休みには中古屋のはしごⅢ

基本音楽鑑賞のつもり。ほかに映画・本・日記的なもの・ペットなど。

ラヴェル&ドビュッシー:管弦楽伴奏付き歌曲 他

20251027(了)

ブーレーズラヴェルドビュッシー

管弦楽伴奏付き歌曲 他

ラヴェル 1875-1937
(1)歌曲集《シェエラザード ①-③ 17:16
(2)クープランの墓 ④-⑦ 17:44
(3)亡き王女のためのパヴァーヌ ⑧ 6:38
(4)古風なメヌエット ⑨ 7:20
ドビュッシー 1862-1918
(5)神聖な舞曲と世俗的な舞曲 ⑩-⑪ 10:17
(6)噴水(《ボードレールの5つの詩》から第3曲) ⑫ 5:50
(7)フランソワ・ヴィヨンの詩による3つのバラード ⑬-⑮ 10:04
 
   アンネ・ゾフィー・フォン・オッター(ms) ①-③
   アリソン・ハグリー(s) ⑫-⑮
   クリーヴランド管弦楽団
    指揮:ピエール・ブーレーズ
   録音:1999年4月&5月、於クリーヴランド 76:05
   2002年/CD/クラシック/管弦楽&歌曲/ユニバーサルM/Ⓟ2002ドイツグラモフォン/中古
   <★★★★>

 

ブーレーズのアルバム、再聴&再メモ。
少し前にアップしたヤナーチェクの歌劇『死者の家から』のDVDの指揮者だっ
たことと、読んでいる作曲家藤倉大の早すぎの自叙伝の中でしばしば出てくる
(コミュニケーションが興味深い)超ビッグネームであることから、何か聴い
てみるかと発想して、現代音楽でないこれを(いたって安直に)選択。
探したら8年ほど前にアップしてました・・・
 
早い話が、そんなに違わないんですけどね。
でもまあ、まとめてみると、、、
 
管弦楽だけの分が、クリーヴランド管のあまり多くないホールトーンの割には
こんなに暖かさを感じさせてくれてたじゃないかってことが一つかな。音がい
い!オケがうまいってこともあるけれど、テンポも関係あるかも。思ってたよ
りみんなちょっとゆっくり目に感じたのね。聴く前はそうは思っていなかった。
それがなんとも落ち着いた音楽の運び具合。
ラヴェルはもっと前に、ニューヨーク・フィルなどのセットもので聴いていた
はずなんだが、そんな印象はないですね、みんなこざっぱりした感じだったか
なぁ。これも、大好きな「クープランの墓」だけでも(いつか)比べてみるか。
「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」はこんな曲、ブーレーズさんとりあげてたんや
ねぇ、珍しくない?なんて今回は思いましたが、感じは上記と同じ。
 
もう一つは、(1)(6)(7)のオケ伴歌曲が、車の中ですが最高!
歌詞は今回ザァーっと目を通して、やっぱりワタシは詩はダメだなといつも通
り思ったんだけれど、すばらしいオケ伴と共に聴いていると、なんだかすごい
熱唱でね、不思議に熱くなりましたよ。歌詞を「見た」程度だから、ロクに意
味も分かっとらんくせに・・・不思議でした。いつも、音としてしか聴かない
のに、どうやら感情面にもまぐれ風に影響があったらしい。
それと、「シェエラザード」が、いい曲じゃん!(馬鹿か!と言われそう)
シェエラザード」序曲というラヴェルにしては面白くない曲があって、あの
感じでオペラにしなかったのは正解かもしれない(そんなことない!)ものの、

この歌曲集の管弦楽の部分はスバラシイと思うけどね。これがオペラに発展し

ていたら、どうなったろう。

 
ブーレーズの昔の手兵ドメーヌ・ミュージカルの録音は、CDでまとめて聴くこ
とができましたが、アンサンブル・アンテルコンタンポランとの録音は、まと
まったものが出てるんでしょうか。安けりゃほしいですが、そんなもん、今は
YouTube なのかな。
この録音当時、ブーレーズさんは70代の半ば。藤倉大さんの自叙伝では80歳の
時もバリバリ仕事をしていたそうだから、この録音時は元気も元気だったろう
し、よく知られていた明晰さが存分に発揮されていたろうということからする
と、この録音からワタシが受けた印象とはちょっぴり矛盾する気もしましたけ
どね。嬉しい矛盾ということで、、、
そうですね、いろいろあったんですが、せっかくだから、その本の中で、藤倉
の自伝の「博士課程」関連のところで、フーンと思ったある短い箇所を載せて
みましょう・・・

 

 ・・・つまり現代の作曲家にとって、メロディとは「普通に歌える、いいメ
 ロディに乗っけて盛り上がる音楽、書けばいいんちやうの?」というわけに
 いかない、大きく悩ましいトピックなのである。 
  そこで、その時のジョージ(ジョージ・ベンジャミン)のレッスンから、僕は長
 いライン(断片ではなく息の長いなかなか途切れないメロディ)を意識して
 書くことにした。
  実際、ブーレーズの作品もメロディアスなのだ。だが、ブーレーズのメロ
 ディは、夥しい数の音の裏に上品に隠されている。聴く者が耳を澄まし、神
 経を研ぎ澄ませなければそれらは聞こえない。音の波が荒れ狂い、吹き荒れ
 る嵐の中心に、1粒、美しく官能的でさえある宝石のようなメロディがいる。
 ブーレーズはそれを簡単には提供してくれない。感じたかったら良い耳を持
 たないとダメだし、その上、努力が必要だ。 彼は、それこそが芸術を堪能す

 る姿勢だろう、と言わんばかりだ・・・   

              (後日紹介するつもりの藤倉大の本、第20章から)

 

これじゃブーレーズの自作曲も聴かなくちゃならなくなります。考えよ。

「オシマイ」向きじゃありませんでしたね・・・ でも、おしまい。