのは、いまの若い人にまで伝わっているんでし
ょうか?
養老  無意識ですから、どの程度伝わってどの程度落ちているのかよくわかり
ませんが、根本的な部分はきっと伝わっているんだと思います。一律ではないけ
れど、タテに深いという気がする。
宮崎  ああ、わかります。無意識がタテに深いというのは、正しいという気がしま
す。たとえば『一杯のかけそば』ってありましたでしょう。ちょっと考えれば作為に
満ちた嘘くさい話に、みんなワーワー泣いた。ぼくは『かさじぞう』と同じ構造だっ
て言ってたんですけど、無垢であることに対する強い憧れを持っているんですね。
日夜財テクに励み人間関係のゴタゴタに追われながら、どこかでもっと無垢に生
きられないかって思っている。これは若い子もちゃんと持っている。彼らは意識し
てませんが、職場の若い連中と話すとそう感じることが多い。
養老  ぼくは、これからの筑波の学園都市をどうするか、みたいな会に出席して
いるんだけれど、出席者の中から、19世紀のイギリスの田園風景を再現しようと
いう提案が上がっているんですね。ところが、先日雑誌を読んでいたら、そのイギ
リスの田園風景がお手本にした風景を紹介していて、それがなんと山形県の農村
だった(笑)。つまり100年たってぐるっと回った。
このあと宮崎さん、強引に極論(・・・でも人類はもう滅びるのをやめたんだと思う
んです・・・)を開陳して行きますが、この辺でヤンペ。
  
養老先生の「蝶が通る道」の話や「感性」の話は、何度か読んでいたような気は
するが、やっぱりハッとしましたね。