| |
| 表紙の絵は梶井基次郎「檸檬」の章につけられているもの。なもので、カバー |
| 裏の惹句は、こんな風になる。 |
| |
| 檸檬を一顆、美術書を積み上げた上にそっと置いてきた梶井基次郎のあと |
| をたどって描く京都河原町丸善の面影。樋口一葉「たけくらべ」の吉原大門 |
| あたりから幸田文「おとうと」の向島まで、こよなく読書を愛しむ画家が描く |
| 小説の舞台。懐かしい日本の三十六の風景をスケッチとエッセイで織りな |
| す珠玉の画文集。 |
| |
| どの絵も安野画伯のものとすぐにわかってしまう絵36枚は、もともと好きだか |
| らということもあるのだろう、どれも素敵で見飽きないが、正直に言えば、恥ず |
| かしいことに、エッセイのほうをより楽しんだかもしれない。 |
| なんたって、古典はおろか、近代の小説や著作についてもろくに読んでいない |
| 無教養な人間だから、中身のイメージがさっと湧く短いエッセイがなんとも「美 |
| 味しい」と感じた次第。 |
| |
| その「檸檬」のところでは、 |
| 「多読多読 芸術家に教えて貰わなければ吾人は美を感じる方法を知らない |
| から」 |
| と、これは梶井が友人にあてた手紙の一節だそうで、安野さんは梶井からそ |
| んなふうに教わったんだよと書いている。ともかく安野さんの多読も間違いな |
| いところで、ワタシも教わって実行したいところだけれど、まあ無理。 |
| |
| 呉 秀三/『シーボルト先生』 |
| 幕末を語る歴史の本には、かならずといっていいほど、長崎の出島の |
| 図が載っている。 |
| そこは扇型の人工島で、ざっと四千坪、その中にいわゆるオランダ屋 |
| 敷が並んでおり、倉庫、事務所、住宅、番所の他、小公園や野菜園など |
| もあって、小さな世界をかたちづくっていたという。 |
| 島と陸とは監視人のいる橋で結ばれ、出入りの許可はひどく厳しかっ |
| た。 |
| 時の政府から見れば、切支丹の布教をおそれての、苦心の策であった |
| と思われる。 |
| やがてオランダだけが、鎖国の例外となり、出島はオランダ人の居住 |
| 区となったが、それでもかれらから見れば「国立監獄」の観はぬぐえな |
| かったらしい。 |
| シーボルトが出島のオランダ商館付属医として来日したのは一八二三 |
| 年八月十一日のことであった。『シーボルト先生』(平凡社)には、その日 |
| こそ、「我日本研究の偉人、我日本学会に導者として恩師として恩恵の |
| 少なからざるシーボルト先生がその功業を遂げ、その実徳を施さんとし |
| て我邦に臨みし最初の日なりしなり」とある。 |
| わたしは、あこがれの地であったその出島へ行ってみた。もちろん、扇 |
| 型の島の面影はなく、完全な波止場になってしまっていたが、そこからス |
| ケッチした長崎の姿は、いまもシーボルトの記すところと変わらなかった。 |
| 「船より望めば如何にも佳絶景色(ヨキケシキ)なり。前を飾るには緑最深 |
| き岡と耕されたる山背(ヤマノセ)とありて、その後には青き連山の頂き、は |
| つきりと空に隈どられたり。(中略) 特に貴人の家居かと思われし白く美 |
| しき建物がそこら住民の土蔵なりしは我等が心を惹きたり」 |
| というのである。 |
| シーボルトは医師であるだけでなく、政治、天文、博物等に通じた百科 |
| 事典的知識人であり、日本に来てしたことは、いまの言葉でいう一大学 |
| 術調査だったが、なかでも病人の治療や医学的指導は、漢方の域を出 |
| なかった日本の医学界にとって、じつに目をみはるべきできごとであった。 |
| だからシーボルトには、出島の禁制がゆるめられ、その医術を学ぼうとす |
| る者は日々に多く、名声をしたって治療を請うため、かれの通り道に坐り |
| こむ者があとを絶たなかったという。 |
| 江戸幕府の天文方兼書物奉行、高橋作左衛門景保は、シーボルトの |
| 学識に心酔し、その学問を未来の日本のために、できるだけ多く吸収し |
| なければならぬと切に願う一人であった。そのためシーボルトの持つ貴 |
| 重な学術資料と引き換えに、国禁を犯して日本地図を渡し、はからずも |
| 発覚した。歴史は、あまりに無情に、日本学術の恩人を幽閉する。世 |
| にいうシーボルト事件の端を開いたのだった。 |
|
|
|
| この文庫本、安野さんの教養も楽しいのだが、影響を受けてその気になって、 |
| というふうな感じで、ところどころ(上記引用は違う)創作的なのが、さらに楽し |
| い。実際は創作というのともちょっと違って、中身に触れていたんじゃ大変だ |
| から、自分のことに置き換えてみりゃあ書くのも簡単だろうと考えたらしい。 |
| |
| 脱線する。 |
| ワタシなんぞは戦後間もなく生まれた世代で、受けた教育ではすっかり文語 |
| 文なんぞ駆逐されてしまっていて、戦前までの小説(あるいは書かれたもの |
| 全般)がいかにも遠く感じたし、どんどん遠のいた。時の年寄りはみな感づい |
| たが、口出しはしても影響力はなかった。山本夏彦翁の激烈コラムも、読ん |
| でオモロイが、すでに遠吠えだった。妙にのっぺりした言葉が残された・・・ |
| 今の日本語を読んで調子よく感じさせるのは至難の業なんじゃないか。物書 |
| きはタイヘンだ。現代日本語でアチラのオペラを鑑賞する気色悪さをつい思う |
| ね。詩人や歌詠みが、意識しているかどうかしらんが、文化のようなものを引 |
| き継いでいる。 |
| こういうような文化の(破廉恥な自主規制による)途切れ方って、おそらく世界 |
| にも例が少ないのじゃないかしらん。 |
| 気にせず、わからずともよいからどんどん読めばよかったものを、長じてのち |
| 受験戦争のせいだったなどとぬけぬけと逃げ口上してしまうことたびたびだっ |
| た。ワタシアホやねえ。 |
| |
| そうそう、音楽のこと。小林秀雄の「モオツアルト」のところで、画伯の音楽の |
| 好みがわかった。モーツァルトは大好きなんだけれど『・・・だが私はまだ、ベ |
| ートーベンの信者であることをやめるわけにはいかない。』 |
| 画伯の(もともとそうだとは思っていたが)気骨のようなものがちょろっと見え |
| た気がした。 |
| |
| 誰もが描けそうな、でも真似できない独特の淡い色彩の絵と、そのもとになっ |
| た文章を一つだけ引き写させてもらいました。絵はすべてこの本用に取材し |
| てさらさらーっと描かれたんだって。 |