休みには中古屋のはしごⅢ

基本音楽鑑賞のつもり。ほかに映画・本・日記的なもの・ペットなど。

タンスマン/ピアノと管弦楽のための作品集

20220606(了)

Alexandre Tansman(1897-1986);

   Works for Piano & Orchestra

(1)ピアノ・コンチェルティーノ(1931)   

        ①~③ 15:26

(2)イーゴリ・ストラヴィンスキー、追憶の石碑(1972) 

     ④~⑥ 13:58

(3)左手のためのピアノ協奏曲

         (P・モスによる補筆完成版)(1943)  

     ⑦~⑨ 15:44

(4)ダリウス・ミヨーを偲ぶ哀歌(1975)   

     ⑩ 10:25

 
   クリスティアン・ザイベルト(ピアノ ①-③、⑦-⑨)
   ハワード・グリフィス指揮/フランクフルト・ブランデンブルク州管弦楽団
   録音:2009年1月、フランクフルト、CPEバッハ・コンサートホール Tot.56:09
   CD/2012/cpo/Deutschlandradio Kultur/輸入/中古
   <★★★★>

(ネットアルバム紹介) 1897年にポーランドのウッチで生まれたタンスマンは、最初
ポーランドで学ぶも、若い頃に留学したパリで自由な空気を体験することで、そ
の音楽性を大きく広げることができた人です。ラヴェルストラヴィンスキー
影響も大きく、また作品にもあるようにミヨーとは親しく交流し、一時は「フラ
ンス六人組」への参加も打診されるほどフランスになじんでいたといいます。
しかし、やはり体に流れるのは祖国の血であったのでしょう。後年の彼はポーラ
ンドの民族音楽やアジアの音楽を積極的に自作に取り入れ、独自の素晴らしい音
楽を創造することになります。ここでは、戦争で右手を失ったピアニスト、ヴィ
トゲンシュタインのために書いた「左手のためのピアノ協奏曲」を始めとした、
いくつかの作品をお楽しみいただけます。映画音楽の世界でも重要な仕事をした
タンスマンの音楽、これはくせになります。
 
 
(1) ピアノソロでもって軽やかで早いパッセージが続く。なかなかオケが加
わらない。一分以上たって、スピードを緩めてやっと協奏。
いきなり第3楽章から始まっちゃったみたいな雰囲気。リズミカルで、お顔に
似合わず(失礼)粋。ま、このかた、だいたいそうなんだよね。
紹介文には「祖国の血」云々とあるけれど、ワタシのイメージでは、フランス人
に、それも出来ればパリ人になりたかったユダヤポーランド人。
優しい第2楽章に続く終楽章は、素っ頓狂さのまったくないミヨー。あまりにも
食いつきやすくて、すぐ飽きが来るんじゃないかと、要らぬ心配をしそうになる
ほどの楽しさ。中間部のミヨーにもない甘い香りが漂ったあと、フランス近代の
アレグロを集約したみたいな感じで締めくくる。新古典とラヴェル・・・
 
(2) 無理にストラヴィンスキー風にこしらえないで、あくまで自分のイメージ
でこの偉大な作曲家を偲んでいるよう。トリルなんかにひょっとすると「らしさ」
があるかな。傑作。このスマートでかっこのいいサウンドは絶品。
④ではアメリカのサウンドもちょっと。 ⑤は不気味さやバーバリズムなんだが、
あくまで品がいい。 ⑥キラキラとした緩徐楽章で、ロマンチックさとは殆ど縁の

なかったイメージのストラヴィンスキーへの思いは、実はこんなにウェット、、、

ハハハ。

 
(3) ヴィトゲンシュタインは一体何人の作曲家に左手用の曲を書いてもらった
んだろう。人徳者だったか好かれていたかなんだろね。
補筆されたのはピアノではなくオーケストラパートのよう。完成者はポーランド
の作曲家。この方も大変うまいようで、タンスマンの特徴を取り込んで、いかに
も本人らしい感じ。ウィキでは載ってない曲だけれど、載せて恥ずべきものとは
とても思えない。ピアノパートも、ヴィルトゥオーゾ・ピアニストでもあったタ
ンスマンらしく、華麗でなかなか難しそう。聴きごたえ(も、きっと見ごたえも)
ある。ラヴェルの超有名な「左手のためのピアノ協奏曲」には個性ではかなわな
いかもしれないが、普通に名曲だと思うなぁ。(ちょっとラヴェルっぽい音も聞
こえる気がする)
 

(4) 中では最も尖がって聞こえる作品。

しかも、ここにはしっかりミヨーがいます!

ミヨーやオネゲルから「フランス六人組」に入らないかと誘われたのに、それを
受けなかった。でも「ポーランド出身のフランスの作曲家」と言われるだけのこ
とはあって、フランス人に負けないフランスっぽさ、粋で繊細で理屈っぽくなら

ない。(フランス人の喋りの理屈っぽさについては、この方はどうだったんだろ

う)

戦時中、ユダヤ人であるためにアメリカに逃れる際には、チャップリンに労をと
ってもらったり、アメリカではシェーンベルクと親しくしたりと、なかなか恵ま
れていたみたいだが、取り込んだりはしなかったため新しい音楽からどんどん遅
れを取り、最後は忘れ去られてしまった。でも、ここにはアメリカ大陸やミヨー
のエッセンスを感じさせたリ、シェーンベルクを意識だけはしたのか精一杯の不
協和音や尖り方を見せてくれたりしている(と言えると思う)。
結局「フランス近代」と言われる世界から外へは出られなかった作曲家かもしれ
ませんが、これはこれで、ワタシにはなかなかカッコよかった。

フランスに戻って長くパリで過ごしたが、徐々にポーランドを意識した活動をし
たという。出来ればこれから交響曲室内楽、人気のギター曲などを聴いて行き
たい。そんな中で「ポーランド」が聞こえるものかどうか、ちょっとだけ意識し

てもいいかな、などと考えてはいます。(なんてね。書いてはみましたが、易し

くはないだろうなぁ)

(2)と(4)が特によかったので、多分ワタシには晩年に近い方が、好みにも

近いという傾向でしょうかね。覚えておいた方がよさそうです。