休みには中古屋のはしごⅢ

基本音楽鑑賞のつもり。ほかに映画・本・日記的なもの・ペットなど。

リチャード・リオ/「地の果てに住む」

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20140508(了)
リチャード・リオ/「地の果てに住む」
  Edges of the Earth
  A man,a Woman,a Child in the Alaskan Wilderness
  by Richard Leo
  野田知佑/訳
  第一章  ここはアラスカだ!
  第二章  さらばニューヨーク
  第三章  深い雪の中で暮らしたい
  第四章  これが果たして普通なんだろうか?
  第五章  僕はアメリカ最後の開拓民
  第六章  何事も最初が一番辛いものだ
  第七章  見てごらん、窓の外を!
  第八章  ぼくたちは氷河で静かに別れた
  第九章  一九八七年夏のある日
  第十章  今僕がアラスカで思うこと
         訳者あとがき
  1994年/ドキュメンタリー/単行本/飛鳥新社/中古
  <★★★★△>
著者;リチャード・リオ 
     1952年、シカゴ生まれ。ハーバード大学卒業後、作家主業を
     しながらニューヨークで働く。81年、行きづまりを感じていた仕
     事を投げ捨てて、一路アラスカに。一番近い街タルキートナ
     からも70キロ離れた、美しくも過酷な原野に暮らす。著者の
     リオがそこに住みついてから、かれこれ10年になる。
先日読んだ‘キャプテン・クック’も、2回目の航海では南極圏に、3回目
では北極圏に踏み込んでいた。
デカイとはいえあんな帆船でもって、氷山のシーンとした海へ突入して
いき、南極大陸のほんのすぐそばまで行っていたのに、ついに見つけら
れなかったんだった・・・
この本のカバーを見たら、氷河とその前に広がる氷に覆われた水面。
おお、今度はこれだな! 極地つながり。 リアルなドキュメンタリー。 
さてさて、カバー写真は星野道夫のもの。本の中身は、アラスカはマッ
キンリー山にほど近い過酷極まりない原野に家族と住み着いた男が書
いた。
翻訳は野田知佑カヤックを操るエッセイスト、自由人)。まだお元気に
しておられるだろうか。アラスカに関してもたくさん書いてこられたなあ。
もちろん野田さんの名を見て、手に入れていたもの。
1994年の時点で10年になると書かれているから、まだ居るとすれば30
年たっていることになるが、果たして現在はどうか。
ともあれ、はじめのほうにこんなのが出てきてね、こらぁきつい。
身重の奥さんに、身勝手にマッキンリー山に登りたいと言い出して・・・
    歩きながらメリッサに聞いた。「なぜ登るか、わかってもらえた?」
    「理由なんかどうでもいいわ」と、ぼくの後ろで彼女が言った。玩
   具のソリを足で蹴りながら進ませていた。
    「どうでもよくないよ」
    彼女はしばらく黙りこくっていた。もの憂げな感じでゆっくり羽ば
   たいていた二羽のカラスが突然、ぼくたちの真上で横に大きく一回
   転した。自由でおおらかなジェスチャーに思わず笑った。だがメリ
   ッサは笑わない。「何かを『証明』するためじゃなさそうね。でもそれ
   はいいの。それより、あなたがわたしたちの生活を二の次にして―」
    「そんなことはない」 ぼくは遮って言った。「ぼくたちの生活のた
   めに探検するんじゃないか。将来、きみとぼくと息子と、もしくは娘と
   一緒に、この界隈をくまなく旅行するためなんだ。その時のための
   下調べだよ。もし下調べを――」
    「わたしの話はまだおわってないのよ」
    ぼくは沈黙した。
    「あなたの愛情はわかるけど、わたしがただ夫の言いなりになっ
   てる気がして、それが嫌なの。協力しあう同志だという意識を持ちた
   いのよ。ここに来たのもあなたの夢だったからだし、まるで修行僧み
   たいに普通の生活を捨てたのも、あなたがそれに魅かれたからだ
   わ。わたしは山に登らずに留守番なのよ」
    ぼくは返す言葉もなく、しばらく無言で歩き続けた。・・・
結局奥さんはひとまず許して準備までやってくれるんだがね。このあと
いったい何度ぶつかる! はぁ。
邦題「地の果てに住む」はいい訳だ。それだけでとてつもない無謀感が
臭う。単純な冒険譚であって、出会う困難は予想がつく。そりゃ、気候と
家族の問題に収斂される。解決方法はあくまで遠い。あるいはほぼない。
ジャック・ロンドンを読み返しても何も解決策は書いてない。(筆者は実
際読んだみたいだった。本はたくさん読んでいるかたやね。)
特に奥さんとの関係や会話のヒリヒリした感じがなんともリアル。と書け
ばまあわかるよね。
そういうことです。
“それ”もこの本の本質・・・
さて、こんな超辺鄙なところに住むことにした理由、意義、意味を読者と
して納得するのもやさしくなかったんだけれど、確信できたように思えた
ことの一つは、アラスカの奥地の神々しいまでの美しさ。言動にいろい
ろと賛同しにくいところもあったものの、これだけは信じていいんじゃな
いかと。実際に見てないくせにさ、幾度か粛然とさせられちゃった。
(もっともワタシはオーロラなんぞ見たくもない人間ですけどね。)
それから、大正解だったこと。野田さんの訳文がいいのです!
以下は訳文じゃなく訳者あとがきの一部。厳しい。野田さん自身が濃く
出ている気がする。
    ・・・
    北米の男には「マウンテン・マン」願望の伝統がある。マウンテン・
   マンというのは登山とは関係ない、「森の中で一人で住む男」とい
   う意味だ。 
    都市生活、文明生活に嫌気のさした人間、失恋、離婚、挫折した
   人間が山奥に入り、銃とオノを頼りに一人で暮らし始める。二、三
   年経つとたいていの者は再び都会に帰っていくが、残った者は本
   当の「アラスカ人」「ノザナー」(北の人間)になる。
    みんなひとくせもふたくせもある古強者だ。彼らに共通したもの
   は一つ。
    「誰にも命令されない生活を守る」
    「自分の人生を完全に自分で支配して生きること」
   という哲学だ。
    彼らに共通した性格は
    「自立心の強いこと」
    「孤独に強いこと」
    「一人で山の中にいても退屈しないだけの思考力と、自然に対
   する好奇心が強いこと」
    ――等々だ。
    荒野の中で夫婦がうまく生活していくためには二人、または片方
   が相手に合わせていく必要がある。二人が異なった「こだわり」「価
   値観」を持ち、譲り合うことをしなければ別れるしかない。訳者には
   この本の主人公は「神経質過ぎる」ように思える。もっと多くのもの
   を許したり、肯定して生きなければ、「共同生活」または荒野の生
   活は成り立たない。 ・・・・・・
さてさて、、、どうですか。このさっくりとした文章。
このかたの日本語が素晴らしいことはずっと前から意識してまして、読
んだどの本でも共通していた。今年始めの本の処分からは、この人の
本は全部外した。文章云々じゃなく、単純に愛着があったからという理
由でしたけどね。
5/9(金) 新聞に載っていた雑誌BE・PALの広告がたまたま目につき、
載ってました、野田氏の名が。なんかね、元気が出た。
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