休みには中古屋のはしごⅢ

基本音楽鑑賞のつもり。ほかに映画・本・日記的なもの・ペットなど。

“つぶやき”

5/17(土)  昨日の “つぶやき”
ケアマネージャーのMさん、定刻の14時ごろやってきた。
オフクロ、眩暈が多い、増やすことになった薬のせいだろうと、ほと
んど上機嫌で喋っている。完璧によそ行きモード。
  (もっとあるだろ!)
家の中では、ワタシにはヨロヨロしているとしか見えないが、外の人
には存外しっかり歩いていると見えるらしい。
  (50mも歩けば休まざるを得なくなるんで、車いすは常に出しや
   すく用意しているが、このケアマネさんわかっているのか・・・)
猛烈な量の薬(心臓に関するものが大半)を、先の一週間のために
細かく分かれたプラスティックのケースにきれいに整理し、一緒に
チェックのノートも付けている。近いものは特に見にくいはずで、か
なり間違いも犯しているだろうが、手伝ってはいないので不明。それ
でもあそこまでやっておれば、ちゃんと見えていると思うだろう。
  (「いやー、このバアサン、ぜんぜんぼけてけえへんやん」と、思
   うだろうな)
耳も大いに怪しい。だが聴力だけはよくわからない。カミサンが聞こ
えよがしに嫌味を言ったりしているのは、実は聞こえているんじゃな
いかと気になることしょっちゅうだ。とはいえ、よくテレビの音量を上
げてくれと要求したりもする。
あの佐村河内氏の例もあるように耳は‘知らんふり’がしやすいか
ら聞こえているかどうか実際のところよくわからない。まあその手の
嫌味は聞こえることもあるが聞こえていないことのほうが多いという
のが本当のところだろうか。
  (大半聞こえているとしたら、相当な自制心だヨ。)
こんなことだから、ケアマネには、介護度がつく対象には見えない
ままなんだろう。“要支援”のままで、その度数も低い。
「我々夫婦がいることだし、自分でできることは目いっぱいさせれば
いいのヨ」と毎回メモっているだろうなぁ、このケアマネオバサン。
もっと‘歩けない’‘見えない’‘聞こえない’‘覚えていない’ふりをす
ればいいのにと話し合うことがある。でも、やっぱり自分はここまで
できるのよ!というところを見せたい自尊心虚栄心などのタイプの
気持ちがでてきてしまうらしい。
「いや、でも・・・」と反論することはしていない、それでいいのだろう。
そういった心理は生きる意欲に深くかかわっている部分だろうしね。
ほぼすべてを放り出して実家に戻ったわれわれ夫婦だが、それなり
に事情はあって、もう少し動きたい。他人の支援を少しほしい。
  (急には変わらんだろうが、もう少しボケたヨイヨイヨレヨレのオバ
   アサンを演じてくれてもいいんじゃないかい・・・)