| 20220908(了) |
若 冲 /澤田 瞳子
| 鳴鶴 |
| 芭蕉の夢 |
| 栗ふたつ |
| つくも神 |
| 雨月 |
| まだら蓮 |
| 鳥獣楽土 |
| 目隠れ |
| 解説 上田秀人 |
| 2017年/時代小説/文春文庫/単行本 2015年 文藝春秋/中古 |
| <★★★★> |

| <ネット通販の惹句>から: 緻密な構図や大胆な題材、新たな手法で京画壇を |
| 席巻した天才・伊藤若冲は、なぜ奇妙な絵を生涯描き続けたのか――。 そし |
| て、彼の精巧な贋作を作り続けた男とはいったい!? (略) |
| 商売にはまったく身が入らず、絵を描くことに打ち込む源左衛門(若き日の若 |
| 冲)。一方、義弟・弁蔵は姉をいびり殺した枡源の人々と、そもそも胸の裡を |
| はっきりさせない若冲に憎しみを隠さない。 しかしそれに構わず、若冲は妹 |
| の志乃と弁蔵を縁組させ、家を継がせようと言い出す。 それに怒り狂った弁 |
| 蔵は、若冲が妻を亡くして以来描き続けた絵を見て驚愕するのだった。 以降、 |
|
絵の道にますます入りこんでいく若冲と、彼を憎むあまり贋作を生み出すよ うになった弁蔵。 |
| 二人の奇妙な関係は若冲の名声が高まるにつれ、より複雑になっていく。 池 |
| 大雅、与謝蕪村、円山応挙、谷文晁ら当時の京画壇、王政復古が望まれつつ |
| あった政治的状況も織り込みつつ、若冲が生み出していった作品の深層にせ |
| まった意欲作。 |
| どれだけ史実が入っているのか、ほとんどわかりません。 |
| でもどうやら人物名や相関図以外には、細かいことはあまりわかっているこ |
|
とはないんじゃないか、と想像します。 |
| ということなら、あの絵は一体どういう状況や流れから出来上がったのか。 |
| この物語は作者の想像力の賜物なんでしょう。 |
| 京都の錦高倉市場にある青物問屋枡源の主(源左衛門/茂右衛門/若冲) |
| は絵にうつつをぬかしていて、嫁三輪の苦しみを理解してやれず、自死に追 |
| いやってしまう。結果、そのことを常に気にはしつつも、ますます絵にのめ |
| り込み、逃避する。 |
| そこに嫁三輪の弟弁蔵が、恨み骨髄の状態で絡んでくる。 |
| 源左衛門は、腹違いの妹お志乃を弁蔵に娶らせ枡源の主に据え、自分は隠遁 |
| するなんて案も出したりするが、内輪の不興を買うばかりでなく、弁蔵の怒 |
| りの炎に油を注いでしまう。 |
| 弟に家督を譲って結局40歳で隠遁し、本格的に絵の世界に没入する。その |
| 際お志乃が世話係になる。 |
| 決して華やかなんかではないものの、当時の綺羅星のごとき絵師たちの名や、 |
| その一部との交流を挟みつつ、案外友に恵まれつつ、、、しかし極度に人嫌 |
| いな本人は贖罪の意識と共に殻に閉じこもって激しく悩みつつも、絵師とし |
| ては徐々に名声を得て行く。その暗い道のりに、彼のあたかも専任の「贋作 |
| 絵師」となってまとわりつき、時に恨みを噴出させる弁蔵。これは通奏低音 |
| 、、、じゃないですね、もっと強い底流。 |
| 多くを志乃の視点で語らせることをしながら、若冲のいつまでたっても究め |
| られそうもない、報われそうもない絵師家業が壮年から老年へと流れて行き |
| ます。収斂して行く先は、絵師としての大成よりむしろ絵を媒体として、自 |
|
分と自分の影のような弁蔵との腐れ縁が、ある種昇華した状態なんじゃない かと思わせる。ならばもはや主題に近い! |
| お話、とても面白かった。 |
| もっとも、(あのような幻想に対してすらもえげつないほど細部に拘った狂 |
| 気そのものの)絵の解題としては、どうなんでしょう。著者にとっては、き |
| っと絵からのインスピ―レーションが大きかったはずなのですが・・・ 若 |
|
冲の天才的な絵画作品とこの物語とはどこかミスマッチの感じが伴いますね。 (いや、そうでもないのかな) |
| さらに言えば、、、 |
| ほとんどの作品が「自分がらみ」で描いていて、人のためには描いていない |
| というようなことになってしまっているのも、ちょっと強引な気がしたので |
| すが、、、どうなんでしょう、、、 |
| 読了して思ったのは、ワタシの読む能力からすれば、「絵の解題」というよ |
| うな読み方をする必要など結局なかったのかもしれない。あえて言うなら、 |
| その妄想のほんの一つがこれ。プロの空想力や技を楽しめばいいんじゃない |
|
か、ということでした。
読書中の(頭の中の)アクセントは、関西弁が似合った気ぃがします。 |
|
別冊宝島 2392号 若冲 名宝プライスコレクションと花鳥風月 |
| 2015/10/28宝島社(中古) |

| 画集をぱらぱら眺めてみることにしました。最終話に悶着含みで出てくる屏 |
| 風、どんなんやったっけ・・・ 調べてみたけど、「鳥獣図屏風」と出てく |
| るのがそうなんやと思うが、「鳥獣花木図屏風」という名のものは画集に出 |
| てくるものの、単に「鳥獣図屏風」というのは、この画集には出てこない。 |
|
この篇に出てくるもうひとつ、墨絵の「石灯籠図屏風」も載ってはいるんや けどね。これのことやない。 |
| ついでに、載っていた生涯も――ダイジェスト的だけれど、目を通しました。 |
| 無学、無趣味、無芸の唐変木 酒も女にも無関心、やせっポッチ・・・ |
| 1716~1800年。 |
| 京都の青物問屋の長男として生まれ、主を継ぐと代々の「源左衛門」という |
| 名も継いだ。本名は伊藤茂右衛門。絵の手ほどきを受けた時には別の名を授 |
| けられそうになったが、それは自分の意思で貰わずじまい。若冲の名の由来 |
| は、やはり人からつけてもらった。老子の書からのもので、なにやら小難し |
| いことが書いてあって、省略。「冲」は基本「沖」の俗字で同じ字・・・ |
| 小説にあったニュアンスは、年譜のほうにはほんの僅かでした。 |
| 作者の想像力と、妹お志乃のある種、つましい結論に賛成。 |
| で、絵のこと、それも主に彩色画のこと・・・ |
| 知らないもの(動物)の絵は、よくよく調べて描いて、実際とはかなり違う |
| のもあるものの、想像力や強調が面白い。 |
| でも、ワタシには結局のところ、段違いに鶏のすごさじゃないかな。もう別 |
| 格!たくさん飼って何百羽も描いて練習したであろう鶏。非常に微細なレベ |
| ルにまでデフォルメしていることと、単にカラフルというようなものでなく、 |
| 異常なほどのリアルさを感じさせる。画集の解説者(狩野博幸氏)は「テク |
| ニック」と特に「執念」という言葉を使っている。「執念」に賛成。 |

「百犬図」部分
| それにひきかえ、「百犬図」なんていう晩年の絵は、「カワイイー!」という |
| 方もおられようが、それで済ませるにはヘンだろう。 100匹の犬(≒仔犬) |
| の目が皆同じで、しかも白目部分が多すぎ。犬好きだった丸山応挙の犬と少し |
| だけなら似ていなくもないが、、、いやぁ、やっぱり違いますねぇ、一体どう |
| いう理由で描いたのか知りたいもんだ。ユーモア系なのかしらん。 |
| この若冲の画集(写真集)を見返していて思ったのは、晩年に近づくほど絵の |
| 対象の図案っぽさ、単純化が増していますね。版画だけであればそれもわかる |
| ものの、彩色ものでも墨画ものでもそう。そういう傾向って、多くの画家にお |
| いて、成熟と無縁でないような気もするし、仔犬の絵にもそうした傾向が顕れ |
| ているのかもしれないなぁ、なんてね、いつも大雑把ですが、、、感じます。 |
| さてさて、犬と鶏に代表させるつもりはありませんでしたが、長くなりました。 |
| この辺にしておきます。 |