| 20250822(了) |
| リヒャルト・シュトラウス; |
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(1)『影のない女』から交響的幻想曲 ①21:54 (1946) |
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②-⑦47:06 (1898) |

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ウィーン・フィルハーモニー |
| 録音:2002年9月、ウィーン楽友協会大ホール、ライヴ Tot.69:13 |
| CD/クラシック/管弦楽曲/Ⓟ&Ⓒ 2003 ドイツグラモフォン/輸入/中古 |
| <★★★★> |
| しばらく前にメットの『サロメ』の映画の鑑賞記をアップした時、おしまいに |
| 書いた通りで、「ヘェー、こんな曲あるねんなぁ」と思ったのがきっかけ。 |
| 超名作ぞろいのR・シュトラウスの管弦楽曲の中にあっては、名作扱いにはなっ |
| ていないようだけれど、ちゃんと聴いてみたいじゃないですか・・・(じゃない |
| ですか、なんて言葉遣いは我ながら気にくわない、自分じゃまず使わないけど |
| ね、まぁ、そういう感じです、ハハハ) |
| (1)歌劇としてはホーフマンスタールとの共作で、台本としては難解なんだそ |
| うです。ちょっと変な話。小説もあるとのこと。大雑把なストーリーは・・・ |
| 東洋の島(々)に住む皇帝は、霊界の王の娘と結婚している。皇后である彼 |
| 女にはどういうものか影がなく、不幸にも子供ができない。さらに、影を持 |
| たぬ呪いで皇帝が石になっちまう。それを嘆いて、皇后は貧しい染物屋の女 |
| 房から影をもらい受けようと図るも、彼女は他人を犠牲にしてまで影を得よ |
| うなんてと、手に入れることを止めてしまう。ところが、その精神の尊さゆ |
| えに奇跡が起こり、皇帝は石から甦り、彼女も影を得て人間になる。 |
| めでたし・・・と、愛と自己犠牲による救済の可能性(など)を暗示はする |
| ようなんだが・・・、子供はできるの?(そこまでは書いてない) |
| これだと、ほとんどファンタジーふうで、難解ってこともない。おそらく扱い |
| が重たいんだろうな。音楽からも「難解」とまでは感じなかったけれど・・・ |
| はじめに、ズドドン!ズドドン!ズドドン!と3発、重たいオープニング音 |
| がしてからは、エンディングまで、徐々に徐々に様々な音楽が取り込まれる |
| ように広がってゆく感じ。おしまいには相当派手に盛り上がる。 |
| 始めほうでは、次の『英雄の生涯』のフレーズに似たものが聞こえたと思い |
| ます。そもそも『英雄の生涯』と言えば、自身の他の管弦楽曲がちらちらと |
| 引用されるのが特色の一つなんで、ここじゃあその『英雄の生涯』からも引 |
| 用してる(と思う)なんてね、オモロイ。 |
| いや、ワタシが知らないだけで、他にももっと引用はあるかもしれない。 |
| そうそう、おしまいの方では、『ツァラトゥストラはこう語った』に似てる |
| なぁ、と感じさせるようなサウンドもありましたっけ。 |
| 聴いた回数がまだ十分じゃないので、好き!とまでは言えないものの、これ、 |
| ちゃーんとリヒャルト・シュトラウスしてます!(82歳の時の作曲!) |
| かの吉田秀和が、ちゃんと丁寧に聴けば、オペラの楽しみに満ちている、な |
| んておっしゃったらしい。この交響的幻想曲について何か書いておられたか |
| どうかはわからない。 |
| どうだろう、取り上げる指揮者が多くなれば、人気も出るんじゃないかなぁ。 |
| やっぱり地味かなぁ。長さも20分強だし、きっと扱いやすいんじゃない。 |
| (2)『英雄の生涯』の方は、つまんなければ何も書かないでおくか、なんて、 |
| ちらっと考えたんですがね。 |
| 結果、さすがウィーン・フィル。なんで「さすがティーレマン」じゃないん |
| だ、と言われそうですが、演奏が、なんというか、立て板に水(≒誰が振っ |
| てもこんな感じ)なんじゃない?なんてね。行き届いた演奏ではあって、失 |
| 礼だけど、ライヴとしては緊張感は十二分にもかかわらず、ちょっとおとな |
| し目に感じられ、特別な個性とまでは思えなかった。 |
| いくつもある盛り上がりは、オケも乗って素晴らしかったけどね、だいたい、 |
| 曲自体が面白いんだし。ウィーン・フィルが演ってヘンになるわけがない。 |
| 若干気になったのは、録音かな。ワタシの再生装置のチープさをさておいて |
| おこがましいですが、全体的に広がりがもう少し欲しいかなーという程度。 |
| なに、決して問題ってわけじゃありませんでしたけどね。 |
| そんなことで、何も書かないのと同じかも。 |
| やっぱり、『影のない女』を聴くべき録音、でいい気がする。 |