このオッサン俳優、いったいどんな本を読んではるんやろう、くらいの軽い気持ち |
で選択。 |
そうですよ、あの俳優さん。 |
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公けに文章はほとんど出されていないようなので謙遜しておられるが、至極まっと |
うで平易な文章。本のヴァラエティはかなり広い。やわらかい感性の読書家。 |
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ワタシのような幼稚な感想文タイプじゃなく、うんと自由なもの。 |
そうだよなあ、こういうのでいいんだよ・・・ |
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中にね、芥川比呂志さんのエッセイ集への言及があって、山崎さんの師でもあっ |
たらしい。エッセイは何度も読みこまれていたよう。 |
なぜかハードカバー(箱入り)のエッセイ集を2冊、ワタシも持ってまして、気に入っ |
ていたのでずっと実家の本棚にだけれど置いていた。それを今回の引越し騒ぎの |
際、多くの書籍とともに処分してしまった。 |
もう読むこともあるまいと思ったからこそそうしたけれど、こうやってうまく紹介され |
ると、ああシマッタという気持ちになっちゃって・・・ そんなんばっかりですわ。 |
そんな気持ちになる必要ないじゃん!!! 未熟者です、ハイ。 |
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演劇に関係していると話は深いが、そうでないものでも、あのオッサンがすぐそば |
で、あのお顔でもって、ぶつぶつセリフを呟かれているような感じになって、なにや |
らオモロイ。 |
イメージとぴったんこ。それもよく楽しんでおられるようなのがいい。 |
ワタシだと選びそうもないようなジャンルで、読んでみたいと思う本がいくつもあっ |
た。(上記芥川比呂志のエッセイは丸谷才一編で講談社文芸文庫から。タイトル |
は「ハムレット役者」。文庫にしては高いが、これは再読用に控えておきますか。) |
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(附) |
先般ガンで亡くなってからだけれど、他の書評なんかで気になっていた佐野洋子 |
さんの本に関するもの、ちょっと長いですが・・・ |
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×月×日 |
佐野洋子の六年間の日常を記したエッセイ集「役に立たない日々」(朝日新 |
聞出版)は、ほとんどの章が「目が覚めた」で始まり、「寝た」で終わる。著者は自 |
ら、バアさんの私、と言っている。そろそろある日「目が覚めない」こともありうると |
どこかで考えているのか。「寝たのあとに「覚めた」が来るのがそれほど当たり前 |
のこととは思えなくなっているのかもしれない。 |
冒頭に「六時半に目が覚めた。目が覚めるととび起きる人がいるそうだが、信じ |
られない。起きて何をするのだろう。枕のあたりをバタバタたたいて手にさわった |
本」を「うとうとしながら読む」。そのうちに「また寝てしまった」とある。それが日々 |
の習慣らしい。僕とおんなじだ。 |
僕はたいがい八時か九時に目が覚める。よろけたりつんのめったりしてカーテ |
ンを開け、小便をし、また寝床にもどる。世の中の人は働いている時間だな、と思 |
いつつ、ゆうべ寝入るまで読んでいた本の続きににかかる。とろとろと三、四時間 |
夢うつつ(比喩でなくホントに夢とうつつがごちゃまぜの半ぼけ)の状態でいるうち |
に腹が空いてきて、しかたなく起きる。これがここ何十年かの僕の正規な午前の |
過ごし方である。 |
しかし僕の場合、ずっとそのぐうたらな生活を続けるわけにはいかない。時には |
働かないと生きていけない。起きて何をするのだろう、信じられない、には同感な |
のだが、仕事柄、朝は早いのだ、とび起きなければならない。 |
ある朝、洋子さんはまずカーテンを開ける。ベッドの中から足で開ける。おしっこ |
がもれそうだが、めんどくさいからがまんしてボーっとする。本を読むが、前向きに |
生きる立派な人ばかり出てくるので、落ち込む。それから「落ち込むのにあきたか |
ら、がまんしていたおしこをしに行った。もう止まらない。実に長いおしっこが出る。 |
たらたらたらたらいつまでも出る。もう終わったかなと思って、ちょっといきむと又、 |
たらりたらりと出て来る。たらたらでもおしっこが出ることはありがたいことだ。一度 |
どれ位の量が出るかはかってみたい」と思ったりする。おしっこは誰でもするし、歳 |
をとれば皆たらたらになるが、それをこんな風に書く女性はめずらしい。そうなん |
だ、もうおわったかなと、ちょっといきむんだ。そして彼女はそのままの姿勢で、思 |
い出に耽る。子供の頃、庭にしゃがんで小便をした時には、地面に穴が開くほど勢 |
いがあった。蟻の巣めがけて発射すると蟻がその穴のおぼれて、本当に嬉しかっ |
た、こっそり快感に酔っていたら兄にみつかり、「どけ」と蟻の巣を横取りされてしま |
った。兄は半ズボンからチンチンを出してシャーっとやった。「兄は十一歳で死んだ |
から、かわいそう。もっと沢山蟻の巣みつけて、小便かけさせてやりたいと、六十 |
五のバアさんの私が、水洗便所に座ったまま思っている。」 |
洋子さんの語り口は奔放で生き生きしていて、ほれぼれする(いつも人名は敬 |
称略にしているのだが、今回は自然に「洋子さん」になってしまった。むろん一面 |
識もない)。 |
途中、「ガンになったので、髪の毛がメリメリと抜ける」とあり驚く。 |
朝起きると、ガムテープを手に巻き、膨大に抜けた毛をペタペタはりつける。達 |
成感があってこういう作業はきらいじゃないから毎朝ペタペタやっているが、さす |
がに「私しゃもうあきた」とマルコメミソの坊やみたいに丸坊主にしてしまう。する |
と10円玉大のハゲが現われる。昔、弟に髪を引き抜かれた跡で、自分が彼のお |
かずを「食っちまった」(洋子さんは「食う」と書く。実感がある)のが原因だった。 |
弟は涙を流し、ごはんを食っていた、さぞ口惜しかったろうと、六〇年を経て、彼 |
女は泣く。 |
ガンになってもこの人の独自の日常は揺るがない。入院中も毎日、家にタバコ |
を吸いに帰る。「どんなヘビースモーカーでもガンになるとやめるらしい」が、「フン |
そんなに命が惜しいか」と肚を据えている。「命を惜しみたくない」と書きつける。 |
お金がなくなったらあげるわよ、という老女が出て来る。彼女は、こんなに幸せ |
な晩年が来るとは思わなかった、と明るい。とてもいい感じだ。身につけたもの、 |
ついてしまったものを捨てる。捨てる勇気を持つ。それがよく生きる秘訣なのだと |
あらためて思う。 |
木々の葉っぱ、地面、雪、「自然っていつだって、ストリップだなあ」と呟き、身を |
曝して生きる洋子さんの気迫と品格に打たれる。「この先長くないと思うと天衣無 |
縫に生きたい、思ってはならぬ事を思いたい」が印象的。 |
もう一つ、認知症の母親との会話。「母さんも九十年生きたら疲れたよね。天国 |
に行きたいね。一緒に行こうか。どこにあるんだろうね。天国は」 「あら、わりとそ |
のへんにあるらしいわよ」 |
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佐野さんの本は他にも紹介されている。死と直結した内容のものとして。 |
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人はそれぞれ持っているストーリーが違う、作るストーリーも違うのだから、押し |
付け合ったり、認めるのを拒んだりしてもしゃーない!というスタンスがあちこちに |
見られる。その自由で柔らかな感性が心地よいと思わせるところがありますね。 |
それから役者やタレントなどという虚業に従事する人間が多すぎちゃいけないよ、 |
ということも、山崎さん、よーくわかっておられる。 |
アクの強い顔に似合わず[!]すてきなオッサンです。映画やドラマで見ていただけ |
で、どんなかたか全く存じ上げなかった。そのいくばくかをはじめて知った。 |
(自分のことを「僕」と書かれている。確か親父もそうだったなあ。いまどきは自分 |
を僕と言ってもそう書くやつ、いるんだろうか。どうでもいいけど、ワタシの周りには |
いない。ワタシは大学生頃からは僕と‘書かなくなった’ように思う。) |
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読書日記ないし感想文なのであって、書評なんかじゃないし、‘ブック・レヴュー’ |
なんてしゃれた代物でもない。(自分のものだってそう。) |
だいたい、でも読書感想文を面白がるって、どういうことなのかなあ。代わりに読 |
んでもらって、その本のことを知ろうとしてるわけじゃない。それはまあ書評やブッ |
クレヴューのお仕事だからね。じゃ、感想文は? そりゃ興味の対象は感想文の |
書き手のほうだよね、たぶん。 |
とすると、このメモ、そもそも立ち位置がちょっとヘン・・・ |
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